<校章の変遷>
立命館の校章は、1913(大正2)年の財団法人『立命館』の設立から始まります。
1900年に創立した「京都法政学校」は、財団の設立とともに「立命館」の名称を冠し「私立立命館大学」「私立立命館中学」となりました。
これを機に校章が改定されて、「立命」の文字が表記されるようになったのです。
1913年(大正2年)-最初の校章-
「立命館学報」第1号(大正3年2月)に、制帽の徽章改定について記載があります。
「制帽徽章の改定 学校名称改まり大学中学に立命館を冠することになりたれば大学生並に中学生徒の制帽前章を左に示したる通りに改め之を真鍮製にし大学生は角帽中学生徒は独逸形帽の中央に附し一見本学学生若くは生徒たることを瞭然たらしむる事にしたり」
こうして制帽の徽章として定められた最初の校章がこれです。
1922年(大正11年)
1919(大正8)年4月1日、大学令が施行され、それまで大学と称してはいたが法的には専門学校であった私学も、大学令に基づく大学に昇格できるようになりました。
1922(大正11)年、立命館も大学昇格を果たし、これを記念して「帽章、襟章」の図案募集が行われています。そうして決定されたものがこれです。
1941年頃(昭和16年頃)
現在の校章になったのは、1941年頃(昭和16年頃)でこれに先立ち1935年頃(昭和10年頃)に色指定がなされています。色は立命の文字を金、大学の文字は銀でした。
時期がはっきりしないのは、敗戦後に禁衛立命の解体を急ぐあまり各種書類を焼却したため記録がなくなったことによります。(『立命館学園広報』(1971年6月20日))
<いろいろな徽章>
校章以外にも、立命館の歴史の中で、様々な「徽章」が生まれています。新校章を目指して募集したもの、シンボルとしての徽章、コミュニケーションマークとしての徽章。
その誕生の変遷をみてみましょう。
「立マーク」(1960年~1994年)(校章にはなれなかった統一マーク)
1960年、学園は創立六十周年記念事業の一環として、校章の改定を意図して新しいデザインの校章と学生歌を募集しました。(注1)
『立命館学園新聞』(1960年7月1日号)には、「庶務課は六十周年記念行事の一環として本学学生歌の歌詞と校章を本学学生・教職員・校友を対象に募集している。」「校章の〆切は8月末日、発表9月中旬、賞金は一席5万円、佳作二席各1万円、大きさ、色は自由、ただし原寸を記入のこと。」との記事があります。
236件の応募がありましたが、「創立六十周年記念行事の一環として募集した校章図案に関して、専門家を加えた委員会で銓衡したが、応募作品の中には優秀なものがない為、佳作三点を決め、今回は校章として選定することを見送りバッヂとして利用させたい旨説明があって、一同諒承。」(1960年10月28日 理事会議事録)として決し、校章の変更はなされず、応募作品は「バッジ」(徽章)としてリリースされることとなりました。
『立命館学園新聞』(1960年11月1日)には、「統一バッチ決まる 青木君(法3)の図案採用」の見出しで、「庶務課は六十周年の一環として校章を募集していたが、8月末に〆切り、このほど大学諸機関の審議も終わって31日発表された。約240点の応募があったが、入選作品がなく佳作三点が選出された。佳作三点とも青木喬君(法・三)の作品で、バッチは立命館の立の字をもじり二つの弧が組み合わさっている。」と報じています。
その後、このバッジは、年明けの1961年1月9日から販売が始まりました。
『立命館学園新聞』(1961年1月13日)には、「売れゆきは上々 9日から新バッチ発売」の見出しがあり「厚生課は六十周年記念行事の一環として決定した統一バッチ(青木喬-法・三-の図案)の発売を9日から始めた。バッチの単価は15円で色は金、銀、銅、赤銅の4種類がある。これで従来のバッチは一掃され全部統一される。」とあり、図案の意図について「立の字をもじったものであるが、弧は完成していない円、すなわち人間として未完成である学生を示し、二つの交り合っている弧は互いに協力しあうことを象徴している。」と説明しています。(注2)
このマークはそのデザインの類似性から通称「亀の子マーク」として学生・教職員に愛され、立命館中学校・高等学校の校舎に掲げられたり、校友会の卒業記念バッジとして配布されたり、ネクタイやライターなどの記念品のモチーフとして活用されました。(注3)
Ritsマーク(1994年~2007年)(学園アイデンティティのシンボル)
1960~1980年代にかけて愛用された「立マーク」に代わり、新たなマークが生まれました。
1994年3月9日常任理事会で決定したこのマークは、「本学のめざすべき姿を視覚化し、より強く、より美しく『立命館』を印象づけるコミュニケーションシンボル」として位置づけられ、「『21世紀に日本をリードするベストユニバーシティ』としての存在を確立する」ことを目的とする総合広報戦略の一環とされました。
いわば学園アイデンティティの象徴として創造されたマークだったのです。(注4)
