『アジアと日本 アジア伝統医学の旅』(研究者エッセイ・シリーズ)連載一覧
第2回 春画から読み解く医学の歴史
永塚憲治(公益財団法人研医会 研究員)
春画と医学の出会い
春画と聞くと、多くの人は「江戸時代のエロ本」を思い浮かべるだろう。本稿では、春画と医学の意外な関係を紹介したい。江戸時代が始まった17世紀初頭、それまで限られた人々のものだった木版印刷が本格的に普及し、書物は庶民の手にも届くようになった。実用書や娯楽本が次々と生まれるなかで登場したのが、男女の情事を描いた「艶本(えほん)」、いわゆる春画の本である。
江戸後期の戯作者・柳亭種彦(りゅうていたねひこ 1783~1842)は、『好色本目録』という艶本のカタログのなかで、春画本の最初期の一冊である『人間楽時』(にんげんらくじ)を紹介している。それによれば、その本にはまず『房内秘伝美女良方』という春薬(強壮剤や催淫剤のこと)の処方集が置かれ、次に春画が載り、さらに『 真蘇妙論』という書物と薬の処方が付いていたという。この『 真蘇妙論』とは『黄素妙論』のことで、中国・明代の房中書(ぼうちゅうしょ)『素女妙論』を、当時随一の名医・曲直瀬道三(まなせどうさん 1507~1594)が抄訳したものである。房中術とは、男女の交わりを養生法として位置づけ、気を調和させて健康や長寿を目指す技法のことをいう。つまり春画と医学は、その出発点からすでに結びついていたのである。
解剖図はどこから来たか
艶本にはさまざまなジャンルがあるが、なかでも性の手ほどきを説く「色道指南(しきどうしなん)モノ」は、房中術や伝統医学の知識と特に関係の深いジャンルである。その最大のベストセラーといえるのが、渓斎英泉(けいさいえいせん 1791~1848)の『枕文庫』(文政5~天保3・1822~1832年)であろう。好評につき第一編から第四編まで刊行されたこのシリーズは、先行する艶本から図や記事を借りるだけでなく、房中書や伝統医学書、中国の古典からも幅広く知識を取り込んでいる。
驚くべきことに、第二編には、「『解体新書』(日本最初の本格的西洋医学の翻訳書)に倣って写す」と題した胎内の図が載っている(図1)。しかし面白いのは、杉田玄白(すぎたげんぱく 1733~1817)らの翻訳した『解体新書』(安永3・1774年)に、そのような図はないことだ。絵師である英泉の想像力が生み出したものとみてよいだろう。
図1 『枕文庫』(国際日本文化研究センター 艶本データベースより)
一方、第三編には、中国医書の伝統に連なる「内景図(ないけいず)」――五臓六腑を描いた人体図――も掲載されている。英泉自身がその図に「元文・寛延の頃に出た『好色肉蒲団』という草紙から写した」と書き添えており、この『好色肉蒲団』は石川豊信(いしかわとよのぶ 1711~1785)の作とみられる『肉蒲団』(宝暦2・1752年刊)を指すと考えられる。ただし系譜はさらに遡る。おそらくその源は、西川祐信(にしかわすけのぶ 1671~1750)の艶本『風流色図法師(ふうりゅういろずぼうし)』(正徳4・1714年刊)の下巻に載る「子を孕むか孕まぬかの秘伝の図、ならびに五臓六腑の図」であろう(図2)。
「図法師」とは本来、治療のために身体の各部やお灸のツボを示した人体図や人形のことである。『風流色図法師』は、いわばその「エロ版」というわけである。この本は長く上巻しか知られていなかった。ところが私は、Yahoo!オークションで偶然中巻を見つけ、さらに後日下巻も入手することができた。この下巻の内景図があって初めてその題名の意味が分かったのである。
図2 『風流色図法師』下巻の内景図。五臓六腑とともに子宮(子つぼ)が描かれている
では、祐信が描いた内景図はどこから来たのか。こちらは絵師の想像の産物ではない。源流は、明代の後半から末にかけて中国で刊行された医学書――『類経図翼』『医宗必読』など――に付された内景図にある。これらの医書は江戸時代の日本でも次々と翻刻され、広く読まれていた。
