白川先生のことをもっと知る日本経済新聞 「私の履歴書」

1999/12/18 日本経済新聞 朝刊

立命館大学名誉教授白川静氏 (17)

詩経研究——講座開設控え集大成

昭和三十三年二月、文学部の博士課程として、東洋文学思想専攻を設置することになった。これよりさき、大学院科長橋本循先生が手続きのため東上され、東京大学の和田清・倉石武四郎の両教授が審査委員として来校された。審査は無事に終り、やがて博士課程が開設され、私も何れ講座を担当することになる。私はこの機会に、かねて研究対象としていた詩経研究をまとめることにした。

「詩経」は世界で最も古い歌謡集であり、しかも民衆の生活、貴族社会の祭祀歌、またその政治的、社会的現実の感情をそのまま表現した、稀有の古代文学である。これに匹敵するものは、時期的にはかなり下がるが、その古代的性格を同じうする「万葉」の他に、比肩すべきものはない。オリエントやインドにはかなり古い歌謡もあるが、みな宗教的歌謡で、当時の生活者の感情を直接に表現するものはない。その上「詩経」と「万葉」とは、同じく東アジアの古代に属している。この両者は比較文学の対象として、世界で最も古く、この上なく恰好の条件をもっている。

比較研究のためには、まずそれぞれの作品を徹底的に研究しなければならない。しかし「詩経」は、中国の古典として、経学的な伝統によって繋縛(けいばく)されており、丁度わが国の記紀歌謡のように、極めて不自然な後次的解釈が加えられている。フランスのベトナム支配当時、東洋学の研究に従事した研究者の一人であるグラネーによって、西南諸族の民謡との比較研究が試みられたが、この次元の異なる比較研究においても、多少の収穫はあった。しかしそれすらも、中国の詩経学では顧みられることはなかった。また新しい古代研究の分野として、甲骨金文学の領域があるが、その成果も、あまり顧慮されることがなかった。この分野において最も重要な民俗学も、聞一多(ぶんいった)の先駆的な業績のほかには、見るべきものはなかった。

私はそのような研究上の課題に注意しながら、従来詩篇についての考察若干篇を発表してきたが、私の研究は大体五部に纏(まと)めるつもりであった。すなわち通論編・民俗編・解釈編・研究史編・訳注編である。それで大学院博士課程の開設に伴ない、修士課程に民俗編・解釈編、博士課程に通論編を充てることにした。かねて多少の用意があったことで、まず通論編・解釈編の両編を完成した。通論編はA5判に組んで六百七十ページ、解釈編は四百五十ページである。解釈とは詩篇の性質的理解の方法を論ずるものであった。

民俗編は完成に至らず、そのうち発想法を問題とする「興の研究」を、同じく三百六十ページにまとめ、将来は各論数篇を加える予定であった。研究史編は先秦を除いて未完、訳注編は晩年に至って漸(ようや)く刊行の運びとなり、平凡社の東洋文庫に「詩経国風」「詩経雅頌」(1・2)の三冊を収めた。

通論編・解釈編を出したとき、京都大学の吉川幸次郎博士から、旧制による学位請求をしてはどうかという申し入れが、橋本先生を通じて伝えられ、私は先生に勧められて通論編を主論文、解釈編を参考論文とすることを希望した。しかし通論編は分量が多く、その頃書きあげたばかりの「興の研究」が適当量であるというので、それを主論文、他を参考論文とすることになった。審査には小川環樹・重沢俊郎のお二人が参加された。大学院担当ということなので、これは一種の通過儀礼のごときものである。通過儀礼は、通過することに意味があり、それで終るべき性質のものである。

私はしばらく執筆の機会を得なかった「甲骨金文学論叢」の第十集を刊了、活字で印刷するようになった「金文通釈」の改稿をはじめた。すでに五十を超える年齢であった。

(立命館大学名誉教授)