2019年4月、医薬品や医療機器の費用対効果を評価し、価格の調整に反映させる「費用対効果評価制度」が本格導入された。
それにあたり国内初の公的分析実施機関の一つに選定されたのが、「立命館大学総合科学技術研究機構医療経済評価・意思決定支援ユニット(CHEERS:Comprehensive Unit for Health Economic Evidence Review and Decision Support)」である。CHEERSのユニット長を務める下妻晃二郎は健康アウトカム(成果)評価や医療経済評価などを研究し、「医療の質」のプロセスと成果の適正な評価方法の確立に力を尽くしてきた。費用対効果制度の導入に際しても早くから「効率的で公平な医療資源の配分」の重要性を説いてきた一人だ。
「医療技術を適正に評価し、医療資源の配分を決める政策に反映させる取り組みは欧州では20年以上前から進められていました。日本でも1990年代から徐々に研究が進み、政策への応用が何度か模索されましたが浸透するには至りませんでした」と下妻は今回の制度導入までの経緯を説明した。
下妻によると欧州から広がった「医療技術評価(health technology assessment:HTA)」の特徴は、患者に対する効果や安全性に加え、「社会的価値」があるかどうかを評価する点にあるという。「社会的価値」には組織的、経済的、法的、社会・文化的、政治的、倫理的といった幅広い側面が含まれる。
「適正な医療を追求する流れの中で、科学的な根拠・エビデンスに基づく医療から『価値』に基づく医療へパラダイムシフトが起こったことがその背景にあります」と下妻。国の財源が限られている中で有効性と安全性が証明されたからといって無制限に医療技術を提供することはできない。そこで公的資金で賄う範囲や優先順位を決めるために登場したのが、提供する医療を「社会」の視点で評価する動きだった。
すでにイギリスやオーストラリア、カナダ、オランダ、スウェーデンなどで、アジアでも韓国やタイでHTA機関が設立され、費用対効果の評価が医療費などを決める政策に応用されている。「日本でも近年、高齢化や医療技術の進展によって医療費が高騰する一方でGDPは低下しており、医療費が次第に財政を圧迫するようになっています。このままでは世界に誇る国民皆保険が破綻しかねないという危機感から、2010年代に入り費用対効果分析の導入が前向きに検討され始めました」と解説した下妻。今回導入された費用対効果制度は、本格的なHTAを実践するイギリスの制度を手本にしながら、日本向けに修正が加えられたものだと続けた。「イギリスなどでは評価結果が医療費の償還の可否も左右しますが、日本ではまずは償還価格の設定や調整に用いられることになります。これまでそれなりにうまく機能してきた日本の意思決定システムも尊重しながらHTAの手法をどう取り入れていくか、今後も考えていく必要があるでしょう」。
今回の制度でCHEERSは費用対効果を評価するための判断材料を提供する役割を担う。そのプロセスは次のようになる。「厚生労働省が、海外で費用対効果が悪いとされたものや極めて高価なもの、予算への影響が大きなものなど評価対象となる医薬品や医療機器を選ぶと、まずそれらを製造・販売する企業がガイドラインに沿って自ら費用対効果分析を行います。それを中立的な立場からレビュー(評価)するとともに、必要と判断すれば再分析を行うのが我々CHEERSの役割です。具体的には企業と検討を重ねながら追加的な有効性を検討したり、医療経済評価の数理モデルを使って費用対効果を算出し直したりとさまざまな評価・分析を行います」と下妻。その結果をもとに総合的評価が行われ、最終的に償還価格の調整に反映されるという。早くも2019年5月から最初の対象品について検討が始まっている。
現在CHEERSでこの任にあたるのは、下妻を筆頭とした4名の研究者たちだ。医療統計学と費用対効果の分析を専門とする副ユニット長の森脇健介は主に費用対効果評価モデルの検討や再分析を担当する。他に臨床疫学の専門家である星野絵里、およびデータサイエンス、疫学を専門にレセプトデータ等の解析を行ってきた酒井未知も専門を生かして各々の仕事を担っている。
「費用対効果評価を受託するだけでなく、分析・評価で得た経験・知見を研究に生かすことも私たちの使命です」と下妻。現在用いられている指標では公正に評価できない医療技術があったり、余命の短い人を対象とした医薬品の償還には不利になるといった課題もある。下妻は海外の評価指標を日本でも活用できる形に翻訳したり、特異な疾患にも対応できる多様な指標の可能性を探っている。その成果をもとに数理モデルの構築やシミュレーション分析を得意とする森脇とともに新たな評価手法の開発を目指すという。また全国民のレセプト情報を集めた「レセプト情報・特定検診等情報データベース」を活用した研究を行う酒井、エビデンスのシステマティック・レビューを検証してきた星野もそれぞれの専門から評価技術の向上に取り組んでいく。
下妻はこう意気込みを語った。「今後ますます費用対効果評価を行う人材が必要になります。そうした人材の育成にも尽力したい。CHEERSが先陣を切って日本のHTA、費用対効果評価の進展を引っ張っていきます」。