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2022.11.30

【レポート】AJI国際ワークショップ開催を開催しました!“The Anthropocene and Postwar Japanese Philosophy:Critical Assessments and Propositions towards New Perspectives”

 2022年10月29日(土)、“The Anthropocene and Postwar Japanese Philosophy:Critical Assessments and Propositions towards New Perspectives” と題して、立命館大学アジア・日本研究所(AJI)主催で国際ワークショップをハイブリッドで開催しました(会場:朱雀キャンパス602会議室)。司会進行は、Dr. Fernando Wirtz (京都大学文学部・日本哲学史専修 助教)が務めました。

 アジア・日本研究所の小杉泰所長より本ワークショップについて紹介が行われた後、国内・国外から参加した多彩な哲学研究のバックグラウンドを持つ若手研究者への歓迎の言葉が述べられました。くわえて、小杉所長は、哲学的な知の衰退が進むなかで、その総合的な知が再び必要とされているということ、また、アカデミックの世界で人文知の重要性が自然科学の知に対して相対的に低下するなかで、広く多層的に世界や生命の意味を探究する「哲学」の意味を再検討することの意義を強調しました。それと同時に、AJIでも今後、哲学研究ユニットの構築を通じて、若手哲学研究者の国際的な研究プラットフォームの形成を進めていく旨についても言及され、開会の辞が締めくくられました。

 Panel 1では、Dr. Dennis Stromback (Lecturer, Temple University, Tokyo)が“Miki on Society: Existential Humanism and Marx”と題して発表を行いました。Dr. Strombackは、日本の哲学者・三木清の前期のパスカル研究に基づく実存主義に着目し、その実存主義の展開としてマルクス主義が把握されていることを強調しました。そのうえで、「社会」という概念が単にシステム的な客体として考えられているのではなく、人間の実存を通じて形成され、想像されるものが「社会」であり、それゆえに「社会」には歴史的な重みが負荷されていることに力点が置かれました。Q&Aでは、三木の「実存」概念がマルクス主義と結びつくことの重要性や、その実存哲学が戦後日本哲学に与えた影響について質問とコメントがあり、それらに対し、Dr. Strombackは、三木が示した「実存」のレベルを考えることは、今日の世界をマクロに考察する際にも重要であり続けると応答しました。

 Panal 2では、中村徳仁氏(京都大学人間・環境研究科、博士後期課程)が“The Technology of Kokoro in the Anthropocene: Re-reading Miki Kiyoshi’s Philosophy of Technology”と題して発表を行いました。中村氏は、シェリングや三木清の哲学、また、現代哲学などを広く研究しています。そのなかで、今回は、三木の哲学における技術の概念に着目し、そこに含まれる多層的な意味を明らかにする発表を行いました。中村氏は、とくに物質に働きかける技術があるだけでなく、精神(心)に働きかける技術の層があり、一般的に「技術」と言われているものにもこの両者が含まれることを指摘しました。Q&Aでは、三木の技術哲学がいかなる過程を経て構築されたか、また、物と精神だけでなく、社会に関わる技術の層をいかに位置づけるかについて質問とコメントがありました。中村氏は、これらの質問に対して、三木は、「技術」の多層的な性格からして社会に関わる技術の層について論じていること、また、技術の心の層という視点を焦点化することで、技術的環境に囲まれた人間が技術と結ぶ関係について再考する足場が得られるという視点が強調されました。

 Panel 3は、Dr.松井信之(OIC総合研究機構・助教)が“‘Rhythmic Oscillation’, Cybernetics, and Human Desire: Opening Japanese Philosophy toward the Anthropocene and Beyond it”と題する発表を行いました。Dr.松井は、今日の気候変動問題をめぐる論争の土壌が、主に1970年代以来のエコロジー主義と高度消費社会論の分断によって規定されているという問題提起を行いました。そのことによって、長期的に見た人類社会の持続可能性と短期的な欲望の実現の間に分断が生まれる一方、「人新世」の時代においては後者の欲望の視点を前者の環境の持続可能性に接続し直す必要性があるということが論じられました。また、この問題意識のもとで、彼は、「宇宙技芸」をめぐるユク・ホイの現代技術哲学を導入し、そこに欠けている欲望の視点を導入することを目的として、日本の戦後哲学者・中村雄二郎の「リズム振動論」とホイの「宇宙技芸」の類似性に着目する議論を行いました。それによれば、絶えず振動するリズムのなかで宇宙は生成しており、リズム振動を通じて人間の生命も持続すること、さらに、技術を手にした人間はそこから自らを切り離し、欲望の対象を追求することによって、非人称的なリズム振動の宇宙的な働きが「生命」を表現するかのように作動する事態が見落とされることと論じました。Q&Aでは、中村雄二郎の「共通感覚」の哲学と「リズム振動論」の関係やリズム振動論と地球環境の有限性の間の関係について質問がなされました。これらの質問に対して、Dr.松井は、後期中村哲学に位置する「リズム振動」論と「共通感覚」論が密接な関係にあること、また、今日の地球環境問題の根本には欲望を意識の対象を所有するものとして捉える人間観が支配的であるという問題があり、それを捉え返すためにリズム振動論が重要であると応答しました。

