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2022.09.02

【レポート】国際会議「原子力賠償――東アジア地域における予見的・参加的・トランスナショナルな枠組みの構築のために」を開催しました!

 立命館アジア・日本研究所(AJI)とノースウェスタン大学バフェット研究所の研究協力協定に基づき、2022年8月6日(土)9時~14時に立命館大学朱雀キャンパスで「原子力賠償――東アジア地域における予見的・参加的・トランスナショナルな枠組みの構築のために」と題した国際会議を開催しました。バフェット研究所が運用してきたグローバル多言語フォーラムMeridian180は、2011年の福島原子力発電所の事故をきっかけに始められたものであり、その研究成果は2021年にHirokazu Miyazaki ed., Nuclear Compensation: Lessons from Fukushima (with Meridian180 Forums, Interviews with Experts and Intellectuals)として刊行されています。
 (電子版のリンクはhttps://nuclear-compensation.northwestern.pub/
 今回の国際会議では、この成果をうけた今後の研究プロジェクトのステップについて話し合われました。
 当日の参加者は次のとおりでした。
宮崎広和(ノースウェスタン大学)
アナリサ・ライルズ(ノースウェスタン大学)
葦名ゆき(静岡弁護士会)
須網隆夫(早稲田大学)
高橋五月(法政大学)
横溝 大(名古屋大学)
森 裕之(立命館大学)
森本 凉 (プリンストン大学)
除本理史(大阪公立大学)
吉村良一(立命館大学)

ポスター

 会議の冒頭に、宮崎先生から福島原発事故によって甚大な賠償責任が発生したことによって、今後の事故に備えて国際的な賠償責任に関する議論の必要性が提起されました。具体的には日本・東アジアでの議論を構築し、その際に多様なステークホルダーが参加できる枠組みをつくりあげるかが課題ではないかと指摘されました。

 この問題提起を契機に、参加者から多様な視点からコメントが寄せられました。その主なものとしては次のようなものがあります。
・近代法では線引きに基づいて損害賠償するのが原則となっているが、それによって原発事故の被害者は生活を取り戻せているのか。
・被害額や賠償額による被害者間の分断をどのように考えるべきなのか。
・地域産業の視点からは、生業に直接的に影響しているにもかかわらず、損害賠償からこぼれ落ちる被害が多く発生している。漁業に関していえば、今後の処理水の海洋放出によって将来に及ぶ被害がどうなるのかも予測できない。これは過去に加えて未来の賠償をどう考えるのかという問題に直結する。
・多くの人々が避難に際して要したコストを金銭換算するのは相対的にやりやすい面があるが、放射能による不安や恐怖などの金銭換算が困難な被害も非常に大きい。また、日本は個別被害の賠償を中心としているが、原発事故による地域・コミュニティ全体の被害については賠償困難である。アメリカでは自治体が公害によるコミュニティ破壊の損害賠償訴訟を行うといったことが多く行われており、日本でも函館市が自治体の人格権の侵害を根拠に大間原発差し止めを求めるといった動きがある。
・原子力に関する国際条約は主として推進のためのものであり、損害賠償については不十分である。また、現在の国際条約は、国家責任の規定がない、主要国が十分に加盟していない、請求プロセスは被害者が負わなければならない、環境損害などは査定に含まれていない、といった問題点がある。
・原発事故の被害は長期かつ広範に及ぶため、世代とエコロジーの視点からの賠償議論が必要である。
・「訴訟の限界」と「賠償の限界」は違うため、日本の公害等調整委員会(行政委員会)のように民事訴訟内容を超えた責任裁定など、裁判にかぎらない様々なやり方を考えていけばよいのではないか。 ・環境権の理念は復旧による暮らしの回復を包摂するものであり、これを本格的に位置づけることが原子力賠償においては重要ではないか。
・賠償責任に関する参加型議論については、事故の被害額が事前に想定できないことから合理的な判断や合意がどこまで可能であるのかという問題がある。例えば、電力会社の賠償額がどの程度の電力料金の引き上げとなるかによって、人々の考え方は違ってくるはずである。

 今回の国際会議では、原子力賠償問題に関して第一線で活躍する各分野の研究者が集まり、最先端の議論が展開されました。その成果は今後の原子力問題を国際的な視点から議論していくためのプラットフォームとなるものであり、AJIとしても積極的に関わっていきたいと考えています。

会議風景

(文責:森 裕之)