『アジアと日本 食と味覚の旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧

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第10回 オリーブとともに生きる人びと(パレスチナ)

山本健介先生のお写真

山本健介(静岡県立大学国際関係学部 講師)

パレスチナの象徴

 Netflixの人気ドラマ『Mo』(2022–2025)は、アメリカで暮らすパレスチナ難民の日常をコミカルに描いた作品だ。何かとトラブルに巻き込まれがちな主人公が、友人や家族に支えられながら困難を切り抜けていくストーリーは痛快であり、その姿からは不安定な境遇を生きるパレスチナ難民のたくましさも感じられる。

 作中で随所に登場し、物語を支えるモチーフになっているのがオリーブである。主人公の母は「何か困ったときにはオリーブオイルを使いなさい」と息子に言い聞かせ、体調のすぐれない息子の顔に塗ってみせる。主人公自身も母の影響からか、お気に入りのオリーブオイルを小瓶に入れて持ち歩く。そして、物語が進むにつれて、オリーブの栽培や搾油は主人公の家族を結び付ける重要な役割を担っていく。

 パレスチナ人と接点のない視聴者にとっては、なぜオリーブがそれほどまでに特別な存在なのかという疑問が湧いてくるかもしれない。

 地中海性気候に適したオリーブは、ヨルダン川西岸地区を中心にパレスチナ各地で栽培されている。丘陵地帯に足を運べば、オリーブの木が連なる段々畑をそこかしこに見ることができる。パレスチナと言えば、岩のドームや嘆きの壁、聖墳墓教会など、三大一神教に縁の深い名所を思い浮かべる人が多いかもしれないが、オリーブ畑はそれらに勝るとも劣らないパレスチナの象徴的風景である。

オリーブがなければ始まらない

 「あなたにとって一番身近な食材は何か」。そう尋ねられて「オリーブ」と答えるパレスチナ人は少なくないだろう。やや大袈裟に言ってしまえば、オリーブオイルや塩漬けオリーブがなければ、パレスチナ人の食生活は成立しない。

 パンのお供と言えば、ザアタル(数種のハーブやスパイスを混ぜた調味料)やチーズと並んで、オリーブオイルと塩漬けオリーブが定番である。多くの料理では、炒め油としてまずオリーブオイルが使われるし、塩漬けオリーブは、前菜としても、また肉料理の合間に口をさっぱりさせる「箸休め」としても活躍する。パレスチナ人がこよなく愛するフンムス(ひよこ豆のペースト)も、仕上げにたっぷりのオリーブオイルをかけてはじめて完成する。さらに、マクドゥース(胡桃などを詰めたナスのオイル漬け)など、オリーブオイルに浸した保存食品も食卓には欠かせない。

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肉料理の脇に添えられた塩漬けオリーブ(2018年、パレスチナ・エルサレム)

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オリーブオイルがかけられたフンムス(2023年、パレスチナ・エルサレム)

 だが、オリーブは食材として利用されるだけではない。オリーブの木は硬く割れにくいことから、スプーンや小箱などの木工品に加工され、広く日用品の素材として用いられてきた。オリーブを用いたイエスやマリアの木彫り像、ロザリオ、十字架などは巡礼者や観光客に人気の土産物であり、特にイエス生誕の地であるベツレヘムの工芸品として知られている(ムスリムが使用する礼拝用ビーズの素材にオリーブが使われることもある)。また、食用以外のオリーブの利用としてはオリーブオイルを使った石鹸も有名だろう。日本国内で流通しているものはシリア産が多いが、パレスチナでオリーブ石鹸の生産地と言えばナーブルスである。ヨルダン川西岸の北部に位置するナーブルスはダマスカスやアレッポなどシリアの各都市と歴史的に結びつきが深い。

オリーブの木を囲む人びと

 このようにパレスチナ人の生活を様々な形で支えるオリーブは、毎年10月から11月頃に収穫される。オリーブの収穫はパレスチナの歳時記において重要な地位を占めている。家族総出の一大イベントであり、身体の丈夫な若者たちの協力が欠かせない(日本の例で言えば米の収穫に似ている)。人手不足に苦しむ家庭も少なくないため、筆者のような外国人が収穫の助っ人として招集されることもある。パレスチナでは、オリーブの木の下にシートを敷き、枝を棒でたたいて実を落とす収穫方法が一般的だ。作業は単純ながらかなり疲労が溜まる。シートの上に散らばったオリーブの実をまとめて運ぶ工程も量が増えると重労働である。

 そんな収穫の昼食でしばしば振る舞われるのがパレスチナの伝統料理であるマクルーバだ。肉や野菜が入った炊き込みご飯であるマクルーバは、アラビア語で「ひっくり返す」を意味する料理名の通り、鍋を反転させて盛り付ける。大皿から皆でつつくマクルーバの味は格別である。休憩のあいだにコーヒーや紅茶を片手に世間話に花を咲かせるのも親族団らんの趣深い風景である。オリーブの収穫は人びとを結びつける温かい時間でもある。

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オリーブの収穫(2016年、パレスチナ・エルサレム)

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マクルーバの盛り付け(2016年、パレスチナ・エルサレム)

嵐の中で大地にしがみつく

 しかし、パレスチナ人の生活文化に根付くオリーブもパレスチナの紛争と無関係ではいられない。ヨルダン川西岸地区ではパレスチナ人が所有するオリーブ畑をユダヤ人の入植者が襲撃する事件が繰り返されている。秋のオリーブ収穫期などに、武装した入植者から暴行を受ける例もよく報告されている。さらに、イスラエル軍が「安全保障上の理由」からオリーブ畑への立ち入りを制限したり、農地を接収してしまったりすることもある。こうした被害を抑えるために、収穫期以外にも外国人やイスラエル人のボランティアがオリーブ畑の維持・管理を手伝うことは多いが、それでもパレスチナ人の身の安全は守れない。

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オリーブ畑を歩く入植者とそれを見つめるパレスチナ人の子ども(2013年、パレスチナ・ヘブロン)

 オリーブはしばしばパレスチナ人自身の境遇と重ねて語られる。農地が没収され、オリーブの木が引き抜かれる光景は、イスラエル建国とその後の占領・併合のなかで土地から引き剝がされてきたパレスチナ人の苦難を想起させる。そして、大地に深く根を張って数百年も生き続けるオリーブの木は、先祖伝来の土地に留まり続けようとする強い意志を象徴する。オリーブの木や畑が荒らされることがパレスチナ人の心を揺さぶるのは、生活文化の中心として大きな存在感を持っているからというだけでなく、オリーブそのものがパレスチナ人としての自己意識と不可分に結びついているからなのだろう。

(2026年1月6日)
〈プロフィール〉
山本健介(やまもと・けんすけ)
静岡県立大学国際関係学部講師。パレスチナ問題、中東政治を専門とする。最近の著書論文に“Israel’s Ongoing Annexation of East Jerusalem: Oppressing Palestinian National Sentiments before and after the October 7” (Hiroyuki Suzuki and Keiko Sakai, eds. Gaza Nakba 2023–2024: Background, Context, Consequences, Springer, 2025)、「エルサレムの聖地管理権をめぐる軋轢:第一次トランプ政権の中東和平政策とヨルダンの苦悩」(鶴見太郎・今野泰三編『帝国と民族のあいだ:パレスチナ/イスラエルの重層性』東京大学出版会、2025年)、『聖地の紛争とエルサレム問題の諸相:イスラエルの占領・併合政策とパレスチナ人』(晃洋書房、2020年)など。
https://researchmap.jp/k-y-k-y-1119