『アジアと日本 食と味覚の旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧
第12回 ヨルダン料理マンサフと出会ったある政治研究者の回想(ヨルダン)
渡邊 駿((一財)日本エネルギー経済研究所中東研究センター 主任研究員)
マンサフとの出会い
ヨルダンの国民的料理と呼ばれる料理として、マンサフがある。マンサフはジャミードと呼ばれる乾燥発酵ヨーグルトのソースでヤギや羊の肉を柔らかく煮込んだ料理である。日本で生まれ育った人々にとってはジャミードの独特な香り、味わいにとっつきにくさがあるものの、お米と一緒に出されるのが通常であり、その面では食べやすい料理であるといえる。
私自身、初めてマンサフを食べたのは2013年夏、首都アンマンのダウンタウンにある観光客向けの庶民的なレストランにおいてのことであった。大学院に入学し中東地域研究の門を叩いて半年、ヨルダン政治研究者としての一歩を踏み出した時である。これが私にとって初めてのヨルダン訪問、さらには初めての中東訪問であり、目に映るもの全てに目を白黒させていた。そこに現れたのがマンサフである。食べ盛り(?)の20代前半男性には肉と米の組み合わせは大いに食欲をそそらせるものでありながら、独特の香りに警戒心が呼び起こされ、初めて食べた時はなんとか完食する程度であった。ちなみに、観光客向けレストランだったということもあり、カトラリーを使って食べたことを記憶している。
しかし、前述の通り、マンサフは本来、おもてなしやお祝い事で供される料理である。現地調査の経験を重ねる中で、人々が集い、マンサフが供される場に遭遇する機会が増えていった。その中で私の印象に強く残っているのは選挙集会でのマンサフの提供である。集会の参加者向けにマンサフが振る舞われたのである。
2016年8月、ヨルダン国民議会選挙を翌月に控えた頃のことであった。ヨルダンは国王が強大な権力を持つ権威主義国家であるが、民選の国民議会も存在しており、複数政党制の選挙が35年以上にわたって続いている。権威主義体制のもとで議会が発揮できる権限が限られる中、国民議会選挙の候補者や政党はどのような訴えを行い、どのように人々の支持を集めようとしているのだろうか。こうした点に関心を持った私は、いくつかの異なる候補者、政党の選挙集会に足を運んでいた。
大皿を囲んで語らう
その中で訪れたのが首都から少し外れた、郊外のある町での選挙集会である。首都アンマンで見られるような政治イデオロギーを全面に出した候補ではなく、伝統的、保守的な候補者による集会であった。集会は夕暮れ時から始まり、支援者、そして候補者が演説を行っていく。候補者の演説にはあまりイデオロギー色は見られず、郷土や国民への思いがうたわれ、また、多くの人々が同意するような合意争点(valence issue)への言及が多くを占めた。そして、演説会の終了後、演説会会場の後ろのテントにていくつもの大皿で大量のマンサフが供されたのである。
人々は机に置かれた大皿を囲み、マンサフを手でつつく。そこに自然と会話が生まれていく。「伝統的な」ヨルダンの社会を体現するような選挙集会のあり方に、候補者の主張が見え隠れするように感じられた。
同時期に私は首都アンマンでもいくつかの候補者演説会に参加したが、このようなマンサフ・パーティーには遭遇しなかった。リベラルその他非保守派の候補者の場合は、あえてマンサフを提供しないことによって、保守派候補との差別化を図ったのかもしれない。単に、伝統的、保守的な候補者の方が選挙資金が豊富であり、マンサフを提供するだけの余裕があったのかもしれないが。
ちなみに、マンサフはカトラリーを使わず、手で食べるのが伝統的なやり方である。お皿の上に肉が載った状態で供されるが、そこにたっぷりとジャミードのソースをかけ、右手で肉やお米を取って食べる。お米は軽く握ってまとめて食べるのが通例だ。私も周囲の参加者に教わりながら手でお米を握ったのだが、なかなか難しい。ジャミードのソースとお米の量をいい塩梅にするのが、うまくお米を握ってまとめる上でのコツだと思われる。苦戦する私に優しく教えてくれつつ、周りの人々は右手だけで器用にお米を握って口に運んでいたのがとても印象的であった。
その後、私は選挙集会以外でも結婚パーティーなど様々な場でマンサフを囲む機会をいただき、その度に右手での食事にトライしている。とはいえ、あまり上手とはいえないし、手が汚れるのも面倒なので、レストランではついカトラリーを頼んでしまう。私がヨルダン伝統を極めるための道のりはまだ長そうである。
関連論考
渡邊駿「サッカー・アジアカップとマンサフ」『JIME研究余滴』、2024年1月31日
https://note.com/jimecenter/n/n62ba896e9848
渡邊 駿(わたなべ・しゅん)
(一財)日本エネルギー経済研究所中東研究センター主任研究員。専門はヨルダン現代政治研究。東アラブ諸国の政治・外交・安全保障動向、中東地域の治安動向の分析にも取り組む。主な著書論文に『現代アラブ君主制の支配ネットワークと資源分配:非産油国ヨルダンの模索』(ナカニシヤ出版、2022年)、「現代ヨルダン権威主義体制におけるクライエンテリズムの頑強性:2010年代の選挙制度改革の分析から」(『日本比較政治学会年報』第24号、2022年)、「内政:君主主導の改革ビジョンをめぐるヨルダン政治の展開」(中村覚編『君主制諸国』ミネルヴァ書房、2023年)など。