また、常任理事会では、このマークの決定にあわせて、イメージコンセプトも決定されています。それは
「知の活力と理性で未来をひらく大学」「『未来を信じ未来に生きる。そこに青年の生命がある』知性と理性が生み出す若々しい生命 そのいきいきした力で未来を志向する大学」
というものでした。
以後、学園の発行物等は、すべてこのマークに統一され、これまでの「立マーク」は使用しないこととされました。(注5)
Rマーク(2007年~)(学園のブランドコミュニケーションマーク)
1994年に設定されたRitsマークから10数年を経て、学園は大きく発展しました。これに伴い「立命館ブランド」のさらなる強化が必要とされるようになります。
こうして2007年、現在使用されている「R」マークが制定されます。
「コミュニケーションマークの設定について」(2007年9月12日常任理事会)では、「立命館学園のブランドコミュニケーション活動の強化を目的」として、「約10万人の受験生やその父母、30万人を越える卒業生や教職員等、立命館学園のステークホルダーの関係強化を図る」「立命館学園のすべてのステークホルダーの『心をひとつにする』」ことを目指して設定することが述べられています。
デザインはクリエイティブディレクター/アートディレクターの秋山具義氏、5:8の黄金比を元に、立命館憲章で掲げられた「『確かな学力の上に豊かな個性を花開かせ、正義と倫理をもった地球市民として活躍できる人材』を生み出す『立命館学園』の姿を頭文字『R』一文字で表現。ゴシックで表現することによって、力強さ、信頼感、本物感、安定感を強調」するとしています。
あわせて「+R 未来を生みだす人になる。」をタグラインとして設定し、以降、「コミュニケーションマーク」として様々な広報に使用されるようになりました。
2007年10月には、このコミュニケーションマークの使用基準が定められ、Ritsマークは2008年から徐々に入れ替えていくこととされました。(注6)
<立命館アジア太平洋大学>
2000年4月に大分県別府市に開学した立命館アジア太平洋大学は、従来の立命館の校章をアレンジするのではなく、大学のイメージにふさわしい新しいシンボルマークを設定しました。
このシンボルマークは、1999年4月に完成し、キャンパス正面のツインタワーに掲げられました。
『立命館アジア太平洋大学 開学の歩み』(2000年5月20日)には
「APUのシンボルマークが完成し、4月1日より使用を開始しました。デザインは、富士通・ファミリーマートなどのシンボルマークを手がけたデザイナーの原田進氏によるものです。立命館アジア太平洋大学のシンボルマークは、略称を『APU』と定め、これをベースに、21世紀のアジア太平洋を象徴する躍動感あるイメージ、アジア太平洋からの発信を連想される波のモチーフをデザインし、立命館の歴史と伝統を受け継ぎファミリー性をアピールする同じエンジ系カラーを使用、太ゴチックのフォントで世界に広がるダイナミックさを表現しています」(p59)と、主旨を記載しています。
このシンボルマークは、1999年12月1日常任理事会においてAPU校旗にも使用することが決定しています。
<附属校の校章>
学園附属校は、それぞれの前史を引き継ぎながら校章を定めてきました。
各校が誕生したときに定められた校章を見てみましょう。
立命館中学校・高等学校(1905年)(御所・清和院御門に由来する校名)
現在の「立命館中学校・高等学校」は、1905(明治38)年「私立清和普通学校」として誕生しました。その後「私立清和中学校」(1906年)、「私立立命館中学」(1913年)、「立命館中学」(1919年)と変遷し、1928(昭和3)年に「立命館中学校」という校名になりました。清和という名称は、最初の学舎が御所・清和院御門前の広小路キャンパスに誕生したことから名づけたものです。
校章は立命館大学と同様の経過を辿り、しばらくは「立命」の文字だけを使っていました。その後、現在使用されている「立命」の中に「中」を入れる校章となっています。
「立命館高等学校」は1948年に誕生し、立命館中学校の校章に準じて制定されました。
立命館宇治中学校・高等学校(1995年)(宇治茶の葉をイメージ)
現在の「立命館宇治中学校・高等学校」は、学校法人宇治学園が設置する「宇治高等学校」を前身として、法人合併の後1995年4月に「立命館宇治高等学校」として開校しました。(注7)
校章は「宇治高等学校の校章にも用いられていた『宇治茶の葉』のデザインの上に『立命』および高等学校を意味する『高』を組み合わせたものとする。配色は、『宇治茶の葉』を銀色、『立命』を金色、『高』を銀色とする。」(1994年7月22日理事会) として定められました。
2003年4月には「立命館宇治中学校」が開設され、校章は高等学校に準じるとして制定されて現在に至ります。
立命館慶祥中学校・高等学校(1995年)(雪と星をモチーフに)