 Panel 4では、Tekla Nanuashvili氏(京都大学文学研究科日本哲学専修 博士後期課程)が“Concept of Earth in Suzuki Daisetsu and Possibility of Discussing ‘Nature’ in Japanese Philosophy”と題して発表を行いました。彼女の発表では、日本の仏教哲学者である鈴木大拙の「自然」概念を再考することを通じて、日本の哲学が国際社会との接触によって「自然とは何か?」という問いにどのように向き合ったのかについて議論がなされました。さらに、英語での著作を多く残した鈴木が使用する“nature”という概念が西洋近代において一般化したものとしての社会とは区別される自然とはまったく異なる意味を持っていることが、アジアとヨーロッパの間に相互理解の混乱を生んでいるという重要な問題点も示されました。Nanuashvili氏によれば、鈴木の哲学では「大地(Earth)」や「自然(Jinen)」という概念を通じて、自然が動態的に捉えられていること、また、この見方に基づいて、人間だけでなく存在するものの生命が捉えられています。このように、今日の世界でも「自然」という概念に対する認識のレベルから人々の間の認識の違いをあぶり出すために、鈴木の哲学から「自然とは何か?」という問題提起を行い、それをエコロジーの倫理と結びつけていくことの重要性が強調されました。Q&Aでは、「人新世」の時代における鈴木の哲学を再評価する必要性や、鈴木が依拠する独特な「自然」概念がどのような形で思想史的に発展してきたのかについて質問やコメントがなされました。Nanuashvili氏は、これらの質問に対して、明治以前にまで遡った研究がさらに必要であると同時に、鈴木が同時代の文脈で、支配的な自然概念に対して、独自の「自然」概念をいかに鍛え上げたのかに注目する必要があると応答しました。

 Panel 5では、Dr. Bradley Kaye (ニューヨーク州立大学フレドニア校 助教)が“Tanabe Hajime: Practicing Metanoetics of Zange in the Anthropocene”と題して発表を行いました。Dr. Kayeは、資本主義による気候変動危機という文脈のもとで、日本哲学と西洋哲学を幅広くとらえ返す研究を行っています。そのなかで今回、Dr. Kayeは、田辺元の哲学における「懴悔道(Metanoetics)」と「他力」をめぐる哲学が今日の「人新世」の時代に対して持つ重要性を浮き彫りにする発表を行いました。田辺は、1945年の日本の敗戦後、理性的主体の確立とは異なるかたちで、共同性のなかの人間存在を考える基盤として、「懴悔道」や「他力」の視点に力点を置く議論を展開しました。この背景には、日本が敗戦を受けて、共同体としていかに戦争責任を負うかという問題がありました。しかし、Dr. Kayeは、敗戦後の田辺の哲学的思索は、日本固有のものではなく、「人新世」の時代においてこそ新たな意味を持ちうる点を強調します。なぜなら、自然環境破壊をもたらす資本主義のもとでの人間の行いを根本的に修正するためには、「自力」に基づく理性の使用だけでは十分ではなく、取り返しのつかないレベルまで環境破壊を行ってしまったということへの認識が出発点とならねばならないからです。田辺の「懴悔道」の哲学は、このレベルを可視化させた点で重要性を持ちます。Q&Aでは、共同で負うべき責任倫理と「他力」の倫理との関係や、日本の敗戦後の文脈において「懺悔道」を考えることが「敗北」という現実をいかに受容するかという問題と密接に結びついていたということ、また、そのことが「人新世」の時代における「敗北」とは何かを考える必要があるということなどに議論が及びました。Dr. Kayeは、これらの質問に対して、「他力」は自力の挫折のあとにこそ力を持ち、それが新たな共同責任の基盤となりうること、また、日本の敗戦後にはアメリカ中心の資本主義の発展があったが、「人新世」の後にそうしたものがないかもしれないという危機意識が「懴悔道」の重要性を一層先鋭化させると応答しました。

 以上のように、この国際ワークショップでは、「人新世」の時代における日本哲学の可能性について多角的な視点が示されました。今回のワークショップでは、自然に対立する社会や人間、あるいは、責任倫理、自然概念などさまざまなレベルでの根本的な問い直しが必要である点が参加者の間で共有されました。

 閉会の辞では、Dr.松井が、今回のワークショップが非常に刺激的な哲学的対話の場になったことに感謝の意を表し、また、持続的にこうした対話を行うことを参加者との間で約束し、本イベントが締めくくられました。本イベントの開催に際してご協力・ご参加いただいた皆様には、この場を借りて深く感謝します。

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開会の辞を述べる小杉泰所長

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本ワークショップの参加者の様子

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会場でのディスカッションの様子(手前:Dr. Fernando Wirtz、スクリーン: Dr. Bradley Kaye)

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会場でのディスカッションの様子(手前:Dr. Dennis Stromback)

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会場でのディスカッションの様子

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会場参加者の集合写真