アジア・マップ Vol.03 | ミャンマー
《総説》
ミャンマーの音楽
1. はじめに
ミャンマーは、日本の約2倍もの広大な国土に、135もの民族が暮らす多民族国家であり、公用語のミャンマー語のほか、多様な言語が話されている。また、インド、バングラデシュ、中国、ラオス、タイと国境を接しており、文化の面でもそれらの国々の影響を受けてきた。音楽も民族や言語、地域、宗教によって多様であり、「ミャンマーの音楽」とひとことでくくることは難しい。本稿では、公用語であるミャンマー語で歌詞が詠まれ、歌い継がれてきた歌謡を中心に概観する。
2. 古典歌謡の成立と展開
ミャンマー音楽の核は声楽であり、歌詞と旋律が軸となる。王朝が続いた19世紀末頃までに作られた古典歌謡(タチンジー)は、韻文による歌詞をもつ文学作品でもある。歌謡は韻文(ガビャー)の一分野として位置付けられ、詩人はしばしば歌謡の作り手でもあった。詩と歌謡の違いは、詩が厳格な押韻規則に基づいていることに対し、歌謡は比較的自由に作詩されており、また楽器演奏を伴って歌われることである。とはいえ、詩のジャンルの一つである季節詩(ヤドゥ)のように、現在でも様々な祭事のために歌詞が新たに作られ、サウンガウッ(竪琴)などの楽器演奏を伴い、歌われるものもある。このように、詩と歌は明確には区分できない。
現在、歌詞が残されている古典歌謡は約1000篇に上るが、今日よく演奏されるのはその一部の数十曲ほどであろう。作者不詳で、作られた年代も不明なものが多いが、作り手のわかる範囲ではニャウンヤン時代(1605–1752)の詩人パデータヤーザー(1684頃–1754)の作品が最古である。ミャンマー音楽史上、最も重要な人物は、コンバウン時代(1752–1885)のミャワディ・ミンジー・ウー・サ(1766–1853、以下ウー・サ)である。ウー・サは、従来の歌謡ジャンルの作品を多く作るだけでなく、新たな音階構造や旋律を持つ作品を数多く生み出した。
古典歌謡のうち詠み人知らずの作品は自然描写や土着信仰を反映したものが多い。王宮で生まれた歌謡は、王の威光を讃えるものが主である。歌謡は口伝によって伝承されてきたが、歌詞は王朝時代より保存のため貝葉写本に刻まれ、19世紀末以降は印刷された歌謡集として出版・継承されている。20世紀になると、様々な記譜の試みも行われてきた。
3. 近代化と大衆歌謡の形成
1886年に王政が廃止されるとともに、宮廷音楽家達は在野に散り、宮廷楽器であったサウンガウッやサインワイン(環状太鼓楽団)は民間の祭事で用いられるようになった。そして、民衆の日常生活に即した散文調の流行歌謡(カーラボー)が登場する。流行歌謡は古典歌謡と共に仏塔祭や結婚式などの様々な儀式で演奏される。流行歌謡は古典歌謡の旋律をベースにしたものが当初は多く、ミャンマー音楽の音階を用いつつ演奏は西洋楽器を用いるなど、古典歌謡をベースとして生まれ、発展してきた。身近な風景を描写した歌詞や、恋愛をテーマにした歌詞の作品が多く作られ、人々に親しまれてきた。
1923年、映画『森の端で待ち焦がれる』に挿入された宣伝歌が、ミャンマー映画音楽の嚆矢とされる。1930年代以降、テンポの速いリズムや西洋的ハーモニーを用いた新しい歌謡が流行し、俳優自身が劇中で歌うスタイルも生まれた。これらの歌謡は、1939年に開設されたラジオ局を通じ、さらに広範囲に広まるようになった。ラジオでは、当初は生演奏を放送しており、のちに録音されたレコード歌謡を放送するようになる。1902年に英グラモフォン社がミャンマーで録音を行って以降、様々な海外レーベルが現地でエージェントを雇って選曲、録音を依頼するようになり、後にミャンマーのレーベルが生まれていく。レコードの登場は、音楽の産業化へと繋がっていく。
