アジア・マップ Vol.04 | パキスタン
《総説》
パキスタンの国語と多言語状況
―ウルドゥー語・英語・地域語が交差する社会の言語地図
1947年の建国以来、パキスタンでは国語としてウルドゥー語が、実務レベルでは英語が広く用いられてきた。ウルドゥー語は北インドの宮廷文化と近代出版を背景に、南アジアのムスリム社会において象徴的な地位を築いてきた言語である。その大きな特徴は、口語レベルでは隣国インドの連邦公用語であるヒンディー語とほぼ同一という点にある。書き言葉はイスラームの聖典クルアーンと同様に、アラビア文字で表記される。一方、英語は英領植民地時代の遺産として、官僚制・司法・高等教育・国際経済の分野を担い、社会的上昇のシンボルとして機能してきた。憲法上の国語はウルドゥー語であり、英語は補助的な公用語と位置づけられる。
さらに、よりミクロな視点で見ると、パキスタンの実社会はきわめて多言語的である。パンジャービー語、パシュトー語、スィンディー語、バローチ語といった各州に結びついた言語のほか、サラーエキー語、ヒンドゥコー語などの地域諸語が、人々の生活世界とアイデンティティの基盤を構成している。
本稿は、ウルドゥー語・英語という公用語と地域語の多層構造がどのように共存し、今後いかに変化していくのかを、教育・統計・社会的再生産という三つの視点から展望する。
2.国語と公用語ウルドゥー語―統合の象徴としての役割
ウルドゥー語は文学・メディア・政治演説の言語として全国で通用し、テレビ報道や全国紙を通じてパキスタンを貫く言語空間を作り出してきた。ただし、同言語を母語話者とする人口は全国では1割以下にとどまり、多くの国民にとっては学校教育やメディアを通じて習得する第二言語である。特に商業都市カラチでは、さまざまな地域の出身者が集まり、複数の方言的要素が入り混じったウルドゥー語が日常的に使われている。
教育現場では、小学校からウルドゥー語を必修科目および教育媒介語(授業中に教員が使用する言語)として導入し、読み書きの基礎はウルドゥー語で習得させるという設計が長らく採用されてきた。現在まで、母語の書き言葉を学ぶ機会が得られないまま、母語は家庭内の口語にとどまるケースも生じている。
英語―社会的上昇を支える実用の言語
英語は現代パキスタンにおいて、最も熱心に学ばれている言語である。都市部の私立校ではケンブリッジ式カリキュラムが採用され、授業のみならず生徒同士の会話を含めて英語を基盤とした教育が行われている。この結果、英語は社会的上昇の手段としての言語、ウルドゥー語は国の統合の象徴という役割分担が定着し、地域語は家庭・地域社会・文化資本を担う言語として棲み分けが形成された。
教育政策としては、コロナ禍を経て2021年より全国統一国家カリキュラム(SNC)が導入され、公教育の底上げが図られているが、私立校と公立校、都市と地方の格差は依然として大きい。
3.地域語の多様性と制度化の動き国勢調査に見る地域語の可視化
パキスタンで使用されている言語数は30~60語と推定される。主要言語としてはパンジャービー語、スィンディー語などがあり、各地域ではさまざまな言語が話されている。母語以外にも近隣地域の言語を理解することも一般的であり、トリリンガルやマルチリンガルも珍しくない。
正確な話者数の統計は限られているが、小規模言語の可視化は徐々に進みつつある。1981年までの国勢調査では、母語項目は6言語(ウルドゥー語、パンジャービー語、スィンディー語、パシュトー語、バローチ語、その他)であった。1998年にはパンジャーブ州南部に話者の多いサラーエキー語が加わり7言語に、2017年にはヒンドゥコー語、ブラーフィー語などが加わり10言語となった。最新の2023年調査では、北部山岳地帯のシナー語、カラーシャ語などが追加され、15言語が選択可能となった。
2023年の調査結果によると、パンジャービー語が約37%、パシュトー語18%、スィンディー語14%、サラーエキー語12%、ウルドゥー語9%、バローチ語3.4%、ヒンドゥコー語2.3%、ブラーフィー語1.2%の話者比率が示されている。長期的な傾向として言語比率に大きな変化はないものの、総人口の増加に伴い、ほとんどの地域語の絶対数は増加している。
州レベルでの言語制度とその波紋
