アジア・マップ Vol.04 | 中国

《総説》
中国の伝統演劇

藤野真子(関西学院大学商学部 教授)

1.日中における「中国伝統演劇」に対する認識
 中国語の教科書に「京劇」という単語を載せても、今の学生は大半が「知らない」と答える。第二次世界大戦を挟んで、旦1(女形)の名優・梅蘭芳(1894~1961)の3度(1919、1924、1956)にわたる来日公演を熱狂的に歓迎した日々は、もはや遠い彼方となってしまった。当時、中国文化に対してある程度の関心と教養がありさえすれば、梅蘭芳の名と共に、京劇が中国伝統演劇を代表する演劇だと知る者は多かったはずである。現代日本において、中国への興味の希薄化と京劇の認知度の低下がシンクロしていることは否めない。

 一方、中国本土において、一般の観客にとって伝統演劇はさほど敷居の高いものではない。観客離れを阻止すべく、演目の創作、衣装や音楽の改革、俳優のアイドル化といった手管を弄するのは中国も日本も同じだが、能や歌舞伎に比べると、京劇や越劇などは今も娯楽としての地位を保っている。これは伝統演目の多くが、『三国志』や『水滸伝』といった庶民に根付いた物語から多数採られていることとも関係しているのだろう。

2.中国伝統演劇の種類と演技
 よく知られているように、中国は方言の種類が多く差異も大きい。300種以上あると言われる中国伝統演劇は、まず方言ごとに分類されている。また、同一地域内に、使用する楽曲の系統を異にする複数の劇種が共存していることもある。京劇をはじめ、かつて日本で上演された江蘇省の崑劇、浙江省の越劇、四川省の川劇などは、中国において今も比較的よく上演され、影響力を保っている。この中で最も古いのは崑劇で、600年ほどの歴史を持つ。他方、中国伝統演劇の代表格と目される京劇だが、その歴史は意外に浅い。18世紀末、清の乾隆帝時代、安徽省の商人とともに地元劇団(徽班)が上京した後、先行して北京に定着していた他の地方劇や地芝居と混交して京劇の祖型が生まれたとされる。言うまでもなく、京劇の「京」は北京を意味する。京劇のみならず、中国の伝統演劇は多くが複雑な成立過程を持ち、成熟して各種の様式を整えた後も、ルーツとなる楽曲や演目をその中に内包している。

 以下、演劇としての中国伝統演劇の基本スタイルについて記していく。

 京劇を英訳すると「Peking opera」となるように、伝統演劇の演技術において、科白やしぐさ以上に重要視されるのは歌唱である。現代中国語で芝居を「観る」ことを意味する動詞に「聴」を使うほどである。クライマックスシーンで登場人物の感情が高ぶる時、その思いは朗々とした歌唱に乗せて観客に届けられる。

 だからといって、視覚的要素が疎かにされるわけではない。中国土産として、京劇役者を模した泥人(泥人形)を貰った人も多いことだろう。極彩色の衣装や、「臉譜」2と称される独特の化粧には、長い時間をかけて培われてきた多種多様な約束事がある。特に臉譜は、『三国志』の関羽に代表される赤が「忠義」、同じく曹操に代表される白が「狷介・陰険」、北宋の名判事・包拯(包公)に代表される黒が「剛直」など、「あの登場人物はどのような性格/役回りなのか」が一目瞭然となる。

 身体的な動きを見せる演技として、表情やしぐさ、こと後者の中でもパントマイム3は重要な位置を占めるが、それ以上に我々外国人にとって理解しやすいのはいわゆる「立ち回り」であろう。槍や刀を持っての殺陣、カンフー映画を髣髴とさせる徒手での組み手、アクロバティックな空転。こうした演技を専門とする役柄にはいずれも「武」が付けられ、見る者の手に汗を握らせる。言語の壁の問題もあり、海外公演では観客の興味をかき立てるべく、立ち回り中心の「武戯」の比重が高くなる。

3.演目のバリエーション
 先述のように『三国志』などの長編古典小説のみならず、神話伝説、歴史故事、世話物、恋愛物など、中国伝統演劇の演目には様々なジャンルが揃っている。また20世紀に入ると、同時代の衣装で演じる現代物も盛んに創作された。なお先に挙げた梅蘭芳の代表的演目として、項羽と虞美人の別れを描く『覇王別姫』、楊貴妃が酒に酔う様を演じる『貴妃酔酒』が挙げられるが、古典由来とはいえ、彼が演じたものにはブレインたちとともにリメイクした作品も少なくない。それらは後進によって受け継がれ洗練を経て、梅蘭芳の流派「梅派」の演目として今日まで演じられている。もとより、いかなる「新作」も時間の流れとともに過去に押しやられ、「伝統演目」の一つに列せられることになる。革命烈士の活躍を描いた『紅灯記こうとうき』『沙家浜さかほう』など、文化大革命期の様板戯(革命模範劇)でさえ半世紀を経て古典化され、今では改革開放期以降に生まれた若い俳優が革命模範劇の李玉和や阿慶嫂に扮し、舞台で勇ましい歌詞をうたいあげている。

