白川先生のことをもっと知る日本経済新聞 「私の履歴書」

1999/12/25 日本経済新聞 朝刊

立命館大学名誉教授白川静氏 (24)

漢籍——東洋の誇るべき遺産

私の考えている東洋の精神の世界から、中国の古典籍を除外することはできない。それはいうまでもなく、東洋の精神の淵叢(えんそう)をなすものである。東洋の理念は、その教養の中から生まれた。戦前の政治家には、その教養をもつ人が多く、漢詩をよくする人もあった。その人たちの人間形成の上に、漢籍の素養があった。漢籍は大人の教養書であり、そこには概ね一種の理想主義があった。戦後の教育は漢文を旧弊として軽視したが、同時に成人としての大事な教科を失った。

戦後の教員審査で小泉苳三(とうぞう)先生が不適格とされ、門下の諸君が編集に参加して白楊社を創立、国語科の図書出版をはじめ、私は新しいカリキュラムによる「高等漢文」三冊を編集し、教科書の認定を受けた。新しい教養としての漢文教育を樹立したいと考えたからである。しかしこの新しい単元方式の教科書は、直ちに大資本の教科書出版会社の踏襲するところとなり、業績を久しく維持することは困難であった。

先生が捜集(そうしゅう)された白楊荘文庫は、維新以後の短歌史資料の集成として、当時全国一の充実を誇るものであったが、先生はそれを立命館大学に寄附されたまま大学を去られた。追放解除後、かねて完成されていた「明治大正短歌史研究」で学位を得られ、関西学院大学教授として学界に復帰されたが、数年後に急逝された。私の新しい漢文教育の方途も失われた。

学校の教科としては失われたが、中国の古典籍が、東洋の誇るべき遺産であることにかわりはない。現在の国際政治的な状況によって、東洋はいま故意に分断されている。本来親縁であるべきものが、強国の世界戦略によって、不自然に分断されているといってよい。東洋人が、東洋人としての自覚において、その親縁を回復する道はないのであろうか。幾たびも戦火を交えてきたヨーロッパの諸国でさえ、今は一つの連邦国家をめざしている。何のための分裂であるのか。これを修復することは、喫緊(きっきん)の課題でなければならぬ。

中国の古典に近づく方法は色々あるであろうが、最も日常的なものとしては辞書がある。しかし従来の辞書は、文字の理解も十分でなく、ただ字書的な訓義を集め、用例としての例文をあげるだけで、これを統貫するものがなく、感激をよび起すものがない。知識的な探査の要求を、ひき起すものがない。文字の十分な理解のもとに、それによって表現される世界への清新な驚きをさそうものがない。しばらく留連して遊びたいという知的衝動を促すものがない。

文字の起源的な意味はどうであったのか。歴史的にどのような意味展開を遂げてきたのか。わが国でどのように理解されてきたのか。他の字義と、それはどのような系列、親縁の関係をもつのか。その歴史的な、また体系的な知識が与えられることによって、字書は一つの世界となり、その安定した秩序の中で、遊ぶことができるのである。

そのような字書を作るために、準備的な段階で色々協力を受けたが、執筆段階では私が一人で書いた。また引用文の取捨について、新しい文例の捜査についても、私自身が録入したものが多い。従来の漢文教育的な習気を払拭するためである。引用文は表現の完結性を求めて、長文となることを避けなかった。かつ全文を訓読し、時に補釈を加え、そのまま理解しうるものとした。かつ多くの下続語を加え、語彙を豊富にした。

この「字通」は「字統」の時以上の反響をよび、私の趣意は、ほぼ理解されたものと考える。この字書三部作によって、その翌年度の朝日賞を贈られた。またその少し前に、京都府の文化賞特別賞を受けた。命長くして、多くの幸いを得ることとなった。

(立命館大学名誉教授)