『アジアと日本 食と味覚の旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧
第16回 パンの記憶とご飯の日々:アラブ人研究者が日本に定着して(シリアと日本)
ハシャン・アンマール(立命館大学 立命館アジア・日本研究機構 准教授
日本で気づいた「ごはん」の違い
留学生として日本にやってきて、その後、研究者として仕事をするようになり、13年以上が経ちました。日本の土を踏んだ後、初めに気がついたのは、この国が米食を基本としていること、そしてアラブ諸国の一つであるシリア生まれの自分は食事といえば無意識にパンだと思っているということでした。異文化体験によって、しばしば、自分では気がつかずに自明視してきたことを意識するようになるということも知りました。
米とパンの違いだけではありません。肉といえば、シリア(やアラビア半島)ではもっぱら羊肉で、牛肉に出会うのはまれなことでした。日本では逆に羊肉のほうが珍しく、高級な牛肉が好まれていることを知って、不思議な気がしたことを覚えています。
実は、同じシリアの中でも、私の出身地である北部の古都アレッポと、南部の首都ダマスカスでは、食の習慣と好みが違います。学部から大学院にかけてダマスカス大学で学んでいた頃も、アレッポ出身者とダマスカス出身者の学友たちの間には、食べ物の話になるとなにかしら張り合うような空気があったことを思い出します。
故郷を懐かしむ食事
悲しいことに、シリアは2011年から内戦に陥り、日本にいる私に届くニュースも戦乱と死者の話題が多く、シリア情勢への心配が寝ている間も頭から離れない日々が続きました。そんな中で自分を保つために、できるだけ故郷の食べ物を食べたいと思って努力しました。日本ではパンにはバターなどを付けると思いますが、シリアではオリーブ油や乾燥ミント、ザアタルなどを付けて食べます。ザアタルは、シリア名産のオレガノなどを用いたスパイスミックスで、中東諸国の食べ物として有名です。日本では、ザアタルはふつうのスーパーなどでは売っていませんが、通販で入手できることがわかりました。
朝になると、紅茶を淹れるとともに、ザアタルとオリーブ油を小皿に出して、パンにつけて食べます。オリーブの実や香草などの副菜も、横に並べます。油を一つの皿に注ぎ、もう一つの皿にはザアタルの粉だけを入れます。パンをちぎって、まず油に浸しそれからザアタルの皿に移して粉をつけ、口に運ぶという動作を繰り返します。
ところが、日本では、そのような食べ方に合うパンがなかなか手に入らないことに気がつきました。インドでもナン、チャパティなどの平たいパンを食べますが、シリアも「フラット・ブレッド(平たいパン)」の文化圏です。ところが、日本の食パンはオリーブ油を吸うと形が崩れて、平たいパンのようには扱えません。シリアの平たいパンを通してこそ、オリーブ油とザアタルが一体につながり、満足のいく食感が生まれるのです。ある朝、とうとう、食パンをトースターで焼いてバターを塗って食べました。これはこれで、一つの味のまとまりなのだと思い、その日私は少し「日本化」した気がしました。
新鮮な魚と白いご飯と出会って
外国からの訪日客は、お寿司を好むようですが、シリアは乾燥した沙漠性の地域が多く遊牧的な文化があって、動物性タンパク質は主として羊から摂り、海産物はあまり食べません。そのため、私の身体感覚も、魚というと、新鮮かどうかにまず意識がいきます。アレッポでも魚市場がありますが、客はみな、まず魚の臭いを嗅ぎます。日本で売られている魚はみな新鮮で、火を通さずに刺身としてもよく食べるということを理解するのも、大きな異文化の壁の乗り越えだったと思います。
お寿司は、ネタのほうはすぐ慣れましたが、最初に気になったのはむしろ、ご飯のほうでした。普通の白いご飯ではなく、酢が混ざった少し冷たい米がネタの魚の下にあって形を作っているのに初めは驚きました。米がこういう使われ方をするのか、と不思議に思ったのです。シリアにも米の料理はありますが、たいていは、オクラの煮込みや豆の料理を載せて食べるもので、日本では味がついていない白い米がそのまま出され、しかも、それを「ご飯」と呼ぶことは、私にとって新しい発見でした。
