白川先生のことをもっと知る日本経済新聞 「私の履歴書」

1999/12/28 日本経済新聞 朝刊

立命館大学名誉教授白川静氏 (27)

わが国——あまりに放漫な社会

いま東洋は、あとかたもなく消え失せている。しかし東洋は、必ず回復されるであろうし、また回復されなくてはならぬ。東アジアの地は、モンスーン地帯として、その気候風土が同じである。そこで営まれている生活は、有史以来、基本的には変ることのないものであった。

いまは、ベトナムのように、フランスの植民地政策によって漢字を廃されたところもあり、また民族主義的な立場から、漢字を棄てたところもあるが、そのために漢字で表記されている過去の貴重な自国の文献は遠ざけられ、文字文化一般がすべて失なわれようとしている。逆説的にいえば、それは一種の反文化政策であるともいえよう。

漢字が教育の妨げとなり、人の思索や創造力を弱めていると考えるのは、大きな誤りである。努力をしないで習得される程度のものが、すぐれた文化を生むと思うのは、横着な考え方というべきであろう。むしろ学習の条件が高められている今では、以前よりも多くのことが効果的に学習され、より創造的なしごとが期待されるはずである。

しかし人々は、あまり知識を欲していないようにみえる。未知のことを知ろうとしていないようにみえる。たとえば文字にしても、常用漢字の世界に安住して、それ以上のことは余分のことのように思ってしまうのではないか。万事が、あてがわれた範囲のことで、満足する習癖となっているのではないか。

知識は、すべて疑うことから始まる。疑うことがなくては、本当の知識は得がたい。疑い始めると、すべてが疑問にみえる。それを一つずつ解き明かしてゆくところに、知的な世界が生まれる。単に知識のことばかりではない。世上のありかたすべて、そのままでよいはずはない。

私は東洋の理想を求め、その歴史的な実証を志して出発した。しかし世の中は、私と全く異なる、逆の方向に進行した。私は崩壊してゆく東洋を目前にしながら、より古く、より豊かな東洋の原像を求めて彷徨した。二十にしてその志を抱いたとすると、今ほとんど七十年である。私の行動は、そのためつねに、反時代的なものとされた。

私は、戦後、最も民主的であるといわれた私の母校では、圏外の人であった。私が何のために中国の古典をよみ、「万葉」をよみ、文字を論じ、漢字制限を批判し、文字文化の回復を論じてきたのか、人々は概ね私の保守性によるものとされていたようである。私の考えかたが、漸く一部の人に理解され、注目されるようになったのは、字源字書である「字統」を書いてからのことであろう。私はその序文に、私の志のあるところを簡明に記しておいた。

しかし東洋の回復には、おそらくまず政治的な意味での東洋の回復がなくては、望みがたいことであろう。政治的な意味での東洋の回復には、まず東アジアの世界が、本来の東アジアの世界を回復しない限り、それは不可能なことであろう。

私のこの履歴書は、その意味では、時代に逆行した、一読書人の手記ということになろう。もし私の仕事に、何らかの時代的な意味が与えられるとするならば、それは時代に逆行した、反時代的な性格のゆえに、かえってその時代のもつ倒錯の姿を、反映させたという点にあるのかも知れない。

大正期の暗く貧しい時代に生長した私の記憶からいえば、今のあまりにも放漫な、節度を失った社会は、いくらか異質なものにみえる。最も規律の厳正なところであるはずの自衛隊や警察の内部に、腐敗のかげが浸潤し、企業は利益のために手段を顧ることがない。東洋を回復する前に、まずわが国を回復しなければならない。東洋的な理念のあり方からいえば、貧しいこともまた一つの美徳であった。

(立命館大学名誉教授)