アジア・マップ Vol.03 | トルコ

《総説》
トルコにおける遺跡の捉え方と観光

田中英資(北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 教授)

 2023年にトルコへの外国人観光客数は5,670万人を記録し、観光産業がGDPの約12%を占めるなど、観光はトルコ経済を支える柱のひとつである(Presidency of the Republic of Türkiye Investment Office (n.d.))。その観光産業の重要な要素のひとつが、トルコの国土の大部分を占めるアナトリアの長い歴史を示す遺跡である。国土の大部分を占めるアナトリアには長い歴史のなかで様々な国家が興亡してきた。国民の大多数が信仰するイスラームと関係が深いセルジューク朝やオスマン帝国時代の歴史的建造物だけでなく、先史時代に始まり、ヒッタイト、フリギュア、ウラルトゥ、ローマ帝国、ビザンツ帝国、中世アルメニアなど、アナトリアでイスラーム化が進む以前に興亡した様々な民族や国家が残した数多くの遺跡が見いだされる。そのため、考古学的にも歴史的にも「豊か」といわれる。トルコで現地調査をしていた際に、出会った人から「この国ではどこを掘っても遺跡がでてくるよ」と言われたこともある。しかも、それらのなかには、カッパドキア、エフェソス、ヒエラポリス・パムッカレなど、UNESCO世界遺産にも登録された、トルコを代表する国際的観光地となっているものも含まれている。これらトルコに見つかる多様な時代の多様な遺跡は、「東西文明の十字路」であるとか、「文明のゆりかご」などと、テレビ番組や観光ガイドブックなどでトルコが紹介されることの背景にある。

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エフェソス遺跡(筆者撮影)

 筆者が専門としている遺産研究の分野では、遺産(heritage)とは保護の対象とされた考古遺跡、歴史的建造物、伝統的慣習などの有形・無形の文化的所産というより、それらに対して付与される「遺産」の価値と、それに関わる知識や言説、制度などが構築されていく社会的なプロセスとして捉えるようになっている(Fouseki, 2020; Harrison, 2013/2023; Smith, 2006 etc.)。先行研究では、国民意識の構築過程において、遺産はその国民を構成する集団を歴史的な成り立ちを具体的に説明するという重要な役割を果たしていることが指摘されてきた(Handler, 1988)。なかでも、遺跡のような有形の文化的所産の物質性は、特定の集団の歴史に特定の地理的な領域に根づいた継続性があることを具体的に示すうえで重要な役割を果たしてきたことが示されている(例えばAbu El-Haj, 2002)。

 遺産を国民国家の領域と国民を結びつけるものとして考えた場合、領域内にギリシャやアルメニアといった近隣の「他者」の文化遺産を抱えているという点で、トルコは興味深い事例を提供する。実際には、国民国家トルコの成立の過程は、それらイスラーム化以前の時代を含むアナトリアに興亡した諸文明の痕跡を示す多様な遺跡を「トルコ国民の遺産」として捉え直していく過程でもあった。特に1940年代以降は、トルコ国民は過去に興亡したアナトリアの諸文明を総体として受け継ぐ人々であると位置づけられる形で、数千年に及ぶアナトリアの歴史の重層はトルコ国民意識の核に結びつけられていった(田中 2019)。

 このような捉え方は、2024年の時点で21件登録されているトルコにおけるUNESCO世界遺産にも表れている。世界遺産リストに登録された文化遺産は、ギョベクリテペやチャタルホユックをはじめとする先史時代の遺跡から、セリミエ・モスクとその社会的複合施設群のようなオスマン帝国時代の歴史的建造物に至るまで、国土アナトリアの数千年以上に及ぶ歴史が反映されている。さらに、エフェソス、アニの考古遺跡などの物件は、それ自体がアナトリアの重層的な歴史・文化を示している点が、世界遺産の意義である顕著な普遍的価値(Outstanding Universal Value, OUV)として評価されている。