4.上海京劇と伝統演劇の変質
 京劇の祖型誕生から百年ほど、清代末期になると、俳優の中には北京を離れ、長江を越えて上海に定着する一群が現れた。南京条約による開港後の上海には、国内外のさまざまな文化や価値観が流入し、そこに集まる人びともまた娯楽に新たな刺激を求めた。結果、日本から採り入れた額縁舞台4、灯光、詳細に描かれた舞台背景5など、上海の京劇は観客の視覚を楽しませることに傾注した。それを象徴するのが、1910年代以降、「連台本戯」と称される、現在の連続TVドラマを髣髴とさせる続き物の上演であろう。一話を数日~数週間かけて演じた後、その続きを演じるというスタイルで、観客が飽きるまで新たなエピソードを作り上げながら、一つの演目につき十数~数十話が作成された。伝統演目に基づいた作品もあれば、世間を騒がせた事件や通俗小説を元ネタとする作品もあった。上海にも老生(中高年の男性に扮する)の周信芳など人気俳優はいたが、多くは北方に比べ小粒であった。それを逆手に取り、各々の俳優の個性が十分引き出されるよう、脚本は当て書きが盛んに行われ、奇抜な衣装が用いられた。同時に、「機関佈景」と称する舞台の仕掛けや過剰なほどリアルな背景を各劇場が競って採り入れ、連日、新聞の舞台広告にセンセーショナルな宣伝文句が躍った。当時は過剰な演出に眉をひそめる演劇愛好者もいたが、近年、都市演劇文化として再評価の動きもある。

5.越劇の躍進
 京劇にやや遅れて上海で大きく成長したのが、本邦の宝塚歌劇同様に女性の演者だけで演じられる越劇であった。現政権成立後、革命的英雄に扮するべく男性俳優も養成されたが、やはり越劇の主流となるのは1930年代以降、女性たちが作り上げた女性だけの演劇空間であろう。浙江省から上海へ陸続と進出した女子越劇は、次第に中間層の女性を中心に受容され、素朴な地方劇から都市演劇へと変化を遂げる。先行する京劇や、現代ものを中心とする地元の滬劇と差別化するため、越劇は才子佳人劇に重きを置いた。代表的なものとして、学問を志す少女と朴訥な青年の悲恋を描く『梁山伯りょうざんぱく祝英台しゅくえいだい』、清代の長編小説を舞台化した『紅楼夢』などが挙げられるが、いずれも瀟洒な男性と可憐な女性の恋模様を中心に物語が展開していく。

 一方で、20世紀以降は社会啓蒙的な役割を演劇に求める場面も増えた。魯迅の小説『祥林嫂しょうりんそう』の舞台化は、女性の苦境をうたいあげる点で越劇における嚆矢ともいえるものだった。現在でも才子佳人劇とともに、社会問題をテーマとした作品が制作・上演され、世間の注目を集めている。

越劇『梁山伯と祝英台』VCD封面

越劇『梁山伯りょうざんぱく祝英台しゅくえいだい』VCD封面

梅蘭芳『貴妃酔酒』(『梅蘭芳表演芸術図影』外文出版社2002)

梅蘭芳『貴妃酔酒』(『梅蘭芳表演芸術図影』外文出版社2002)

国期から残る天蟾舞台(2024年筆者撮影)

民国期から残る天蟾舞台(2024年筆者撮影)

1 劇種にもよるが、中国伝統演劇の役柄はおおよそ生(男性役)、旦(女性役)、浄(強烈な性格の人物)、丑(道化)に大別され、年齢や演技術の差異により細かく分類される。
2顔全体に彩色するのは主に浄(関羽は生が扮することもある)。丑は顔の中央に白色の方形や円形を描く。
3ドアや窓の開け閉め、裁縫など多岐にわたる。
4京劇俳優の夏氏兄弟らが中心となり1908年に開場。従来の舞台は客席側に張り出し、三面から観覧できた。
5本来、中国伝統演劇で上演内容に応じた背景を描くことはなく、セットも必要最低限(机と椅子)であった。

書誌情報
藤野真子《総説》「中国の伝統演劇」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.4, CN.1.03(2026年9月8日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol04/china/country03