その後、まず日本語を修得する必要があると思い、大阪で日本語学校に通い始めると、同級生や先生と一緒に食べる機会が増え、日本の食事に親しむようになりました。大阪の町は、どこでも食べ物が近くにあるようです。駅を出ると、油の匂いや湯気がすぐそこにあって、店の前で何かを焼いていたりします。学校の近くの日本料理店に、留学生の同級生と入ると、同級生たちは私より日本の食に慣れていて注文の時にもあまり迷いがありませんでした。定食屋で焼き魚定食を試してみると、日によってうまく舌に合う時とそうでない時があることがわかりました。まだまだ、「食」と「味覚」に関する故郷の感覚と、現実に食べている日本の食べ物の間に落差がある時期だったのだろうと、今では思います。
そういう時に、いちばん戸惑ったのは白いご飯の位置でした。定食のお盆の上で白いご飯は茶碗に盛られて、そのままの状態で出てきます。おかずとは別に、そのまま置いてあります。私が育ったシリアの食卓では、米は料理の一部でした。脂やスープや塩と一緒に調理されて出てくるもので、香辛料が米の味を覆っていることもしばしばです。ところが、日本の白いご飯は、何も加えられていない状態でまず出てきます。米そのものの旨味を他の味に邪魔されずに味わうものとして出てくるわけですが、最初の頃の私は、それを見てとまどっていました。
京都大学の大学院に進学して京都に移り住む頃には、大阪のたこ焼きを食べて、熱い生地の外側が少し焦げていて、中からやわらかい海の味が出てきて生地の味もそこに重なっておいしいと素直に思える日がありました。白いご飯についても変化がありました。おかずを食べる前にまずご飯だけを一口食べてみる、つまり、何も加えない状態の米を味わうことが少しずつできるようになってきました。
京都で博士課程での研究が中心の生活になる頃には、重いものを食べたくない時に、無理なく身体に入るものとして白いご飯と味噌汁が私の生活の一部になっていました。小腹がすいた時や、研究の合間に手を止めた時に、炊飯器に残っているご飯をよそって味噌汁を温める。梅干しがあれば、それを付ける。それだけの食事が、京都での生活が2年3年と続くうちに、自分にとっていちばん落ち着く食事になっていきました。
ご飯と味噌汁に身体が馴染む
私のもともとの専門は古典的なイスラーム学で、古典書を読むのが日課でしたが、京都大学では現代のイスラーム復興、特に「無利子金融」を初めとするイスラーム経済を研究主題とするようになりました。古典書に加えて、現代の文献もたくさん読むようになり、研究が忙しいと食事は後回しになりがちですが、そんな中でも、味噌汁の作り方を少しずつ覚えました。昆布を水に入れて煮出して、温まったら味噌を溶く。青菜があれば、切って入れる。なければ、乾燥わかめと豆腐入だけでも入れる。時間は10分もかかりません。シリア風の朝食は、ザアタルとオリーブ油の皿と口の間で、手とパンが動き続ける食事でした。京都で身についたご飯と味噌汁の食事は、箸と碗の間のもっと小さい動きで済みます。このような食事を、私は朝に限らず、一日のどこかで身体が欲しがった時に食べています。
あるとき、京都で白味噌の汁を飲んでいて、だしの味について初めて考えました。強い味ではないのに飲み終わった後に、まだ何か残っている感じがしました。塩味でもなく脂の味でもなく、何と言えばいいのか分かりませんが、薄いのに気持ちよさが口の中に残る味でした。私はこの味を自分でも作れるようになりたいと思い、家で味噌汁を作るようになったのです。最初は、昆布とかつお節の分量がよく分かりませんでしたが、何度か作るうちに自分なりの加減ができてきました。
そしてある日、味噌汁にパンを浸してみたくなりました。パンとスープの組み合わせは、シリアに限らずアラブの食卓では普通のことです。しかし、味噌汁の椀の中にパンを入れるとパンが汁を吸って形を失い、うまくいきませんでした。味噌汁には、ご飯のほうが合います。ご飯を食べた後に味噌汁をひと口すする。あるいは一緒に口に含む。すると米の味と味噌の味のあいだにある種の均衡が生まれます。実際にやってみてそう感じました。この時、自分がずいぶんとご飯の側に来ていることに気がつきました。
最初の数年間、日本でシリアの食卓を再現しようとしていたのは、食べ慣れたものを作ることでシリアとのつながりを維持していたのだと思います。しかし、京都で暮らす年月が重なるにつれて、その必要性は少しずつ薄れていきました。白いご飯と味噌汁は、他に選択肢がないから食べる代用品ではなく、自分がいちばん落ち着く食事になっていました。