 例えば、2015年に登録されたエフェソスの場合、世界遺産としてのエフェソスの構成資産には先史時代からイスラーム化後の時代に至る様々な遺跡群が含まれる。具体的には、紀元前七千年前の人類の居住の痕跡であるチュクルイチホユック、古代ギリシャ時代からローマ帝国時代にかけての都市遺跡エフェソス、初期キリスト教時代から巡礼地となったエフェソスの聖マリア教会や、聖ヨハネ教会、アヤスルックの丘周辺に残る中世イスラーム期の建築などである。それらが先史時代から現代に至る約8000年に及ぶ人類の複雑かつ継続的な集住の痕跡であることが、エフェソスに対して認められた世界遺産のOUVなのである。

 21世紀に入り、親イスラーム主義的な公正発展党が政権を担うようになって以降も、アナトリアを総体として現代トルコ国民意識に位置付ける方向性それ自体は変わっていない。その一方で、トルコ共和国成立直後には否定的に捉えられていたオスマン帝国時代の歴史と文化を再評価しつつ、トルコ国民像を刷新する動きも強まっている。例えば、イスタンブルのアヤソフィアは、6世紀にハギアソフィア大聖堂として建てられたが、15世紀半ばにオスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼした後にモスクに改装された。1923年のトルコ共和国成立後、1934年に初代大統領ケマル・アタテュルクの大統領令によって二つの世界宗教の信仰の場として使われてきたことを展示する世俗的な博物館とされた。しかし、2020年7月には、このアタテュルクの大統領令を無効とした最高裁判決を受けて、エルドアン大統領がアヤソフィアをモスクに戻す決定を出したことで、大きな注目を集めた。アヤソフィアの他にも、イスタンブルのカーリエ・モスク、トラブゾンのアヤソフィア・モスクなど、ビザンツ時代の教会からオスマン帝国時代にモスクに改装された後にトルコ共和国時代に入って博物館とされた建物が、再びモスクに戻されたという例は多い。これらの動きは、オスマン帝国時代を見直すことで新たなトルコ国民像を描き出そうとする公正発展党政権の動きを象徴するものであり、トルコ政府による遺跡のトルコ国民意識への結びつけ方が一様ではないことを示している。

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博物館からモスクに戻されたアヤソフィア(筆者撮影)

 もう一点興味深いこととして挙げられるのは、トルコで観光資源とされる遺跡は、史跡として復元・整備されたものばかりではないということである。トルコ南西部地中海地方のテケ(Teke)半島の沿岸部は、トルコでも有数の海岸保養地となっている。この地域は、ローマ帝国の時代までリュキア(Lycia)と呼ばれ、独自の文化が発展しており、家の形をした石棺墓や岩窟墓など、古代リュキア文化は長く欧米の人びとの関心を引いてきた。ただ、パターラ遺跡など史跡整備され、観光地化された一部の遺跡を除けば、その多くは現在でも未発掘・未整備のままである。この地域の観光のあり方に近年変化をもたらしているのが「リュキアの古道(英語:Lycian Way、トルコ語:Likya Yolu)」トレッキングルートである。このルートは、古代リュキア文化の遺跡やビザンツ時代の修道院跡や見晴らしの良い場所を、山間部に残る古代の道など、現代では廃れた「古い道」で結んだもので、その総距離は約760 kmに及ぶ。古代の街道や巡礼路のような歴史的な道ではなく、現代の道であるというのが大きな特徴といえる。ルートを歩きながら、この地域の長い歴史や、沿線の村々に暮らす人びとの生活にも触れることができるのが魅力とされている(Culture Routes Society 2022)。

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古代リュキア文化の石棺(筆者撮影)

