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2023.05.02

【レポート】第53回AJI研究最前線セミナーを開催しました!Dr.十河和貴が戦前日本の戦前日本の政党政治の変容過程について報告

 4月18日(火)、第53回AJI研究最前線セミナーをオンラインで開催しました。今回は、Dr.十河和貴(アジア日本研究機構 専門研究員)が“Prewar Japan’s Party Politics from the Perspective of Power Consolidation: Dynamics of the Interplay between ‘Human Factor’ and ‘Institution’”と題して発表を行いました。

 本発表では、「人的要因」 と 「制度」 のダイナミズムの観点から、戦前日本の国内政治における権力強化がテーマとして取り上げられました。はじめに、日本の憲法上、天皇は象徴的な権威を持っていた一方で、政府に対する中央統制権を持っていなかったことを説明しました。それと同時に、内閣総理大臣に閣僚を統制する権限がなかったことも指摘されました。また、Dr.十河の発表は、1930年代の軍部の政治的台頭を統制できなかった弱体な政権は結束を欠いていたことを分析的に示し、日本は明確な政治的な統一構造を持たないまま戦時体制に突入し、敗戦を迎えたことを浮き彫りにしました。

 発表のなかでは、矛盾を孕んだ憲法の弊害にもかかわらず、1910年代から1920年代にかけて、政党に権力者(元老)が権力を付与するかたちのもとで、民主的な政党政治が実現したことに焦点が当てられました。これらの元老たちはやがて世を去り、それによって深刻な派閥分裂を招きますが、それでも、政党政治の時代はある程度確固としたものとなりました。しかし、天皇が官僚人事を決定するという歴史的に重要な構図を維持することと、制度改革の統合を政治家個人のつながりに頼る政党政治と対立していきます。その結果として、日本政治は人的要因ではなく制度的要因によって首相の権限強化を追求していく過程を辿ります。しかしながら、人的要因をうまく活用できなかった制度改革は、結局すべて失敗してしまい、戦争とイデオロギー的な国民統合に頼らざるを得ない状況に陥っていきます。つまり、明治憲法の条文が抱えていた矛盾が一気に露呈した背景には、人的要因と制度のバランスの崩壊があったといえます。

 Dr.十河による戦前の日本政治の説得力のある発表の後、質疑応答が行われました。そこでは、日本の急速な産業拡大と強力な産業界のロビー活動、都市化の進展、今日の日本の政治に適用できる教訓など、他の要因の影響について議論が交わされました。時間が限られていましたが、参加者の間で政治的過程の社会史的背景を包括的に理解することは今後も重要になるという論点を共有することができた回となりました。

53thフロンティア写真
報告を行うDr.十河