『アジアと日本 食と味覚の旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧
第13回 チベット風ヤク肉拉麵について(中国青海省)
喬旦加布(中国青海民族大学チベット学院 准教授)
拉麵(ラーメン)とは?
中国の拉麺といえば、多くの人が「蘭州拉麺」を思い出すだろう。近年、中国本土だけでなく、日本、韓国、アメリカ、ヨーロッパなど世界各国に店舗がオープンしており、東京や大阪などの大都市では本場の「蘭州拉麺」を味わうことができる。それらの店舗のほとんどは中国人によって運営されている。
豚肉を使わず牛骨・牛肉でとったスープが特徴の牛肉拉麺の故郷は、中国西北部に位置する甘粛省や青海省である。西北部の大部分は黄土高原や青蔵高原(チベット高原)といった標高の高い地域で、小麦や大麦以外は米などの農作物が栽培できないため、この地域の人々は昔から米を食べる習慣がなく、主食はパンと麺類となっている。青海省にはさまざまな少数民族がいるがチベット族の割合が高く、周辺のモンゴル族や土族、回族なども麺類とパン、羊肉などを好む。
青海省の農村部では、客を家に招待する際、昼は焼いたパンと野菜炒め、夜は茹でた骨付き羊肉やヤク肉、またはそのスープで作った拉麺や千切り麺などでもてなし、大麦で作った蒸留酒「青稞酒」で歓待する。
かつて、日本の友人が青海の我が家に約一週間滞在した際、「どうしても米を食べたくなり、米を食べないと落ち着かない」と話していたが、逆に、私たちチベット人が日本にしばらく滞在すると、どうしても麺類を食べたくなる。留学時には、同郷の友人たちと何度も大阪の日本橋駅近くの蘭州拉麺屋に食べに行ったものである。
青海の人々にとって「牛肉拉麺」は、身近な家庭料理であり、郷土料理でもある。町中に拉麺屋が点在するだけでなく、学校や職場の食堂にも拉麺売り場が設けられており、特に朝食や昼食のように短時間で食べ終えられる場として人気が高い。
そのほとんどは、甘粛省や青海省出身の回(フイ)族、サラール族、東郷(ドンシャン)族、保安(バオアン)族などのイスラム教徒によって運営されるハラールレストランである。
中国の拉麺は、適度の硬さ小麦の練り粉を引っ張って延ばして作る。牛肉拉麺の特徴は「一清(スープ)、二白(大根)、三紅(ラー油)、四緑(香菜・ニンニクの芽)、五黄(麺の黄金色)」を製作基準とし、麺の太さによって毛細、細、二細、三細、韭葉など9種類に分類される。スープは澄んで香り高く、大根の薄切りは真っ白、ラー油は鮮やかな赤、添え物の野菜は鮮やかな緑、手作りの麺は滑らかで黄金色を帯びており、独特の風味と豊富な栄養で消費者にも高く評価されている。
消費習慣としては、伝統的に牛肉拉麺は店内飲食が主流で、多くの都市住民の朝食や昼食の定番となっている。牛肉拉麺は、都会の人々が一日を始める定番のスタイルと言える。
チベット風ヤク肉拉麺の軌跡
従来、チベット料理は高い標高に由来する独特の食材と調理法で知られ、ツァンパ(炒った大麦の粉)、バター、チーズ、ヤク肉、羊肉、バター茶などが代表的なメニューである。中国のチベット料理店は依然としてチベット人の家族や個人レベルで運営されており、そのほとんどがチベット人居住地域や都市のチベット人コミュニティが形成されている地域に集中しているため、顧客の大部分はチベット人となっている。
これから紹介するチベット風ヤク肉拉麺は、蘭州拉麺と調理法や味などはほとんど同じであるが、黄牛肉ではなくヤク肉を使用するところが違う。四千年という長い歴史の中で、青海の拉麺は周辺民族の要素を取り入れながら発展してきたと考えられる。
近年、特にチベット地域を中心にヤク肉拉麺屋が急速に発展してきており、その中で人気を集めているのが「ソタンヤク肉拉麺屋」である。ブランド名の「ソタン」は、チベット自治区山南市ソタン地方にある畑に由来する。この畑はチベットの歴史上最初の畑と言われており、その近くにはチベット人のルーツとされる神山や吐蕃王国最初の宮殿であるヨンブラカン宮が存在する。店名に「ソタン」を使用するのは、チベットの伝統文化を継承し、大自然に敬意を表すためである。
2021年、チベット人インフルエンサーの放牧快楽(本名:ジュバ)がインスタントのチベット風ヤク肉拉麺を開発・販売し、チベット人を中心に人気を博した。これがソタン拉麺店のスタートとなった。
2024年7月になると、放牧快楽とチベット人インフルエンサーのツェムファらの協力を得て、青海省同仁県に最初のソタンヤク肉拉麺店がオープンした。その後、チベット人の若手起業家たちの加盟により、甘粛省、四川省、チベット自治区などのチベット人居住地域に相次いで店舗がオープンし、現在までに全国で40店舗以上を展開し、従業員約1500人を擁している。「ソタンヤク肉拉麺店」は品質の均一性を確保するため、ブランド本部が秘伝のスープベースと統一された香辛料レシピを提供し、調理師個人の技術への依存度を低減している。また、ヤク肉拉麺には豊かな西北部の食文化が凝縮されており、文化がブランドに付加価値をもたらしている。
なぜチベット風ヤク肉拉麺が人気なのか?
