『アジアと日本 ことばの旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧

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第5回 コリョ・サラムの言葉(カザフスタン、コリア語)

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ジン(立命館大学衣笠総合研究機構 研究教員・助教)

コリョ・サラムとは

 私はコリョ・サラム(高麗人)を研究している。コリョ・サラムはロシアをはじめとする旧ソ連諸国に居住するコリアン・ディアスポラ集団である。その中でも特に中央アジアのカザフスタンを中心に現地調査を進めてきた。これまでよく聞かれる質問の一つが、彼らの言語状況はどうなのか、ということ。すなわち、どの言語を主に使用し、韓国の韓国語または北朝鮮の朝鮮語の駆使能力はどれくらいであり、世代によってどのような違いがあるのか、などである。わずか数文章の短い質問に見えるかもしれないが、実は、エスニック言語の変容については深く扱ってこなかった私にとって、これは研究課題としても十分なほど奥が深く、簡単に答えられない質問である。

 まず、彼らを定義する簡単な概念から見ると、彼らは旧ソ連諸国に居住する「ロシア語を母語として使用する」少数者集団である。そうだ、多くのコリョ・サラムはロシア語を自らの母語と認識している。カザフスタン政府の統計(2011年)によると、同国内のコリョ・サラムの98%がロシア語を話せる。これは同国の独自的な特徴というよりは、旧ソ連諸国全般のコリョ・サラムの特徴でもある。もう少し説明を付け加えると、彼らの歴史は1863年、朝鮮時代の農民たちがロシア沿海州に移住してから始まった。その後、ソ連期とソ連解体、旧ソ連諸国の独立期を経験していくなかで、彼らはロシア語化されてきた。徐々に自らの言語基盤を失ってきたというべきか。これに先立ってロシア語を母語と認識し、同言語の駆使能力が非常に高いという事実から、彼らの言語状況を推測できるかもしれない。

 とはいえ、コリョ・サラムの歴史の始まりは朝鮮時代に越境した朝鮮人だったので、当時の彼らは朝鮮語が母語だったはずである。朝鮮地域の中でも特に北の帝政ロシア国境近くに住んでいた咸鏡道地方の朝鮮人が主に移住しているから、これは咸鏡道方言を駆使する朝鮮人が彼らの大部分の先祖だという話になる。それでは、彼らの母語だった朝鮮の咸鏡道方言は、長い歳月を経てどのように変容したのだろうか。残存しているだろうか。あくまでも個人の経験に照らして話すしかないという限界も存在するが、コリョ・サラムの言語状況を少し味わうには役に立つのではないか。

咸鏡道方言と3、4世代コリョ・サラムの言語

 北朝鮮の人に私が会えたのは、大学時代の頃、下手なソウル語を使う脱北民に会ったのがすべてである。それ以上は、これまで研究資料として見た文献と映像から、咸鏡道方言がどのようなものなのか、大体分かる程度である。さらに、これまでの主要な現地調査の地域は、カザフスタンの経済および商業の中心である大都市であるアルマトゥであり、同国内でも人口対比労働人口が最も多い、すなわち若い人口が集まっているところである。調査対象は主に関連団体の関係者であり、彼らは一般人とは違って朝鮮語または韓国語で部分的な疎通が可能だった。その他、韓国語が話せる人々は外国語として学習した場合に限られていた。例えば、大学の韓国語科教員や学生、文化センターの韓国語教育担当者などである。彼らは現代韓国の標準語に近い言葉を使っていた。

強制移住後、コリョ・サラムが最初に定着したウシトベにある、コリョ・サラムの墓地(2015年9月25日)

強制移住後、コリョ・サラムが最初に定着したウシトベにある、コリョ・サラムの墓地(2015年9月25日)

 都市志向が強いコリョ・サラムは、その人口が主に都市に集中している。それなら大都市ではなく、田舎に目を向けてみよう。田舎なら、スターリン期強制移住後、最初の定着地だったウシトベはどうだろうか。ウシトベはアルマトゥ市のあるアルマトゥ州の外郭に位置しており、若年層の人口より老年層と出稼ぎのために都市部に移住した親世代の子供たちの人口が多い。韓国語関連機関の教員以外の人々の言葉はどうだろうか。現地調査中、運良く何人かの方に会うことができた。

 彼らはだいたい祖父母世代からウシトベで暮らしてきた3、4世だったが、やはり特有のアクセントがあり、私も初めて聞く単語が交ざった咸鏡道方言で話していた。その中にはコリョ・サラム居住地でコリョ・サラムと交ざって暮らしてきたカザフ人もいたが、非常に興味深かったのは、彼らも完全ではないが咸鏡道方言のアクセントのような、いわゆる「コリョ語」で対話を続けていたことだった。しかし、間違いなく彼らはコリョ語で話していた。

