アジア・マップ Vol.03 | トルコ
《総説》
トルコにおける難民の社会的包摂
-国民アイデンティティの視座から
2011年のシリア内戦によって、300万人を超えるシリア難民が、隣国トルコへと逃れていった。長い内戦の果てに、2024年12月、シリアのアサド政権は反政府勢力の攻勢により崩壊した。しかし、2025年7月の段階で、260万人近くのシリア難民が、トルコに滞在し続けている(T.C.İBGİB 2025)。トルコ政府に登録されていない者も含めれば、その総数はより増加するだろう。安全、安心なシリアの再建には多くの時間がかかるため、今後も一定数のシリア難民がトルコに残ると考えられる。
トルコは建国以来、クルド問題に代表されるように、様々なマイノリティ集団の包摂問題に苦慮してきた。そのため、シリア難民をどのようにしてトルコ社会に統合するのかについても、トルコ国内外で活発に議論されてきた。本稿では、既存のマイノリティ集団のみならず、シリア難民の社会統合にさいしても大きな障害となるであろう、トルコの国民アイデンティティの視座から、シリア難民問題を総体的にみていきたい。
トルコ共和国は、建国の父であるムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Atatürk: 1881~1938)の指導の下、西洋近代的な国民国家を目指して1923年に樹立された。トルコは、オスマン帝国時代の「オスマン人」に代わり、近代的な国民概念である「トルコ人(Türk)」を構築した。トルコの国民アイデンティティである「トルコ人」という概念は、人種や民族、宗教的帰属に関係なく、トルコ国籍を持っている者はだれでも、地位や権利の観点から平等な「トルコ人」になれるという、シヴィック性(中立性)を含意したものだった。したがって「トルコ国民(トルコ人)」であるならば、クルド人を含めて、皆が一等国民として平等に処遇されるはずであった。しかし、トルコ政府は、「トルコ人/トルコ国民」に内実をもたせるために、中央アジアを起源とするトルコ民族の文化、言語、歴史、価値観(トルコ・ナショナリズム)を「国民的な諸価値」と位置づけ、それらをトルコ国内の様々な諸民族に課していった。つまり、公式には「シヴィック性(中立性)」を喧伝しつつも、トルコ民族の諸価値(エスニック性)こそを、実質的な国民アイデンティティとみなしてきたのである(鈴木 2020)。
1980年代以降、トルコは対共産主義や若者の反体制的な政治活動の防止、愛国心の醸成を目的として、「トルコ・イスラーム総合政策」を採用した。建国以来、脱イスラーム化を推進してきたトルコであるが、国家の管理下で、スンニ派イスラームを国民アイデンティティとして公式に組み込むことになった。現在のトルコでは、実質的なスンニ派イスラーム教育である「宗教文化と道徳知識」科目が、義務教育化されている。さらにイスラームを管理監督する宗務庁が、国民統合の任務を負うことになった。宗務庁は、欧州の在外同胞への宗教サービスだけでなく、トルコ国内でもスンニ派イスラームや、トルコ・ナショナリズムの価値観の普及に努めている。いずれにしても、トルコ政府によるシヴィック性の主張とは裏腹に、特定の民族・宗教宗派を特別視する姿勢が、トルコ国民社会内に亀裂を生み出してきた。結果的に、1980年代半ばからは、トルコからの分離独立を掲げるPKK(クルド労働者党)とトルコ当局との間で武力衝突が生じていった。これにより、クルド人集住地域の大部分が荒廃し、大量の国内避難民を生み出す事態となった(鈴木2020)。PKKは2025年に解散を宣言したが、クルド問題そのものが解決したわけでない。トルコでは依然として、多様なアイデンティティの表出は、トルコ社会に亀裂をもたらすものとして警戒されている。トルコがどのようにして、多様な出自や背景を持つ人々を包摂することができるのか、課題は山積している。
