『アジアと日本 食と味覚の旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧
第4回 アジアの米(ベトナム、日本)
ホ・タンタム(立命館大学立命館アジア・日本研究所 専門研究員)
25年以上ベトナムで生まれ育ち、私のアイデンティティは食文化とコミュニティを中心としたベトナムの豊かな文化的伝統によって形作られた。その後、学術的探求と専門的キャリアを追求するため、日本への移住を決意した。日本の魅力的かつ洗練された文化的慣習に強く惹かれたからである。
ベトナムのロンアン省の田んぼでの稲刈り(2024年9月2日)
日本の滋賀県の環境こだわり稲作(2022年7月24日)
修士課程から現在に至るまで、私の研究はベトナムと日本の稲作と消費の比較である。経済分析にとどまらず、両方の国における米の深い社会的・文化的意義を探求するものだ。この主食が、相互に繫がり合うアジア諸国において、何世紀にもわたって発展してきた文化的アイデンティティ、社会関係、そして伝統的慣習の基盤をどのように形成しているのかに興味がある。
日本とベトナムは現在、気候変動の影響で、米生産において重大な課題に直面している。気温上昇、降水パターンの変化、頻発する異常気象により、伝統的な栽培サイクルが乱れ、収穫量が減少しているのである。両国の稲作農家は甚大な被害を受け、生計と経済的安定が脅かされている。消費者も、生産の予測が困難になるにつれ、価格上昇や食料安全保障への懸念といった経済的影響を経験している。
しかし、両国は持続可能な低炭素型稲作への段階的移行に向けた包括的戦略を積極的に策定している。そのアプローチには、節水型灌漑システム、気候変動に強い稲品種、化学物質投入量の削減が含まれている。これらの革新を導入しつつ伝統的な農業知識を尊重することで、日本とベトナムは長期的な食料安全保障を確保しながら、農業の伝統を守り、変化する環境条件下でも米を文化的アイデンティティの根幹として維持しようとしている。
儀式と祝祭
米は多くの社会、特にアジアにおいて、重要な文化的・伝統的価値を持っている。米は単なる主食ではなく、繁栄、豊穣、幸運の象徴であり、儀式、祝祭、社会慣習と深く絡み合っている。日本では、米と日本酒は神道の宗教儀式に用いられ、正月などの祝賀行事の中心となっている。同様にベトナムでも、米、餅(バインチュン、バインテット)、そして米酒は、仏教の宗教儀式や正月の祝賀行事において重要な役割を果たす。
米酒は、日本とベトナムの両文化において特別な意味を持っており、祖先崇拝、祝祭、式典などの儀式や特別な機会によく用いられる。様々な地域で栽培された多様な純米品種から作られる米酒は、日本とベトナムの両国で、伝統と職人技の真髄を捉えているのである。
滋賀県の「環境こだわり米」とそれを原料とした日本酒(2022年7月15日)
料理
米は、日常の食事から伝統的な祝祭料理、そして現代の創作料理に至るまで、日本とベトナム両国の食文化において中心的な位置を占めている。各地域の気候や土壌に適応した多様な品種が栽培され、それぞれが独特の食感、香り、味わいを持ち、地域特有の料理文化を形成してきた。日本では寿司、おにぎり、どんぶりなど、ベトナムではコムタム(壊れた米の料理)、チャオ(お粥)、フォー(ライスヌードル)など、米の特性を最大限に活かした数え切れないほどの料理が発展し、各国の食のアイデンティティとなっている。さらに、米を主原料とした発酵食品や加工品も豊富で、味噌、醬油、日本酒、ベトナムの米麹発酵調味料などは、両国の料理に深みと複雑さを加える重要な要素となっており、米が単なる炭水化物源を超えた、多様で豊かな食文化の基盤であることを示している。
また、何世紀にもわたる歴史を経て洗練されてきた日本料理(和食)は、日本人の長寿の秘訣と考えられており、近年では長寿を促進する料理として世界的に注目を集めている。この伝統的な食文化は、四季折々の新鮮な食材を活かし、素材本来の味を引き立てる調理法が特徴で、栄養バランスに優れた健康的な食事スタイルを提供する。和食の基本となる一汁三菜の構成は、主食である米を中心に、たんぱく質、ビタミン、ミネラルをバランスよく摂取できるよう工夫されており、低脂肪かつ高栄養であることが科学的にも証明されている。2013年に「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたことで、その文化的・健康的価値は国際的にさらに認知され、世界中の料理人や健康志向の人々から研究され、取り入れられるようになっている。
ベトナムでは、米は単なる主食ではない。メコンデルタ地域では、1日3食全てに米料理が登場し、朝食のフォーやブン(米麺のスープ)、夕食の白米まで、米が食生活の中心となっている。地元の農家には、「良質の米があれば、どんな食事でも満足できる」という考えが根強く残っているそうである。また、地域によって好まれる米の品種も異なり、北部では粘り気のある品種、南部ではあっさりとした食感の品種が好まれる。
食事とご飯を通じた家族の絆
アジア諸国では、食事、特に米食は家族の絆を強める上で重要な役割を果たす。ベトナムや日本といった国では、家族全員が食卓を囲み、一緒にご飯を食べるのが日常的な習慣である。この共有の時間は、単に栄養を摂るだけでなく、その日の出来事を共有し、家族の絆を深める貴重な機会でもある。また、祝日や特別な機会には、特別な米料理が用意され、それを通じて伝統や文化的価値観が次世代へと受け継がれている。米は、シンプルな食事でもお祝い事でも、人々を結びつけ、帰属意識や共通の伝統を育んできたのである。
ベトナムの家族の食事。家族全員が集まり、会話を交わしながら食事を楽しむ(2024年8月24日)
ホ・タンタム(HO Thanh Tam)
立命館大学立命館アジア・日本研究所専門研究員。経済学博士(立命館大学)。専門は環境経済学、持続可能な農業、気候変動への適応と緩和、米生産、政策学。主な著作として “An Economic Analysis of Climate Change Response and Rice Farmers' Behavior in the Mekong Delta of Vietnam”(博士論文)、“The Effects of Multiple Climate Change Responses on Economic Performance of Rice Farmers: Evidence from the Mekong Delta of Vietnam” (Journal of Cleaner Production, Vol. 315, 2021) など。