『アジアと日本 食と味覚の旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧

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第3回 お菓子の本場ミーダーンのアラブ菓子(シリア)

柳谷あゆみ先生のお写真

柳谷あゆみ

お菓子の本場

 内戦より前、20年ほど前の話になるが、シリアで下宿の大家さんからいただいたアラブ菓子がとてもおいしかった。ピスタチオを載せた白いクッキー、グライベも、ナッツを蜜とパイ生地で包んだバクラワも、ピスタチオを糸状の小麦で巻いたアッシュ・ボルボル(鳥の巣)も、さくっと軽く上品で、これまで食べてきたものとちょっと違う気がした。どこの店のお菓子かと訊いてみたら、ダマスカス県ミーダーン地区のサッカールというお店で、やっぱりお菓子の本場はミーダーン地区だという。

 アラブ菓子はどの街でも売っているので、有名店はあるけれど、本場の地区があるとは思いもしなかった。シリアにも地域特産のお菓子はある。例えばハラワート・ジュブンはもちもちした小麦の生地でキシュタ(クロテッド・クリーム)を巻き、蜜とピスタチオをかけた冷たいお菓子だが、中西部の二県ホムスとハマーが本場と言われている。ハマーやホムスのドライブインで、白い太巻き寿司のようなこのお菓子を切ってもらって、冷たくさっぱりいただくと、ああここに来たなあと嬉しくなる。

写真1

ハマーにて。ハラワート・ジュブンの看板

写真2

ダマスカス市内(当時)の菓子店「セミラミス」の菓子(現在は国外で製造・営業している)

 それでもバクラワやグライベはすっかり普及しているので特産の意識がなかったのだが、その後、アラビア語の個人授業の先生にまで「ミーダーン地区は古い街で300年くらい続いている家が多い。あとお菓子がおいしいので有名だ」と教えられ、がぜんミーダーン地区とお菓子が気になってきた。ミーダーンには行ったことがないし知り合いもいない。でもダマスカス中心部からセルヴィス・タクシー(乗合小型バス)に乗れば、小一時間で着くそうだ。そこで食いしん坊と好奇心だけで、勇躍セルヴィスに乗り込んだ。

ミーダーン地区の菓子店

 15人ほど乗せて出発したセルヴィスから、道中、目的地に着いた客が一人また一人と下りていく。誰も終点ミーダーンまでは行かないのか。ついに車内は運転手と私だけになった。

「あんたは、いったいミーダーンまで、どこに何をしに行くの?」

 めずらしい外国人がいつまでも降りないので、運転手さんが不思議そうに訊いてきた。そこで「お菓子を買いに来たんです」と答えると、地元の人らしい運転手さんは急に張り切って「ミーダーンで一番うまい菓子店はアブルジェディーだ。よし、前で停めてやろう!」と終点を右折して通り過ぎ「アブルジェディーはこちら」という看板の前にセルヴィスをつけてくれた。

 喜んでお礼を言って降車し、謎の空き地を抜けて、奥まったところにある建物のドアを開けたら、アブルジェディーは店舗というより工場という感じだった。筋骨隆々たるおじさんたちがわっせわっせ全力でお菓子を作っている。生地をこねるおじさんもレジ前にいるおじさんも真剣そのもの。

 「すみません、詰め合わせを1キロ買いたいんですが」と声をかけると、場違いな客が忽然と現れたせいで呆然としながら、おじさんたちは「じゃあこれを食べて待っててください」と恵方巻くらいの太さのマブルーマを一切れ寄こして、詰め合わせを作ってくれた。糸状の生地でナッツをぎっしり巻き込んだマブルーマはゴージャスな甘さ、大変おいしい。そのとき記念に写真を撮らせてもらったが、今見てもおじさんたちが全員「何が起きているんだ?」という様子で、驚かして悪かったなあと思いつつもなんだかおかしい。

写真3

ミーダーン地区の菓子店アブルジェディー(2006年)

 このあとお目当ての店サッカールでもお菓子の詰め合わせを買って、4キロのお菓子を抱えてセルヴィスに乗って帰ってきた。新工場の告知を出したサッカールは勢いのあるいいお店だった。

写真4

菓子店サッカールにて(2006年)

激動の時代をくぐる菓子店

 ミーダーンの菓子店は代々家族で継承されてきたそうで、100年近い歴史を持つ家もある。シリアのお菓子作りの歴史は7世紀のウマイヤ朝期にまで遡れるらしいが、19世紀頃からさらに発展・繁栄しアラブ世界に知れ渡るようになった。お菓子は慶事や社交につきものの甘味だが、それに加えてダマスカス南部のミーダーンはシリアからヨルダン、サウジアラビアを往来する旅行客の通り道となったため、1960年代から土産物としても菓子の製造が盛んになったという。シリアのお菓子は、主要作物である小麦、アレッポのピスタチオをはじめとするナッツ類、デリゾールやハマーで作られるサムネ(澄ましバター)など、シリア各地の産物をふんだんに用いて作られる。まさにシリアの豊かさの賜物である。

写真5

ナッツを売る店(2006年)

 2011年以降、経済制裁や国内の混乱の影響を菓子店が受けなかったはずがない。有名店が国外に拠点を移し別店舗を作ったという話も耳にした。シリア国外でシリアのアラブ菓子を食べる機会も増えた。内戦前からシリア人は国外でお菓子を作ってきたし、今やロンドンや東京ではハラワート・ジュブンまで食べられる。変わらずとてもおいしい。だけどシリアから遠ざかるとハラワート・ジュブンは小さくかわいらしくなり、まるで自分の記憶の中のシリアを見るような気がしてくる。

 ふと、20年前に訪れたミーダーンの菓子店をネットで調べてみた。

 すると。なんと、アブルジェディーもサッカールも大いに栄えているではないか。アブルジェディーは店舗も新しくおしゃれになって、職人がUAEのコンテストに出場していた。

 AFPの報道によると、2017年には当時のアサド政権が支配領域をかなり回復したため、多彩な材料が入手可能になり輸出量も回復傾向に入っていたようだ。アサド政権崩壊後、シリアの現在これからに対する懸念は尽きないが、とにもかくにもミーダーンの菓子店はおいしいお菓子を作り続けている。そこに思い出が救われたような勝手な喜びを感じながら、みんなどうしているだろう、と思う。

(2025年0月00日)
〈プロフィール〉
柳谷あゆみ