このように、すでに多様性の包摂をめぐって国内対立が深刻であったトルコに、シリア内戦が始まってから300万人を超えるシリア難民が短期間に流入していった。トルコは人道上の観点から国境を開放し、シリア難民を受け入れた。難民キャンプを設立し、様々な支援を行ってきた。しかしシリア内戦が長期化し、難民の早期帰還が難しくなると、トルコ政府はシリア難民の社会統合に取り組まざるを得なくなった。トルコは2013年に「外国人と国際保護法」を制定し、トルコにおける外国人の保護制度を整理した。同法によって、シリア難民は「一時的保護」の地位を付与された。
トルコは1951年の難民条約と1967年の難民議定書に批准しているが、地理的制限を維持することで、難民を「欧州の出来事からやって来た人」と定めている。そのため、トルコにおけるシリア難民は、公式には「難民」ではない。これによってシリア難民は、「一時的保護」という、きわめて不安定な地位と権利のなかで、長期的な生活を余儀なくされた。多くのシリア難民は、内務省移民局が割り当てた県のなかで生活している。シリア難民は基本的に、衣食住を自ら整えなくてはならない。労働許可を取得できたシリア難民は少なく、多くの人々が非正規労働に就いている。多くのシリア難民の子供たちも、学校に通えずに、家計を助けるために労働に従事している。無国籍状態の子供たちも、数多く存在している。総体的にみれば、社会経済的に困難な生活を送っている者が多いのが実情である(鈴木 2021)。10年以上の避難生活のなかで、トルコ各都市部ではシリア難民による集住地域も形成されており、彼らは困難な生活をしながらも、トルコ社会の一部となりつつある。
トルコには、移民・難民の受け入れの長い歴史がある。しかし同質的な国民国家を構築するために、トルコに移住できる者を制限してきた。特に「移民」を「トルコ系」や「トルコ文化に連なる者」として、一般的な外国人と区別することで、ブルガリア、ルーマニア、ユーゴスラビアなどのバルカン半島出身者を中心に、トルコ系外国人の移住を促進してきた。難民に関しても「トルコ系」であれば、トルコへの移住が可能となってきた。つまり、トルコの国民アイデンティティの矛盾(シヴィック性ではなく、特定のエスニック性を優遇)が、移民や難民の受け入れにも反映されているのである(鈴木 2021, 2024)。
こうした背景のなかで、トルコ系や高度人材を中心に、20万人以上のシリア難民がトルコ国籍を得ている。しかし、シリア難民が「トルコ国民」になった場合でも、クルド人らと同様に、自らの言語や文化、宗教、アイデンティティを保証されることはない。トルコは、国内の様々な民族・宗教宗派集団に、個別の地位・権利を付与することを拒絶している。そのため、帰化したシリア難民のアイデンティティ保証をめぐる問題も、クルド問題のように、今後のトルコにおける社会統合上の論点にならざるをえない(鈴木 2021, 2024)。トルコが人種や民族、宗教宗派の違いに関係なく、人々を公正・平等に処遇するためには、建国以来の国民アイデンティティの矛盾に向き合っていく必要がある。特定のエスニック性を強調したままであれば、トルコ国内のマイノリティ集団だけでなく、外国人の扱いに対しても、不公正さが顕在し続けるだろう。それらがゆくゆくは、トルコ社会に新たな亀裂をもたらすことになる。
このようにトルコは、国民統合の問題を抱えたままに、難民の統合問題にも直面することになった。シリアに帰る者もいれば、「一時的保護」のままトルコに残り続ける者もいる。すでに「トルコ国民」となった者もおり、「シリア難民」の地位や権利、境遇もまた多様化・複雑化している。アサド政権は崩壊したが、一定数のシリア難民が今後もトルコに残る可能性がある。トルコでは、シリア難民受け入れに伴う財政負担、シリア難民の集住化、国籍付与への反発等を背景としながら、年々シリア難民に対する感情が悪化しており、ヘイトスピーチや暴力事件も発生している。一時的保護の終了や自発的送還の強制、定住を選んだシリア難民への差別も懸念される。シリア難民をめぐる状況は複雑化しているが、いずれにしても、トルコの民族的・宗教的な多様性が増すことは、避けられない状況にある。トルコがどのようにしてシリア難民を処遇するのかは、トルコの国民アイデンティティだけでなく、政治や社会、国体そのものにも大きな影響を与える。すでに一定数以上のシリア難民が国籍を取得している以上、トルコの今後の人口・社会構造にも少なくない影響が表れるだろう。今後のトルコが、シリア難民をめぐってどのような課題に直面していくことになるのか、筆者もまた注視していきたい。