言葉は失われつつあっても

 その中で、ウシトベ内のコリョ・サラムの墓地を説明し、あちこちを案内してくれたある高齢のコリョ・サラムは、私が「韓国で生まれ育ち、日本に留学している」と自己紹介すると、「故郷はどこか」、「韓国の両親は元気なのか」、「両親の故郷はどこか」、「いつも両親にはいい子にしなければならない」と言ってきた。現地調査中、初めてお会いしたコリョ・サラムからこのような言葉を聞くのは、全く馴染みのない経験ではなかった。ウズベキスタンでの現地調査で、同国コリョ・サラムのメディアである『コリョ・シンムン』の代表者であるA氏に会った時もそうであった。コリアン同士の身近な表現だろうか。

 A氏は韓国語が話せた。若い時代に韓国で言語研修を受けたために、聞くことと話すことはある程度可能であるという。しかし読み書きは依然として難しいと話した。さらに、彼の夫婦が編集から発行まで共同で運営しているウズベキスタンの『コリョ・シンムン』は毎月1回、計12面の全面がロシア語で発行されている。ソ連期にすでにロシア語化され、咸鏡道方言を基盤に変容された彼らの言語であるコリョ語は、少数のエリートによってエスニック・メディア、演劇、文学などの形で伝承されてきた。しかし、次第にその言語が使われる場所、使われる機会や必要が消失することによって、特に後天的に教育を受けない以上、彼らの韓国語または朝鮮語の駆使能力はゼロに近い。つまり、一般のコリョ・サラムの母語はすでに古くからロシア語である。

 インタビューでA氏は「日本と中国のコリアンと違って、言葉を失った我々がコリョ・サラムであることは、もう言語ではなく我々が持っている慣習と文化が証明する」と語った。私らはご飯とキムチを食べて、先祖たちが教えてくれた冠婚葬祭を行っているという。しかし、これもまた5、6世代の若い世代層とは乖離がある。ソ連を経験していない若い世代の母国は、ソ連解体とともに成立した15ヵ国、例えばウズベキスタン、カザフスタンなどであるからである。彼らはロシア語以外にも自らが属している国の言語も学習しなければならない。

韓国アンサン市におけるコリョ・サラム集中地の初等学校入学お祝いに関する韓国語とロシア語併記のプラカード(2023年3月6日)

韓国アンサン市におけるコリョ・サラム集中地の初等学校入学お祝いに関する韓国語とロシア語併記のプラカード(2023年3月6日)

 A氏はソ連時代に教育を受けたエリートの一人であり、旧ソ連諸国の独立期を生きる普通のコリョ・サラムの状況、いわゆる一般の人々の状況とは異なる。また、次世代のコリョ・サラムはソ連解体後、それぞれ異なる特性を持つ旧ソ連諸国の基幹民族中心の国民統合に対応しなければならないという課題に直面してきた。

 その一方、グローバル化のため以前の世代より自由になった移住により、若い世代の生活圏域と彼らのネットワークも拡張されている。したがって、彼らが居住において多様な経験を持つようになったことで、より多様な言語の駆使能力を保有するようになった。例えば、一部は英語圏への移住によって英語のレベルが優れている。また、他の一部は2000年代から本格化した韓国への移住によって、若干の韓国語によるコミュニケーションも可能である。咸鏡道方言を基に変容されたコリョ語の消失が、残念な事実であることは間違いない。しかし(まだ若干に過ぎないが)若い世代とコリョ語ではない韓国の標準語である韓国語で意思疎通ができるということは面白い事実であり、興味深い経験でもある。このようにそれぞれの世代と彼らの環境によって言語状況は異なるが、今後の若い世代とのインタビューにはロシア語を基本としながらも、ますます現地語、例えばウズベク語やカザフ語などの補足を加えながら進めるべきかもしれない。また、より少し遠い未来には、英語もしくは韓国語でインタビューを自由に進められる日が来るかもしれない。

(2024年11月19日)
〈プロフィール〉
李 眞恵(い・じんへ)
立命館大学衣笠総合研究機構研究教員・助教。地域研究博士(京都大学)。専門は、中央アジア地域研究、コリアン・ディアスポラ研究、高麗人(コリョ・サラム)研究。最近の単著及び論文に、『二つのアジアを生きる:現代カザフスタンにおける民族問題と高麗人(コリョ・サラム)ディアスポラの文化変容』(ナカニシヤ出版、2022年)、“The Contemporary Status of the Ethnic Group in Kazakhstan and the Koryoin’s Nation” (Asia Review 11(1): 261-289, 2021), “Why do Diaspora Re-Emigrate to their Historical “Homelands”? A Case Study of Koryo Saram’s “Return” from Post-Soviet Uzbekistan to South Korea” (Journal of the Asia-Japan Research Institute of Ritsumeikan University 5: 51-65, 2023) など。