1970年代にはカセットテープが普及し、レコード音源を複製販売する店が増加した。そして、コピー歌謡と呼ばれる、海外の作品にミャンマー語の歌詞をつけた歌謡が登場する。1980年代から1990年代のポップスやロックの多くはコピー歌謡である。また、社会主義時代には政治的メッセージを込めたポリシー歌謡と呼ばれる歌謡が数多く作られ、歌われた。
2000年代に入るとCDやVCDが音楽メディアとして普及し始め、2010年代半ば以降はスマートフォンとSNSの普及によって、オンラインでの視聴が急速に進んだ。現在ではFacebookやYouTube、TikTokが主要な発信・視聴の場となり、誰もが気軽に音楽を共有できる時代となっている。
ミャンマー音楽は古典から現代に至るまで声楽が中心であるが、精霊信仰や伝統スポーツ競技などでは器楽が主役となる。ナッと呼ばれる土着の精霊信仰では、霊媒者ナッカドーの舞に合わせ、ナッ・サインと呼ばれるサインワインが演奏される。また、チンロン(籐製ボール)競技や、ラウェイ(キックボクシング)の競技中にも生演奏が欠かせない。サインワインや、サインワインの一部の楽器から成る小さなアンサンブルが、選手入場から競技までを賑やかな楽器演奏で盛り上げる。
4. グローバル化と音楽の新たな潮流
ミャンマー音楽は、外来のものを取り入れることに積極的である。王朝時代より、古典歌謡はタイやモン族など隣国や他民族の旋律を取り入れてきた。1872年にはピアノが伝わり、植民地期以降はマンドリンなどの外国の楽器が数多く流入した。ピアノやバイオリン、さらに現代では電子キーボードは、古典歌謡の演奏でも欠かせない重要な楽器となっている。
現在の音楽シーンで注目されるのは、1970年代頃から浸透していったロックやポップスに加え、ヒップホップやK-POPの影響が強く見られることであろう。韻文文化を基盤とするミャンマー語はラップと親和性が高く、若者文化と結びつき、社会批判や自己表現の手段として2000年代になると急速に人気をのばした。また、人気歌手の入れ替わりはどんどん目まぐるしくなっている。ミャンマーのロックシーンのレジェンド的存在である歌手のレービューやロックバンドのアイアンクロスのように息長く活躍している大御所アーティストがいる一方、SNSの登場とともに一気に人気を博す若手アーティストの登場も新しい傾向である。1990年代頃からは女性歌手も台頭する。トゥンエインドゥラボーや、現在ではニーニーキンゾウといった女性歌手は、そのファッションやライフスタイルも含めて大きな影響を持っている。その他、インディーズやオルタナティブといった商業音楽とは一線を画す音楽も盛んで、SNSやYouTubeなどを通じて多様な音楽表現が発信されている。
5. 海外移民社会における音楽継承
海外移民の増加に伴い、音楽継承の形も多様化している。日本におけるミャンマー系人口は約16万人(2025年)に達し、各地でコミュニティが形成され、新年の祭りである水祭りをはじめとする年中行事や宗教行事での音楽パフォーマンスも盛んにおこなわれている。アメリカやオーストラリアなどでも教会音楽や二世世代の音楽活動も活発である。たとえばオーストラリアのチン系青年によるバンドGenesizは、ロックを通じて言語と文化の継承を担っている。日本とミャンマーにルーツを持つ若手歌手のyuzunaは、日本語とミャンマー語での歌手活動を行っている。音楽は移民社会におけるアイデンティティ形成を支え、人々の記憶と共同性を紡ぐ重要な実践である。ミャンマーの音楽を見つめることは、そこに生きる人々の歴史・文化・意識の多様な層を理解する手がかりとなる。
書誌情報
井上さゆり《総説》「ミャンマーの音楽」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, MM.1.01(2026年3月23日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/myanmar/country01/