トルコは2023年に建国100周年を迎えた。この100年間で、オスマン帝国から近代的な国民国家への移行、世俗化改革や脱イスラーム化政策、トルコ国民の創造、イスラーム復興、民族的・宗教的マイノリティ集団の台頭、PKKによる分離独立運動、EU加盟交渉に伴う民主化の進展と後退、シリア難民の大規模流入、親イスラーム政党による長期政権、エルドアン大統領による強権主義的な政治運営など、数多くの政治社会変動を経験してきた。しかし、この100年間でその本質が変わらなかったものは、後に公定イスラーム(トルコ・イスラーム総合政策)で強化された、一枚岩的で同質的な国民アイデンティティである。現在のトルコでも、国家の不可分性を前にして、多様性に根差した様々な地位や権利は認められることはない(鈴木 2024)。多様性の承認には難しい状況ではあるが、トルコ国内のマイノリティ集団は、自分たちのアイデンティティを認めさせるために現在も活発に活動し続けている。また複雑な世界情勢・中東情勢によって、今後もトルコに難民が流入することは避けられない。そのためトルコ国内における多様性の包摂をめぐる議論や葛藤は続いていくだろう。そのさいに、トルコが国民アイデンティティの矛盾や排他性と向き合うことができるのかどうかが、公正な社会統合を実現していくための鍵になると考える。
グローバリゼーションの時代のなかで、移民や難民は各国民国家の政治、社会、経済、人口構造に多くの影響を与えている。国民の同質性を前提とする国民国家であるが、移民や難民の移住・定住化を契機として、多くの国でその枠組みの再検討を迫られている。欧州諸国でも、反移民・難民を掲げるポピュリスト政党、極右政党が台頭しており、どのようにして多様な民族的宗教的背景をもつ人々と共存していくのかは、大きな課題となっている。それは日本でも同様であり、年々外国人の人口は増加傾向にあり、多様な背景をもつ人々との共存、そして地位や権利の保証は待ったなしの課題となっている。本稿で紹介してきたトルコの事例も特殊なものではなく、国民アイデンティティの在り方を含めて、各国に共通する課題でもある。筆者もまた、トルコ研究を通じて、多様性を包摂していくための課題を引き続き検討していきたい。
参考文献:
T.C. İçişleri Bakanlığı Göç İdaresi Başkanlığı(T.C.İBGİB), 2025, “Yıllara Göre Geçici Koruma Kapsamındaki Suriyeliler,” (Retrieved July 19, 2025, https://www.goc.gov.tr/gecici-koruma5638).
鈴木慶孝, 2020, 『<トルコ国民>とは何か―民主化の矛盾とナショナル・アイデンティティー』慶應義塾大学出版会.
――――, 2021, 「『移民・難民受け入れ国トルコ』におけるシリア人の社会的包摂に関する一考察」『法学政治学論究』第131号: 57-89.
――――, 2024, 「トルコのシティズンシップ―移民や難民、マイノリティの社会的包摂を焦点にして」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要:人間と社会の探究』第98号: 33-47.
書誌情報
鈴木慶孝 《総説》「トルコにおける難民の社会的包摂-国民アイデンティティの視座から」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, TR.1.06(2025年9月29日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/turkey/country03/