『アジアと日本 食と味覚の旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧

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第5回 イランで出会う悩ましい魚介のめぐみ(イラン)

黒田賢治先生のお写真

黒田賢治(国立民族学博物館グローバル現象研究部 准教授)

 塩辛っい!

 「だから言ったのに」というレストランの給仕の視線に、「だって食べてみたかったのだから」と笑顔で返した。

 イランの首都テヘランのたまたま入ったレストランで、目に入ってきた「魚の燻製と空豆のポロウ」を一口食べたときのことだった。

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激塩辛魚の燻製の素揚げと空豆のポロウ(テヘラン)

ムスリムにとっての魚介

 筆者が初めてテヘランを訪れた2000年代初頭、テヘランなど内陸部では、魚を食すことは、羊や鶏などの食肉を食べることに比して一般的ではなかった。しかも食用の魚介類と言えば養殖のニジマスかエビであった。もちろんペルシア湾岸に面した地域に行けば、マグロや巨大なハタ科のハムール、シール・マーヒーと呼ばれる「サワラ」など食用の魚の種類も豊富である。

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マスのフライと若鶏とひき肉のキャバーブ(エスファハーン)

 さらにはこの地域には、スンナ派住民も多い。イランで多数派のシーア派法学では、「鱗のない水生生物」を食すことが禁じられているのに対して、スンナ派法学ではそれらを食べることも許容される場合が少なくない。ペルシア湾岸に行くチャンスがあると、テヘランでは見かけない「イセエビ」やイカなども食材として目にすることもできる。そのためどんな料理に出会えるか楽しみでしかたなかった。自慢ではないが、筆者はイランのレストランで提供される大盛のご飯であっても、2人前ぐらいならば食べられる胃袋の持ち主である。そしてレストランをついつい梯子してしまうのである。

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魚とエビのキャバーブ(バンダレ・アッバース)

 テヘランから北上してカスピ海沿岸に出かけても、またまた食欲を駆り立てられた。カスピ海沿岸のギーラーン地方は、日本と同じように温暖で湿潤である。そのためイランの大部分を占める沙漠乾燥地帯とは異なり、手に入る食材も豊かで、独特の地方料理文化がある。たとえば、魚についてもニジマスはもちろんのこと、「カワカマス」や「コイ」、「ハクレン」、白い魚を意味するマーヒー・セフィードなどが食される。筆者が冒頭のレストランで食したのは、マーフィー・セフィードの燻製であった。とはいえ、カスピ海の賜物であったが、先に述べたようにあまり恩恵にあずかったとは言えなかった。

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テヘランの魚屋

サメの鱗とキャビアの関係

 カスピ海の魚類で忘れてはならないのが、チョウザメ類である。チョウザメのなかでもホシチョウザメはウズンブルンと呼ばれ、主にグリルして食べる。サメと名前はついているものの、腎臓が未発達な一般のサメと違い、チョウザメは腎臓があるため尿素を体外に排出することができる。そのためアンモニア臭がそれほどしない食材と言われている。が、それも時間がたてば別の話で、カスピ海から離れたテヘランで夏に食べたときには、アンモニア臭が漂い、残さず食べることをモットーとしている筆者が苦悶の表情を浮かべながら厳しい戦いを繰り広げたことを想像していただけるとありがたい。おかげでそれ以来、筆者にとってチョウザメは苦手な食材である。

 ところで、チョウザメ類は先に述べた「鱗のない水生生物」ではないのかと思われたかもしれない。サメ肌というように、サメには一見してわかる鱗があるわけではなく、チョウザメもカラダの側面に硬い蝶型の突起があるだけである。この突起は、科学的にはガノイン鱗(硬鱗)と呼ばれる鱗なのである。今日のイランでも、それが鱗と認定されており、チョウザメは食べてもよい水生生物なのである。実はその認定がイランのシーア派で広まったのは、それほど歴史は深くなく、1979年のイラン革命後である。それにはチョウザメの卵、世界三大珍味であるキャビアが関係している。

 イランは今日でも有数のキャビアの産地として知られている。1979年にイラン革命後、国際社会との軋轢もあり、イランは外貨収入が一気に減った。そのなかで重要な外貨獲得のための重要な資源の一つであったのが、キャビアであった。革命後のイラン・イスラーム共和国は、革命前の王政期のキャビアの国営工場を引き継いでいた。ところが、しばらくキャビアの製造と販売は停止せざるを得なかった。チョウザメが長らくシーア派のイスラーム法学者のあいだで「鱗のない水生生物」と考えられていたためだ。

 チョウザメを食することが、法学上はハラーム(禁止)であっただけでなく、その卵を食すことも禁止と考えられていた。そして法学上、ハラームであるものを売り買いすることもまたハラームと考えられた。革命後に成立したイスラーム共和体制は、イスラームの理念に基づいた国家社会運営を掲げていた。そのため国家が行う経済活動についてもハラームであることはできなかった。そこで科学の知見が取り入れられながら、チョウザメにある硬い蝶型の突起が鱗であることが確認され、イスラーム法学者たちもそれを認めることになった。そしてようやくキャビアの製造と販売が可能になったのだ。

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カスピ海の海岸(マフムーダーバード)

 チョウザメやマーヒー・セフィードが暮らすカスピ海の味を確かめようと一口舐めてみた。カスピ海の塩分濃度は一般の海水の3分の1程度であり、その塩加減を確かめるためでもあった。かすかなその塩味はマーヒー・セフィードの燻製の塩辛さとは程遠いものだった。

(2025年11月〓日)
〈プロフィール〉
黒田賢治(くろだ・けんじ)
国立民族学博物館グローバル現象研究部准教授。専門は中東地域研究、文化人類学、イラン政治、近代日本・中東関係史。近年の著編著に『イラン現代史:イスラーム革命から核問題、対イスラエル戦争まで』(中央公論新社、近刊)『近代日本におけるイスラームの転回:漂泊する知の考古学』(春風社、近刊)、『戦争の記憶と国家:帰還兵が見た殉教と忘却の現代イラン』(世界思想社、2021年)、『大学生・社会人のためのイスラーム講座』(共編、ナカニシヤ出版、2018年)、『「サトコとナダ」から考えるイスラム入門:ムスリムの生活・文化・歴史』(共著、星海社、2018年)など。