鍵となるのが「命門(めいもん)」という概念である。命門は古代中国の針灸医学書の『難経(なんぎょう)』に登場し、もともとは左右二つある腎のうち「右の腎」を指した。そこは精神(精妙な不思議な力)の宿るところ、生命力の源であり、男性では精を蔵し、女性では胎児を宿す胞(子宮)につながる、生殖の要とされたのである。
ところが明の万暦年間(1573~1620)以降、この命門をめぐる議論が盛んになり、左右の腎とは別に命門を位置づける新しい学説が次々と現れる。先に挙げた『類経図翼』や『医宗必読』の内景図はまさにこの新学説を反映したもので、それ以前の図には描かれていなかった命門などをきちんと描き込み、「旧図の誤りを改正した」と誇らしげに注記している。生殖の仕組みを明示したこれらの図が、性の指南書にふさわしい「内景図」として祐信の目に留まったのであろう。祐信は『類経図翼』か『医宗必読』、より可能性が高いのはその和刻本(中国医書の日本版翻刻本)の内景図を見て描いたと考えられる。
当時、中国医学界の最新学説が、わずか数十年後には江戸の春画にも取り入れられていたのである。娯楽本と思われがちな春画は、最新知識を伝えるメディアでもあった。
秘蔵の書は流出していた
医学と春画のつながりには、もう一つの水脈がある。日本には平安時代、丹波康頼(たんばやすより 912~995)が編んだ日本で現存最古の医学書である『医心方(いしんぼう)』(永観2・984年奏進)によって、中国の隋・唐代の房中術の知識が伝わっていた。従来の通説では、この知識は鎌倉時代の梶原性全(かじわらしょうぜん 1266~1337)によって著された現存する日本最古の仮名書き医学書である『頓医抄』(嘉元元・1303年成立)を最後に途絶え、幕末に『医心方』が再発見されるまで忘れられていた、とされてきた。
しかし実際に調査を進めると、話は変わってくる。あるとき偶然に入手した戦国末期の成立とみられる『婚姻秘術抄』は、その内容の大半が『医心方』の房内篇(房中術の巻)を和訳したものであった(図3)。これも偶然、Yahoo!オークションで落札した江戸中期の宝永(1704〜1711年)頃の刊行と思われる艶本『艶顔色鉢の木(えんがんいろはちのき)』に、下巻だけで房内篇からの引用が23条も見つかった(図4)。さらに宝永7・1710年刊の色道指南書『好色秘術集』にも2条の引用がある。『医心方』といえば、宮中や御典医が秘蔵した「門外不出の書」というイメージがあるが、実はその房内篇の内容は密かに巷へ流れ出し、艶本のなかに取り込まれていたのである。
図3 『婚姻秘術抄』江戸前期写本 目録(筆者架蔵本より)
図4 『艶顔色鉢の木』下巻 目録(筆者架蔵本より)
房中術や春画は、長らく研究の場でタブー視されてきたが、近年ようやく正面から研究できる環境が整ってきた。一見すると周縁的なジャンルのようでいて、実はその時代の精神や人間観・身体観を映し出す、豊かで総合的な領域である。春画を単なる「エロ本」として片づけてしまうと、その背景にある医学や知識の世界は見えてこない。そこには、人々が健康や長寿、子どもの誕生を願った知恵や医学が詰まっている。こうした視点から眺めると、春画は江戸時代の暮らしと医学を映す貴重な文化資料として、新たな姿を見せてくれる。古い艶本を調べていると、思いがけない医学知識や歴史のつながりが見つかることがある。そうした発見こそが、この研究の醍醐味である。
永塚憲治(ながつか・けんじ)
公益財団法人研医会研究員。専門は思想史、科学技術史、中国医学、書誌学など。主な著作に「日用類書と『宝暦・明和頃刊行の欠題艶本』との関係について:特に春薬を中心に」(『医譚』122号、2025年)、「新出の艶本『風流色図法師』巻下の内景図について」(『医譚』119号、2024年)、「关于新发现的房中术书《婚姻秘术抄》与艳本《艳颜色钵之木》:卷子本《医心方》“房内”的所在」(『“写本文献与東亜伝統医学”学術検討会論文集』2024年』、『『医方類聚』傷寒門』(共編、研医会図書館、2025年)、『素女妙論』(京大人文研科学史資料叢書、臨川書店、2023年)など。