『アジアと日本 食と味覚の旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧

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第6回 タイにタイ料理店はない?(タイ)

片岡樹先生のお写真
地鶏と自撮りする著者
片岡樹(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 教授)
タイではタイ料理店に行かない?

 私は主にタイでフィールドワークを行ってきた。しかし改めて考えてみると、自分があまりタイ料理店に行っていないことに気づく。タイにいるときも、日本に戻ってからも、あまりそういうお店に行かないまま今に至っている。

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東部チャンタブリ名物の魚の辛いスープ(左)とマンゴスチンサラダ(右)

 タイでタイ料理店に行く機会が少ない理由は、実は簡単である。ためしにガイドブックを開いてみるとよい。タイ料理店として紹介されているのはそのほとんどが高級ホテル内のレストランで、ようするに外国人富裕層の観光客向けである。実際に市内では、タイ料理という看板を掲げる食堂にはなかなかお目にかかれない。

 ここであることに気づく。人は自分たちの国の食べ物にはいちいち名前をつけない。タイ料理というくくりがほしいのはあくまで外国人の都合である。我々だって、焼き鳥屋や寿司屋やそば屋に行くが、いちいちそれが日本料理かどうかなど考えはしない。日本料理もタイ料理も、どちらかといえば外国の目から見た名づけである。

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北部で作られている嚙み茶ミアン。茶葉を漬け込んで作る広義の食用茶である

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北部ミャンマー国境の軽食屋台。右端は豆腐ではなく米粉をくず餅状に固めたもの

タイの専門店たち

 ではどこに行けば、我々が考えるような、いかにもタイ料理と思われるものを食べられるのか。タイ料理店という看板がないからといって、タイ料理が存在しないということにはならない。我々が知っているタイ料理は、実際にはほかの名前で看板を出しているのである。そこにはいくつかの組み合わせがある。日本でいえば、そば屋のうどんと親子丼やカツ丼、ラーメン屋の炒飯と餃子、焼き鳥屋の各種居酒屋メニュー、お好み焼き屋の焼きそば——そういうのを考えてもらえばいい。だからその組み合わせがわかれば、どういう看板を出しているお店でどういうタイ料理が食べられるかはだいたいわかるようになる。以下にいくつかその例を挙げよう。
・カレーご飯屋さん(カーオケーン):タイカレー+一部炒め物+カノムチーン(米粉で作ったそうめん)
・なんでも食堂(アーハーン・ターム・サン):卵焼き、肉野菜炒め、焼き飯など中華鍋料理+米粉麺炒め(パッシーイウ=醬油炒め/ラートナー=あんかけ。ただしラートナーについては専門店あり」。
・麺類屋(クイティオ、バミーなど)、カーオマンカイ屋、アヒル屋:専門店もあるが、これらをすべて扱う店も多し。そうした店では豚足ご飯(カーオカームー)、焼き豚ご飯(カーオムーデーン)、揚げ豚ご飯(カーオムークロープ)もしばしば提供される。
・イサーン(東北タイ)料理屋:焼き鳥+ラープ(ひき肉サラダ)+ソムタム(青パパイヤの和え物)+もち米。
・タイスキ屋:タイスキ+点心+アヒル
・パッタイ屋:パッタイ(米粉麺のタイ風炒め)+ホーイトート(ミドリガイのお好み焼き風炒め)
・カーオソーイ屋:カーオソーイ(ココナツミルク入りのカレー味の中華麺)+カーオモッカイ(サフランライスに煮込んだ鶏をのせたもの)。しばしばイスラム教徒が経営者で多くの場合豚肉料理を欠く。

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カレー屋にはカレー以外にもさまざまな料理が並ぶ

 組み合わせがあるということは、組み合わせのパターンがある程度限定されていることでもある。簡単に言えば、同じテーブルにカーオソーイとカーオマンカイと焼きそばとソムタムが並ぶ場面というのはまずないのである。しかしこれは日本では実現する。上記のジャンルはすべて「タイ料理」の一言でまとめられるからである。私が日本でタイ料理店にあまり行かない理由は、このあたりの違和感にあるのかもしれない。

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北部名物カーオソーイ

 この光景は、タイの日本料理店とある意味で同じものになる。タイにはレストラン富士など、いくつか老舗の日本料理店がある。そこのメニューは、お寿司に始まり、うどん、そば、ラーメン、カレー、天ぷら、カツ丼、親子丼、お好み焼き、たこ焼き、豚生姜焼き定食、焼き魚定食、焼き鳥、刺身などなど。日本ではやはり、これらが同じテーブルに並ぶ場面はまず考えられない。料理はジャンルごとに専門化していて、そこでの組み合わせもある程度固定されているからである。これを言い換えると、日本では日本料理という名前の代わりに専門化されたジャンルで看板を出すのに対し、タイでは日本料理という一枚の看板の下に、日本人が好きそうな料理のすべてを放り込むのである。

タイ料理店が発展的に消滅する未来へ

 日本料理店は日本ではなくタイにあり、タイ料理店はタイではなく日本にある。しかしこの構図が近年急に変わり始めている。ここ20~30年のタイでの日本食ブームにより、現在はほとんどすべてのショッピングモールに日本の外食チェーンの支店が入り、町でも日本の食べ物を扱う店は地元客でにぎわう。しかし、日本の外食チェーンの支店が入る、ということは、「日本料理」という大雑把な看板ではなく、ラーメン屋、うどん屋、寿司屋、居酒屋などの業態に専門化するということである。実際に現在のタイでは、上記のレストラン富士のような日本料理店はむしろ例外的少数派になりつつあるのである。

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トムヤムうどん。日系うどんチェーンのタイ支店の名物料理

 そう考えてみると、日本のタイ料理屋がタイ料理屋を名乗っている現状は、今後大きく変わっていく可能性がある。日本人がこの国の食文化によりなじんでいくにつれ、タイ料理屋という現在の看板が、ソムタム屋やカーオマンカイ屋へと分解していくのかもしれない。おそらくそのときにタイ料理が真に日本に根づいたことになるのだろう。

(2025年12月1日)
〈プロフィール〉
片岡 樹(かたおか・たつき)
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授。専門は東南アジア研究、文化人類学。主な著作に『タイ山地一神教徒の民族誌:キリスト教徒ラフの国家・民族・文化』(風響社、2007年)、『アジアの人類学』(共編、春風社、2013年)、『はじめての東南アジア政治』(共著、有斐閣、2018年)など。