スィンド州では早くからスィンディー語の教育制度が整備され、公立校ではその必修化が徹底されてきた。さらに、2010年代後半以降は、ケンブリッジ式カリキュラムを採用する私立校に対しても、必修化を求める通達が繰り返し発出されている。同州最大の商業都市カラチは出稼ぎ労働者を含めた多民族が共存する地域であり、生徒の母語も多様である。そのような背景にもかかわらず、スィンディー語を母語としない生徒に対しても、同言語の習得が義務づけられている。こうした取り組みを背景に、2023年には州議会がスィンディー語を国の公用語とするよう求める決議を採択した。
パンジャーブ州では長らくウルドゥー語と英語教育が重視され、パンジャービー語は家庭内や日常的な口語使用に限定されてきた。しかし2024年、州内のすべての学校でパンジャービー語を必修科目とする決議が可決され、地域語の制度化に向けた転換が始まっている。実施には教員養成や教科書などの課題があるものの、国内最大の母語話者数を持つパンジャービー語の再評価につながるとみられている。
4.言語の社会的再生産学校という言語の階層装置
パキスタンの学校制度は、公立校・私立校・マドラサ(宗教学校)の三層に分かれている。
公立校では一部の英語媒介校(英語ですべての教科を教える学校)を除き、ウルドゥー語が教育媒介語の標準であり、私立校に比べて教員訓練や学級規模、教材の課題が残る。宗教教育を目的とするマドラサは、在籍数は全体として限定的であるものの、通常の学校に比べてアラビア語の教育が充実している。
私立校の中にも海外の教育システムを採用するエリート校から宗教的母体をもつ学校まで、幅広いタイプの学校が存在し、教育媒介語は学校のタイプに大きく依存する。英語を使用する学校では、教材や進学指導が国際的な教育内容や進学ルートに接続しやすくなり、大学入試や海外留学、就労において優位性がある。
ウルドゥー語や地域語は教育学・文学・歴史研究などで中心的役割を担うが、労働市場における評価は相対的に低くなりがちである。このため、家庭の教育投資は英語教育に集中しやすい構造が生まれている。
大学では、医学部を頂点に、工学・コンピュータ・経営などの実務的分野が人気で、これらの学部では英語による教育が徹底されている。研究の国際発信も英語で行われる。
大学入試では、言語教育を含む文学部は医学部や工学部に比べて競争率が低い傾向にある。もっとも、その文学部の内部においても、英語学科は高い人気を維持している。 大学のキャンパス内を歩くと、そうした言語的・教育的階層は、学生の服装や持ち物にも可視化されていることに気づく。言語は単なる意思疎通の手段ではなく、社会制度における機会の配分と密接に結びついている。
言語と階層の連動
パキスタンの新聞の日曜版求人欄には、花嫁・花婿募集の婚活広告(matrimonial classifieds)が掲載される。数行の文章で、娘・息子の紹介と結婚相手に求める学歴などの条件が簡潔に記されている。
2025年9月28日のウルドゥー語大手紙『ジャング』のカラチ版を開くと、「ウルドゥー語話者家庭」や「パンジャービーのビジネスマン」、「パシュトー語話者家庭」などの自己紹介が並び、結婚相手に「ウルドゥー語話者家庭出身の女性」と言語を条件として指定する事例もみられる。
新聞の外でも、親族や同郷コミュニティ内で結婚相手を探すことは一般的であり、文化的資本の再生産につながっている。
参考文献
萬宮健策 2004「第3章 地域語のエネルギーに見る国民統合と地域・民族運動」黒崎卓・子島進・山根聡共編『現代パキスタン分析』岩波書店
吉岡乾 2019『現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき。』創元社
書誌情報
須永恵美子《総説》「パキスタンの国語と多言語状況―ウルドゥー語・英語・地域語が交差する社会の言語地図」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.4, PK.1.01(2026年00月00日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol04/pakistan/country01/