『アジアと日本 食と味覚の旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧
第2回 民族菓子という「飲食に保つ文化記憶」から見えるユーラシアの深層
愛新覚羅闓和(立命館大学衣笠総合研究機構 専門研究員)
私の研究は、文化人類学と社会文化史学を交差させ、日本列島からユーラシア大陸に広がる北アジア地域に着目し、歴史上シルクロードの北側で繁栄した諸民族の記憶、儀礼、身体文化を、「食」という身近な物質文化を通じて読み解こうとするものである。
「雷おこし」的お菓子の可能性
なかでも注目しているのが、タタール人の「チャクチャク」、満洲族の「サチマ」、そして日本の「雷おこし」という三種の伝統的な菓子である。満洲族の民族菓子であるサチマは、満洲集団の中国征服とともに広まり、八旗制度の下で形成された駐屯地において定着した。今日では中国全土に広がり、東南沿海部のみならず、内陸部や西北部でも一般的な駄菓子として流通している。
東京浅草、常盤堂雷おこし(写真提供:株式会社常盤堂雷おこし本舗https://meqqe.jp/spots/702545)
カザフスタンのアルマトゥイのスーパーマーケットにて(2024年7月4日)。数種類のチャクチャクが販売されている。
私は近年、ロシアおよび中央アジア(カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン)においてフィールドワークを行っており、地元の家庭に招かれた際、茶菓子としてチャクチャクが用意されている場面に数多く立ち会ってきた。興味深いのは、このチャクチャクが、タタール人の民族菓子であるにもかかわらず、ロシア人や中央アジアの他民族の間でも広く親しまれていることである。さらに注目すべきは、その見た目や食感がサチマと酷似している点である。サチマは、ヌルハチの建州女真人を中心とした軍事連合共同体において、王族女性たちの宗教儀礼や教育儀礼において用いられてきた代表的な菓子である。一方のチャクチャクは、イスラーム系のタタール人社会において婚礼や新年祭などの儀礼的贈答物として長らく機能してきた。このように、言語、宗教、社会組織、生活文化が大きく異なる両者の間に、なぜこれほどまでに類似した食文化が存在するのか。両者が三千キロ以上も離れているにもかかわらず、なぜ同じような菓子が儀礼の中核をなしているのかという問いが生じる。
さらに広域的視点で見ると、唐代以降に日本に伝来したとされる雷おこしも、形状と製法においてチャクチャクやサチマと顕著な類似性を示す。これら三者はいずれも、穀物と卵・乳を練り込んだ生地をうどん状に成形し、油で揚げた後、蜂蜜や糖蜜で固めて成型するという調理法を共有している。また、祝祭や通過儀礼において象徴的な意味を担ってきた点も共通する。
アルマトゥイ東郊外山中の友人の家でお茶や発酵乳を楽しむ様子(2024年6月2日)。チャクチャクも並んでいる。
考古学からDNA研究まで
私は、これら三地域における菓子文化を比較文化人類学的に分析すると同時に、考古学、気候学、分子人類学、人口移動論、多言語資料研究などの学際的手法を導入し、文化伝播と記憶のメカニズムを明らかにしようとしている。特に、「誰が、どのように、どの場面で」これらの菓子を作り、配膳するのかといった身体技法とジェンダーの問題系にも注目している。この研究の出発点には、私自身が女真系の出自を持ち、満洲皇室女性の宗教・教育儀礼に長年取り組んできた背景がある。なぜ彼女たちはサチマを儀礼の中で重視したのか。それは、単なる味覚の好みではなく、「飲食に保つ文化記憶」として身体化され、アイデンティティの構築に寄与していたからであると考えるようになった。そこから、他民族における同様の記憶と儀礼の在り方を比較する必要性を感じ、研究を拡張するに至った。
現在は、料理の再現、視覚・図像資料の収集、現地での映像・音声記録、さらには分子人類学との連携によるDNA分析も実施している。Y染色体とミトコンドリアDNAの公開データベースを参照しつつ、タタール人と一部の満洲人支配層との遺伝的な近さを検証し、文化的伝播との交差点を浮かび上がらせようとしているのである。
調査地は、ロシアおよび中央アジアのタタール人集落、中国東北部の満洲人集落および西北部のタタール系集落、日本の東京・大阪・京都にまたがる。各地で職人や儀礼実践者への聞き取り、伝統食の実演観察、儀礼書や家庭伝承レシピの分析を行い、多層的な比較を進めている。また、満洲語、ロシア語、タタール語、日本語、チャガタイ語といった多言語資料の横断的分析も並行して進めている。
カザフスタン国立図書館にて(2024年6月5日、アルマトゥイ)。当館のスタッフおよび地元の学者たちと一緒にチャガタイ語文献を考察している。
ユーラシア世界の未来へ
私の研究は、「菓子」という一見周縁的な素材を通して、帝国秩序、宗教儀礼、ジェンダー構造、民族融合といった歴史の核心を再照射する試みである。最終的には、日本、満洲、中央アジアに横たわる文化の共有層を可視化し、分断されてきた地域史・民族史を再接続することを目指している。
これからも「甘味」という小さな器に宿る記憶を手がかりに、ユーラシア世界の東西文化的連関と未来の共存可能性を構想する道を拓いていきたい。
愛新覚羅闓和(あいしんかくら・かいほ)
京都大学大学院(東洋史学)および立命館大学大学院(先端総合学術研究科)で学び、2023年4月より立命館大学衣笠総合研究機構の専門研究員(博士)。専門は人文・社会分野、特に文化人類学や民俗学をベースに満洲母系氏族社会の学際的研究を行う。歴史的資料とフィールド調査を融合させ、満洲族女性と帝国間関係の実証的考察を示す。さらに、中央アジアと東北アジアの多元的文化的繫がりを探究し続けている。その研究姿勢は、民族誌的手法と比較文化研究を駆使しながら、多様な広域東西アジア社会の理解に寄与する。