『アジアと日本 食と味覚の旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧
第7回 ビュッフェに向かって走れ――パキスタンにおける結婚式と宴(パキスタン)
須永 恵美子(京都産業大学文化学部 准教授)
パキスタンでフィールドワークをしていると、頻繁に結婚式にお招きされる。友人やその親戚はもちろん、知り合いの知り合い程度の人から「週末に結婚式があるのでぜひ来てくれ」と気軽に誘われることもしばしばだ。
結婚式では、人に認めてもらうこと・祝ってもらうこと自体が至高の価値とされるので、参列者は多ければ多いほど喜ばれる。御祝儀は不要で、スピーチや余興を準備する必要もない。ドレスコードは厳しくなく、多少お洒落をすれば十分である。参列者に求められているのは式に参加し、結婚を見届けることに尽きる。その御礼に、婚家は食事を振る舞う。
過ごしやすい冬は結婚式のハイシーズンで、一晩に2件の披露宴をハシゴすることも珍しくない。筆者が参加した中で最も大規模だったのは、800人が参列したカラチの結婚式だった。しかも、本来は1000人を招待していたらしいが、良い日取りだったために他の祝いの席と重なってしまったという。とはいえ、一般的には100人単位の参列者数である。都市部のラホールやカラチでは結婚式専用ホールを借りることが多く、大広間には丸テーブルがずらりと並ぶ。
お式は夕方から夜に開催されるが、会場には受付や記帳がなく、出入りも自由である。参列者は空いている席に座る。時間におおらかなお国柄で、招待状の案内通り20時に集まったらまだ誰もいなかった、というのは日本人駐在員からよく聞く話だ。商業都市のカラチは特に宵っ張りで、実際に食事が振る舞われたのは23時近くということもあった。
ジャスミンの花と電飾で飾り付けられた結婚式会場。奥ではビュッフェ台の設営が進む(2019年8月 カラチにて)
パラパラと集まったゲストは談笑しながら花嫁・花婿を待つ。筆者は婚姻の儀式が見たくてステージに張り付いているが、多くのゲストは結婚式慣れしているのか、テーブルごとにくつろいでいる。
婚姻の儀式が終わると、会場のスタッフが一斉に料理を並べ始める。食事はビュッフェ形式で、ホール裏で用意したものを銀のトレイで運び込む。会場中の参列者は我先にとビュッフェ台へ向かい、たっぷりと盛り付けた食事で空腹を満たす。
ビュッフェ台で料理を盛り付ける参列者(2013年8月 ラホールにて)
婚礼料理の定番
日本の結婚式の食事がフレンチのコースや会席料理であるのに対し、パキスタンではどこまでいっても「パキスタン料理」だ。しかも、ラマダーン月(断食月)の夕飯やお呼ばれの食事など、ちょっと華やかな場面で食べられる定番料理が並ぶ。
主食:ビルヤーニー、ナン
肉料理:チキン・カラーヒー(カレー)、チキンティッカ(BBQ)
デザート:グラーブジャムーン(シロップ漬けドーナツ)
ドリンク:瓶入りジュース(コーラやスプライト)
左:ビルヤーニー(2018年1月 カラチにて)、中央:焼きたてのナンを提供するスタッフ(2018年1月 カラチにて、右:ドリンクとデザート(2013年8月 ラホールにて)
会場の規模にかかわらず、基本的な料理構成は大きく変わることはない。日本のパキスタン・インド料理店でも見かけるメニューばかりだ。さらに、次のような料理も出るとかなり豪華である。
肉料理:シーフカバーブ(BBQ)、マトン・コールマー(カレー)
副菜:フルーツサラダ、トマト・キュウリ・玉ねぎを切ったサラダ
デザート:キール(ミルクプリン)、ハルワー(人参やセモリナ粉のプリン)、ラスマラーイー(ミルクシロップ漬けケーキ)
ドリンク:チャエ(ミルクティー)
結婚式で時折見かける珍しい料理としては、牛乳を練り込んだ甘いナン(シールマール)、ナッツや干しブドウ入りの甘いご飯(ザルダ)があり、日本のお祝いのおまんじゅうやお赤飯にあたる存在だ。
シールマール(2018年1月 カラチにて)
食事を終えると、ゲストは両家に挨拶をして次々に退席する。空いたテーブルは会場スタッフによってすぐに片付けられ、新たに到着した参列者が席につく。
共に食べることの意味
何日も続く結婚式と何百食分の料理は、参列者の胃袋だけではなく両家の財政的負担にもなる。しかし食事が足りなくなろうものなら、ゲストから不評を買うので悩ましい。
パキスタン政府は、結婚式の過剰な出費やエネルギー不足を抑えるために規制を強めている。パンジャーブ州では、夜10時以降の結婚式を禁止し、ワンディッシュ制という条例も施行された。婚礼料理をビルヤーニーや肉料理など「一皿」に制限する内容だ。
それでも、自慢の息子・愛する娘を盛大にお披露目したい両家の情熱は抑えきれず、こうした条例は何度も有耶無耶にされてきた。イスラームの結婚式において、本質的に「豪華なディナー」が求められているわけではない。むしろ大切なのは、一緒に祝ったという経験そのものである。親戚・友人・近隣の人々が一堂に会し、同じ料理を分け合って食べる。その場を共有することこそが、祝福の証であり、共同体の絆を確かめる行為なのだ。
【参考文献】
須永恵美子「世界の冠婚葬祭を訪ねる:パキスタン」川田牧人・松田素二編『世界の冠婚葬祭事典』丸善出版、pp. 158-161、2023年12月(ISBN: 978-4-621308417)。
須永 恵美子(すなが・えみこ)
京都産業大学文化学部准教授、立命館大学アジア・日本研究所客員研究員。博士(地域研究、京都大学)。専門はパキスタン地域研究、デジタルヒューマニティーズ。主な著書に、『現代パキスタンの形成と変容:イスラーム復興とウルドゥー語文化』(ナカニシヤ出版、2014年)、須永恵美子・熊倉和歌子編『イスラーム・デジタル人文学』(人文書院、2024年)。最近の論考に、「異なることばをつなぐ言語:インド洋世界におけるウルドゥー語の役割」(黒木英充・後藤絵美編『イスラーム信頼学へのいざない』東京大学出版会、2023年)、「日本の中東・イスラーム研究者のコネクティビティを可視化する:謝辞から読み解く研究史」(熊倉和歌子編『デジタル人文学が照らしだすコネクティビティ』東京大学出版会、2025年)など。