『アジアと日本 ことばの旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧

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第4回 日本留学の経験(日本語)

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ジン(立命館大学衣笠総合研究機構 研究教員・助教)

 毎年春になると、来日してからの年月を数える。2023年の春、10年目を迎えた。研究生を経て京都大学で博士課程を始めた。普通の学生なら研究に集中するだけでも他の余裕はないはずだった。それに比べて留学生であった私は、一日も早く日本語を習熟させるとともに日本生活に適応しなければならなかった。つまり、毎日の大小のカルチャーショックを消化しなければならなかった。そのため、できるだけたくさん話せて日本文化が直接に経験できる環境に自分を露出させることが最善だと思っていた。それで選択した方法がアルバイトであった。

 これまでアルバイトの経験が皆無だったにもかかわらず、アルバイトを選んだ私は相当冒険的だったようだ。確かに、少し遅い年齢に留学をするということ自体が冒険だったのかもしれない。しかし、言葉がまだ下手な外国人をどこでも簡単に雇用してくれるはずがなく、ありがたくも初めて私を雇用してくれた某カフェでサービングをすることになった。

 留学に来る前に時々日本語を勉強し、特に会話の時間には誰よりも一生懸命に取り組んできた。しかし、それはあくまで理論に過ぎず、実際はかなり違っていた。しかも関西の方言と直接的に話さない京都地域の表現方式、それでいわゆる空気を読んで意図に気づかなければならないというのは、私にはとても難しいことだった。実は、依然として難しい。

日本語と出会って

 高校と大学時代に日本語会話を学んだ。会話とはいえ「です・ます」調を基に動詞を変形する方式が中心だったと記憶している。疑問形には必ず「か」をつけて文章を作った。練習し、テストではそれらをどれだけ自由自在に使えるかによって点数が決められた。

 しかし、実際に日本に来て人々と対話してみると、疑問形の文章であっても平書形で最後だけピッチを上げて、あるいはそのようなニュアンスを与えて駆使する場合が多かった。すなわち多くの場合、「です・ます」形に疑問の終助詞「か」を付けなくても疑問形文章として使われていた。そして、必ずしも動詞を「です・ます」調だけで使用するのではなく、動詞の基本形そのままを疑問形文章では終わりを上げたりニュアンスを与えたり、意志形文章では終わりを下げたり、似たニュアンスを与えたりして使用していた。そして基本形動詞に接尾辞「~よ」「~の」「~のよ」「~わ」などを付け、様々な文脈で様々な意味で使用していた。

 多様で定型化が難しいためだろうか。授業時間中には聞き逃したのかもしれないが、韓国で習った時には知らなかったことである。当時の私はアルバイトで触れる多様な表現を状況と脈略とともに思い出しながら覚えようとした。対話上、様々なニュアンスによって使われている接尾辞を違和感なく自由自在に駆使したかったから。それはまだ夢として残っている。

マンションから大学まで行くたびに必ず通った鴨川(2017年12月22日)

マンションから大学まで行くたびに必ず通った鴨川(2017年12月22日)

 関西方言はもう一つの課題であった。特有のアクセントはその時も今も相変わらず懐かしいが、問題は、略して話したり、「~やん」「~へん」「~やんか」「~へんか」「~やんな」などの接尾辞がついた文章がなかなか理解できないことであった。

 アルバイトの当時には、サービングは接客が重要だったために、どうしてもお客さんには聞き返すことができず、お客さんの要請を、聞こえたままに覚えて社員に聞き返して理解した。社員たちの言葉が理解できなかった時には、忙しい時間を避けて再び尋ね、その内容を書き取った。そのメモを繰り返し見ながら記憶するために努力した。考えてみると、言葉がよく通じない外国人と一緒に仕事をすることは、非常に面倒なことかもしれない。にもかかわらず、とてもありがたいことに当時の社員らは字や文章を直接書いて詳しく説明もしてくれるなど、親切に教えてくれた。ただ、その説明も関西方言だったために、かえって難しかった時もあったのだが。そのように、アルバイトをしながら少しずつ自信がつき始めた。

同じ漢字文化圏の言語でも……

 韓国では文字を漢字で表記はしないが、漢字の音読をハングルで表記する、いわば漢字文化圏である。中学校・高等学校課程では、学校の裁量によって漢字を選択または必須科目として採択している。純粋なハングルで構成された単語や合成語が多数存在するが、漢字を学んでおけば読解力と文解力に大いに役立つのが事実である。私も中学生の時から週1時間、漢字を習った。韓国語には日本語と音読の発音が似ている単語が多い。例えば「家族(ハングルでは、gajok)」、「地域(jiyok)」、「保護者(bohoja)」、「道路(doro)」など。発音が似ているため、両言語の言葉を混同して口にする場合も少なくない。例えば、「kazoku」を「gajok」などに。日本語駆使時、韓国人がよく犯すミスである。

 しかし最も慣れがたいのは直接的に話さない文化だった。実は今も難しい。日本人の友達は日本人でも難しい部分だと励ましてくれるが、外国人が肌で感じているほどではないのではないか。当然だろうが、日本で生まれたり、幼い頃に移住した韓国系日本人にも感じる特徴でもあるようだ。大学で会った人たちの中で、時間があれば一緒にお茶とかランチをしようと誘う人たちに、「いつがいいか」とすぐに聞き返して、彼らを当惑させたこと、アルバイトをしていた時に、最初は、意図が分からずに指示の通りだけにしたことが、時間を経るごとに少しずつようやくその意図が読み取れたことなどなど。

 今でも、相手の言葉が本音なのか建て前なのか、さっぱり分からず、どう反応するといいのか、もしかしたら失礼になるかもしれないと、悩むことが多い。

 もちろん、空気を読む能力が依然として足りない自らのせいにするのが先だろうが。お互いのニュアンスを読み取ること、ひいてはお互いのニュアンスを理解しようとする努力はコミュニケーションにおいて最も重要なのではないかと思う。これから来日20年になるときにはもっと成長したい。

 次回は、私の専門であるカザフスタンの高麗人(コリョ・サラム)のことばについて紹介したい。

(2024年11月8日記)
〈プロフィール〉
李 眞恵(い・じんへ)
立命館大学衣笠総合研究機構研究教員・助教。地域研究博士(京都大学)。専門は、中央アジア地域研究、コリアン・ディアスポラ研究、高麗人(コリョ・サラム)研究。最近の単著及び論文に、『二つのアジアを生きる:現代カザフスタンにおける民族問題と高麗人(コリョ・サラム)ディアスポラの文化変容』(ナカニシヤ出版、2022年)、“The Contemporary Status of the Ethnic Group in Kazakhstan and the Koryoin’s Nation” (Asia Review 11(1): 261-289, 2021), “Why do Diaspora Re-Emigrate to their Historical “Homelands”? A Case Study of Koryo Saram’s “Return” from Post-Soviet Uzbekistan to South Korea” (Journal of the Asia-Japan Research Institute of Ritsumeikan University 5: 51-65, 2023) など。