チベット風ヤク肉拉麺は、長い歴史の中で周辺民族の食文化の要素を吸収しながら発展し、地域独特の味から都市の人々に好まれる味へと進化してきた。ヤク肉はチベット風拉麺の核心食材であり、その供給状況は製品の品質とコストに直接影響を与えている。
ヤクは主に青海・チベット高原地域、すなわち青海省、チベット自治区、甘粛省甘南チベット族自治州、四川省アバ・チベット族チャン族自治州などの高寒牧草地帯で飼育されている。一般的な黄牛に比べ、ヤクの生育環境は天然で無汚染であり、肉質は柔らかく赤みが強く、タンパク質や微量元素が豊富で脂肪分が少ないため、高原の「天然有機牛肉」と称えられている。また、アミノ酸を多く含み、免疫力向上などの健康効果があり、栄養価は普通の牛肉をはるかに上回る。人々の健康意識の高まりに伴い、ヤク肉はさらに支持を集め、ヤク肉拉麺に「健康で美味しい」というイメージが定着した。これにより、周辺民族のチベット料理に対する評価も変化してきたと思われる。
チベット人における黄牛の肉の食事禁忌
じつは、チベット文化には牛に関する飲食禁忌と生命尊重の理念が存在している。これはチベット族が広くチベット仏教とボン教を信仰していることと関連しており、これらの宗教は殺生を禁じ慈悲を重んじるため、チベット農村部では一般的な牛肉、特に耕作牛の肉を避ける傾向がある。
また、チベットの食文化は羊肉・牛肉と乳製品を中心としているが、牛肉といえば黄牛ではなくヤク肉を指す。これは牛への敬意を反映している。ヤクを殺すのは耕牛より罪が軽く感じるものの、一般的には殺生を控え、ヤクを回族などのイスラム教徒の商人に売り、市場から高価でヤク肉を買う人が多い。チベットの農村では、耕牛は耕作や運搬に活用される農業生産の要であり、耕牛を保護することは生計維持の必要性に合致している。
もう一つの理由は、青海省のチベット人の中にはアニ・ユルㇻ神(道教の神)を信仰する人々がいることだ。彼らには、一生黄牛の肉を食べてはいけないという禁忌が存在する。これは神の由来に関する伝説に関連している。アニ・ユルㇻ神は幼少期に両親を失い孤児になった際、黄牛の牛乳で育てられたという伝説があり、黄牛の肉を食べるとその神が怒る恐れがあるため、牛肉を食べることを避ける習慣が定着しているのである。
近年、チベットの飲食業は、単なる家族や個人による小規模運営から、若手起業家たちによる共同経営の拉麺加盟店主導の形へと変化している。そして、伝統的なチベット人居住地域やチベット人コミュニティを超え、都市に積極的に進出している。この変化の背景には、人々のチベット料理の食材へのこだわりや衛生観念の変化、TikTokやWeChatなどSNSを通じた情報共有の普及、さらにはチベット人独自の飲食禁忌、それにチベットヤク肉拉麺に対するアイデンティティの確立などが考えられる。
喬旦加布(チョルテンジャブ)
中国青海民族大学チベット学院准教授(文学博士)。専門はチベット地域研究、文化人類学。主な著書論文に、『ワォッコル村の祭祀と儀礼』(白順社、2024年)、「チベットアムド地域におけるルロ祭の社会的意義について」(『日本チベット学会々報』60号、2014年)、「チベットアムド地域におけるシャーマン的職能者「ハワ (lha ba)」についての考察」(『日本チベット学会々報』61号、2015年)、「レプコン芸術の無形文化遺産登録とその後の動態:中国青海省同仁県における考察」(『国立民族学博物館調査報告』136号、2015年)、「チベットアムド地域における人生儀礼の変容に関する考察」(『総研大文化科学研究』13号、2017年)などがある。