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2023.09.14

【レポート】AJI International Workshopを開催しました! “The Dynamics of East Asian Politics and Diplomacy in the 1920s: The Intersection of International Cooperation and Imperial Expansion”

 2023年8月5日、立命館大学アジア・日本研究所の主催で、国際ワークショップ “The Dynamics of East Asian Politics and Diplomacy in the 1920s: The Intersection of International Cooperation and Imperial Expansion”が開催されました。

 当日は、日本およびヨーロッパ各国から、気鋭の若手研究者5名とコメンテーター1名をお迎えし、以下の通りの研究報告を行いました。

Dr. 久保田裕次(国士舘大学・准教授) : “Japan’s Advancement into the Middle and South China: From the First Sino-Japanese War to the First World War”

Mr. Lieven Sommen (PhD Program in Japanese Studies of the KU Leuven University (Belgium)): “On the Mediatization of the Japanese Ministry of Foreign Affairs, as Expressed in the Evolution of its Department of Information, 1921-1928”

Dr. Andrea Revelant (Associate Professor, Ca’ Foscari University of Venice): “A Voice of Conservative Imperialism: The Manshū Nippō and Conflict in China”

Dr. 十河和貴(本研究所・専門研究員): “Colonial and Overseas Development Policies of the Imperial Japan under the Internationalism: Reading Policies of the Kenseikai Cabinet from the Perspective of Cultural and Economic Integration”

Dr. 菅原健志(愛媛大学・准教授): “A ‘Watchdog in the Orient’? The Failure of the Anglo-Japanese Military Collaboration, 1905-1928”

Dr. Mahon Murphy (Associate Professor, Graduate School of Law, Kyoto University): Commentary

 国際協調主義と帝国主義の交錯という本ワークショップの全体テーマのもと、外交、経済、メディア、政治、軍事など各報告者のもつそれぞれの視点から、1920年代の東アジアをめぐる日本政治・外交のダイナミクスを多角的に捉える内容の興味深い報告がなされました。

 Dr. 久保田の報告は、日露戦争後から第一次世界大戦に至る時期における南進政策にフォーカスし、帝国日本が華南地域への軍事的・経済的進出と日英協調の共存をいかに実現しようとしたのかを明らかにするものでした。英国が多くの権益を有していた華南地域をめぐる、帝国主義と国際協調の錯綜がいかに難問題であったのかが伺え、南進の文脈から対華二十一箇条要求がもつ意味に迫る、充実した発表がなされました。会場からは、近代日本における北進政策と南進政策、軍事的進出と経済的進出の特徴や相違点などについて質問が寄せられました。

報告を行う久保田裕次准教授
報告を行う久保田裕次准教授

 Mr. ソメンは、外務省情報部に焦点を当てた発表を行いました。情報部は、第一次世界大戦後において世界的に進められた情報活動の制度化の潮流のもと、1920年に設置された機関でしたが、所期の目的を果たせなかったとみなされてきました。それに対しMr. ソメンは、欧米の最新の先行研究における「外交のメディア化」という観点を援用することで、情報部が外務省の宣伝活動において重要な役割を果たしていたことを明らかにしました。会場からは、外務省による民間への資金援助や、外務省の人的ネットワークなど、重要な論点から議論が交わされました。

報告を行うLieven Sommen氏
報告を行うLieven Sommen氏

 Dr. レヴェラントは、『満洲日報』の組織構造と言説を分析することで、1920年代の複雑な中国情勢下における在満州日本人の「声」を再現する報告を行いました。日本の政党政治との関連性に注目することで、立憲民政党内閣時にも立憲政友会の影響力が満洲日報社に残り、保守的・帝国主義的な言説が貫かれていたことを明らかにするなど、国内政治と出先の言論空間との関係性に迫る興味深い内容でした。質疑応答では、『満洲日報』のメディアとしての目的や、満州現地の人々とのネットワークについて、活発に議論が交わされました。

報告を行うAndrea Revelant准教授
報告を行うAndrea Revelant准教授

 Dr. 十河は、1924年から1927年にかけて政権を担当した、憲政会内閣の植民地統治方針と外交政策の関連性について発表を行いました。そこでは、台湾の南洋への経済発展政策、満州に在住していた朝鮮人の発展政策に対する憲政会の方針が、国際協調を基軸とする幣原外交と密接に連関していたことが示されました。会場からは、憲政会の後身である立憲民政党内閣期との関連性や、文化的な植民地統治による対外発展政策の実現可能性について質問が寄せられました。

報告を行うDr.十河和貴
報告を行うDr.十河和貴

 Dr. 菅原は、1910年代から1920年代にかけての国際協調の文脈を、日英軍事協力の観点から分析しました。日英双方の視点を取り入れたことで、両国とも軍事協力の必要性や意義を認識していたものの、日本とイギリス双方の政策立案者間における内部対立と、インドを重視する大英帝国と中国を重視する大日本帝国の思惑のすれ違いから、1920年代において失敗に至ったことが指摘されました。質疑応答では、日本にとっての日英軍事協調がもった意味や、貿易政策など他の外交的な国際協調のあり方との関係性など、軍事協調の位置づけに関する質問が寄せられました。

報告を行う菅原健志准教授
報告を行う菅原健志准教授康

 以上の発表内容を踏まえ、コメントのDr. マーフィーは、日本の帝国経営という観点から全体の議論の関連性を説明するとともに、今後より議論を発展させていくための論点を提示しました。とりわけ、全体の議論において欠けていた、帝国の安全保障装置としての警察行政の役割や、東アジア現地に在住していた人々に対する日本政府の認識、1920年代の国際協調を考えるうえで重要な役割を果たした国際連盟をどう捉えるかなど、非常に建設的・発展的な論点が提起されました。これに対し、各報告者から応答があったのち、近代日本が帝国主義国家となったことがもつ意味についてなど、根源的な問題についても報告者の見解が述べられました。非常に充実した質疑応答の時間を経て、本ワークショップは締めくくられました。

コメントをするMahon Murphy准教授
コメントをするMahon Murphy准教授

ワークショップでのディスカッションの様子
ワークショップでのディスカッションの様子