ただこれは、故郷の食への郷愁が消えたという意味ではありません。私の専門のイスラーム経済はマレーシアやインドネシアでも盛んなため、調査のために両国に行くことがありますが、そういう時には無意識にシリア料理の店がないか、探しています。しかし、見つけて行ってみると、シリア料理を食べるだけで昔の食卓に戻れるわけではないと分かります。「食卓」は、そこにある料理だけではなく、食卓を一緒に囲んでいる人たちがあってこその食卓なのだと強く感じました。もしかすると、私の味覚がすでに日本化しているのも、そこで感じる違和感の原因かもしれません。
最近になって、講演のために北海道に出張する機会がありました。親しい同僚と一緒に、北海道の食を味わいました。短い滞在でしたが、食の記憶は強く残っています。市場の近くの小さな食堂で刺身を食べた時、かつての私がずっと魚に対して身構えていた原因であるあの生臭さがまったくないことに気がつきました。その一切れで、魚に対する私の固定観念が崩れるのを、はっきりと感じました。
北海道の海の幸は、私と海の食べ物との距離を大きく縮めました。同僚が、北海道の海の幸を案内してくれたことに感謝しています。刺身だけではなく、帆立の甘さ、イクラの粒が口の中で弾ける感触、蟹汁の深い味にも驚きました。魚だけにとどまらない、海の味の広がりをそこで初めて知りました。
ところで、個人的な好みとは別に、私はイスラーム圏の出身ですから、豚肉を一切食べませんし、お酒も飲みません。宴席では、乾杯の時には烏龍茶を頼みます。最初の頃は、それが少し目立つことのように思いましたが、最近は特に気になりません。周りの皆も、私の対応に慣れてきたのかもしれません。
乾燥地帯が広がっているシリアから海に囲まれた島国の日本に来て、何年も経つうちに、私自身の味覚や身体も変わったことがよくわかります。京都で何年も白いご飯と味噌汁を食べているうちに、それが何か食べたいと思った時にまず頭に浮かぶものになりました。北海道で刺身を食べた時は、自分が魚をおいしいと思っていることに、少し驚きました。そして、もう一つ、最近気づいたことがあります。久しぶりに羊の煮込みを作った時に、半分くらい食べて満足してしまったのです。嫌になったわけではありません。匂いは、今も好きです。鍋の中で羊肉とトマトと香辛料が煮えている匂いを嗅ぐと、故郷のアレッポを思い出します。ただ、前と同じ量を食べたいと思わないのが驚きでした。日本で、長らく羊が身近ではなかったためかもしれません。日本では羊肉が不得手という人がいますが、羊肉の煮込みを半分でやめた時は、羊肉を重いと感じる人がいるのも少し分かる気がしました。皿に盛った量を見てこれは多いと感じるのは、以前の自分なら普通に食べていた量ですから、自分でも驚きです。
フラット・ブレッドとザアタルの朝食は、今も自分の中に根付いています。あの食べ方を忘れたいとは思いません。しかし、今の私は日本の食べ物を仕方なく食べているのではなく、自分から食べたいと思って食べています。「昨日、何を食べましたか?」と聞かれたら、きっと、「白いご飯と焼き魚と味噌汁です」と答えるでしょう。シリアのパン食は記憶の中で私をなぐさめ、ご飯は今の生活の中で身体を支えています。それが何の矛盾でもなく、西アジアから東アジアへ移り住んだ研究者の食と味覚の人生の旅となっているようです。
ハシャン・アンマール(KHASHAN AMMAR)
立命館大学 立命館アジア・日本研究機構准教授。博士(地域研究)。専門は、イスラーム地域研究、イスラーム金融論、イスラーム学。主な著作に、Islamic Social Finance and the Architecture of Mutual Responsibility: Zakat and Waqf in the Digital Governance of Islamic Welfare (Asia-Japan Research Institute, Ritsumeikan University, 2026)、『イスラーム経済の原像:ムハンマド時代の法規定形成から現代の革新まで』(ナカニシヤ出版、2022年)、「イスラーム初期における社会・経済と宗教倫理:リバー禁止から新しい経済資源の形成へ」(『イスラーム世界研究』11号、2018年)など。