 近年ではこのトレッキングルートを歩く人々の増加とともに、ルート上の自治体もこのルートを活用した地域振興を進めるようになってきている。「リュキアの古道」を活用した自治体の観光振興の取り組みの例として、サンタクロースのモデルとされる聖ニコラスの墓所やミュラ(Myra)遺跡で知られる都市デムレ(Demre)から車で15分ほどのところに位置するカパクル村(Kapaklı)が挙げられる。村の周辺には、ホイラン(Hoyran)、イストラダ(Istlada)、トリュサ(Trysa)という未発掘の古代リュキアの都市遺跡が点在している。これらの遺跡は、もともとの「リュキアの古道」ルートからは少し外れていた。そこで、カパクル村を通ってこれらの遺跡を周れるように新しいルートが設定されたのである(田中 2021)。このように、「リュキアの古道」トレッキングルートは、史跡整備され観光地化された遺跡だけでなく、この地域でこれまで観光客の目に触れなかった未発掘の遺跡を観光資源化し、テケ半島における新しい観光のかたちを生みつつある。

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「リュキアの古道」を歩く人たち(筆者撮影)

 トルコは、先史時代からヒッタイト、ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国に至るまで、数千年にわたる歴史を物語る遺跡を豊富に有している。これらの遺跡は、単なる観光資源としてだけでなく、「東西文明の十字路」としての国のイメージを形作り、トルコ国民意識の形成にも深く関わってきた。トルコ共和国の成立後、アナトリアの歴史はトルコ国民の遺産として位置づけられ、多様な過去を一つの国民的アイデンティティへと統合する役割を担ってきた。しかし、その遺跡の捉え方や活用のされ方は時代とともに変化している。近年では、上述のアヤソフィアの再モスク化など、公正発展党政権のもとで進められているオスマン帝国時代の再評価は、遺跡の位置づけのポリティクスを示す例といえる。一方で、「リュキアの古道」のようなトレッキングルートの整備に見られるように、未発掘の遺跡や地域の伝統文化を活かした新たな観光の形も模索されている。このように、トルコにおける遺跡の位置づけは、観光、国民意識、政治という複数の側面と結びつき、国の文化政策や国際的な観光動向の影響を受けてきた。トルコの遺跡がどのように位置づけられ、活用されていくのか、その動向を引き続き注視することが重要である。

参考文献:
Abu El-Haj, N. 2002. Facts on the Ground: Archaeological Practice and territorial Self-Fashioning in Israeli Society. Chicago and London: The University of Chicago Press.
Culture Routes Society 2022 Lycian Way https://cultureroutesinturkey.com/the-lycian-way/ (2025年3月10日閲覧)
Fouseki, K. 2022 Heritage Dynamics: Understanding and Adapting to Change in Diverse Heritage Contexts. London: UCL Press.
Handler, R. 1988 Nationalism and the Politics of Culture in Quebec. Madison: The University of Wisconsin Press.
Harrison, R. 2013 Heritage: Critical Approaches. London: Routledge. 2023年 木村至聖ほか訳『文化遺産(ヘリテージ)といかに向き合うのか:「対話的モデル」から考える持続可能な未来』(ミネルヴァ書房)
Presidency of the Republic of Türkiye Investment Office (n.d.) Tourism Sector in Türkiye.
https://www.invest.gov.tr/en/library/publications/lists/investpublications/tourism-industry.pdf (2025年3月5日閲覧)
Smith, L. 2006 Uses of Heritage. London and New York: Routledge.
田中英資 2019年 「国民国家トルコとアナトリアの諸文明 :イスラム化以前の遺跡をめぐる文化政策」小笠原弘幸(編)『トルコ共和国 国民の創成とその変容―アタテュルクとエルドアンのはざまで』(九州大学出版会)、151-173頁
田中英資 2021 「『リュキアの古道』トレッキング観光を通した遺産化ートルコ地中海地方デムレにおける「デムレ‐ケコヴァ・アウトドアと地元の食文化フェスティバル」の事例から」 『福岡女学院大学紀要人文学部編 (31) 1-30頁

書誌情報
田中英資《総説》「トルコにおける遺跡の捉え方と観光」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, TR.1.02(2025年5月30日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/turkey/country01/