現在の「立命館慶祥中学校・高等学校」は学校法人慶祥学園が設置する「札幌経済高等学校」を前身とし、法人合併の後1995年12月に「立命館大学慶祥高等学校」として誕生しました。校章は「図案の背景は雪と星をデザイン化し、未来に向けて光輝く高校のイメージを強調しており、同時に『線の集合』は人の集まりを外周の六角形が輪(和)をイメージしている(札幌市も市章のモチーフとして雪の結晶をデザインしている)
デザイン的には、太い線のシンプルな構成により、現代的・先進的な印象を与えるよう配慮してある。
中心部には立命館学園共通の『立命』の文字、高校を表す『高』の文字を重ね合わせている。」(1995年12月22日理事会)として制定されました。
「立命館大学慶祥高等学校」は2000年4月に中学校を開校、同時に学校名を「立命館慶祥中学校・高等学校」としています。中学校の校章は高校に準じて定められています。
立命館守山中学校・高等学校(2006年)(びわ湖に広がる波紋)
現在の「立命館守山中学校・高等学校」は、滋賀県守山市立の高等学校を前身とし、2006年4月に「立命館守山高等学校」として開校しました。
校章は「滋賀県に設置される附属高校であることと、世界水準の人間形成をめざす立命館守山高等学校の拡がりを、びわ湖の水面で波紋が広がっていく様子で表している。文字は接続先である立命館大学ならびに立命館アジア太平洋大学の『立命』の文字デザインを基本とし、高等学校を意味する『高』を組み合わせたものとする。配色は、円の部分が白地に銀色、『立命』が金色、『高』をえんじ色とする。」(2005年7月15日理事会)として制定しています。
2007年4月には中学校も開設され、校章は高校に準じて定められました。
立命館小学校(2006年)(社会の中で学び友情の輪を)
「立命館小学校」は2006年4月、かつて立命館中学校・高等学校があった北大路のキャンパスに開校しました。校章は、「①立命館小学校の児童は立命館中学校・高等学校へ進学することが設置委員会で確認されている。接続先である立命館中学校・高等学校のデザインを基本とした。
②小学校と初めての社会(輪)の中で学ぶ・友情の輪をイメージしている」(2005年6月22日常任理事会)として制定しています。
2016年4月 立命館 史資料センター
(注1) この時に同時募集した「学生歌」は 応募数数百編 9月1日に入選作を発表している。「立命館学園新聞」(1960年10月22日)には「学生歌できる かがやける明日をのぞみて」と題して「審査の結果、岩崎絃久君(理工学部1回生)の「かがやける明日をのぞみて」が入選した。作曲は長谷川良夫氏(東京芸術大学助教授)に依頼、発表は11月6日の六十周年記念式典で行われる」とある。
(注2)徽章を意味するbadgeは「バッジ」または「バッヂ」が発音に近いが、学園新聞記事では「バッチ」となっている。引用であるため原文ママとした。
(注3) 「立マーク」については『立命館百年史 通史二』pp.608-609も参照してください。
また、1988年、立命館中学校・高等学校が北大路から深草に移転した際、校舎に掲げられた「立マーク」は、現存する最後の「立マーク」でしたが、2014年立命館中学校・高等学校が長岡京キャンパスに移転した際取り外され、現在は史資料センターに保存されています。
<最後の「立マーク」>記事参照
https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=103
(注4) 「Ritsマーク」については、『立命館百年史 通史三』pp.585-587も参照してください。
(注5) 「新しいコミュニケーションシンボルRITSの展開について」(1994年3月9日常任理事会)には、Ritsマークを立命館を冠するあらゆるものに使用することとされ、展開の例として①広報・広告物(大学案内、入試要項、パンフ、新聞広告、ポスター、プレスリリース用紙)②校章類(名札、学生証、職員証)③事務帳票類・文書類(名刺、封筒、用箋、請求書、ゴム印)④サイン・什器類(屋内外表示、ゴミ箱)⑤車両類⑥ユニフォーム類が例示されています。学生諸団体、校友会、父母教育後援会のユニフォームや発行物にも統一使用をしてもらうよう学園から要請をすることとなりました。
Ritsのロゴ、組み合わせる和文・英文学校名も全て規格化されて、使用するカラーもスクールカラーとして「特色 DIC PARTⅡ 2488(1版)」「4色分解 C-20 M-100 Y-50 BL-10 相当色」と定められました。
また、これまでの校章、立マーク並びに筆文字の「立命館」の扱いについて明記されています。
「校章は1905年に制定されて以来、本学を象徴するものとして受け継がれてきた。また立マークは、学園創立60周年にあたって公募されたもので、以来親しまれ使用されてきた。一方、学祖・西園寺公望による筆文字「立命館」は、本学にとっては歴史的・文化的な財産として、長い間立命人に親しまれてきたものである。従って、これらは今後も立命館の財産として、当然受け継がれていくものである。しかし、その使用にあたっては特別に限定されて使う場合を除いては、今後広報物等にデザイン的に使用することはしない。
また、立マークについては、今回ロゴマークが決定したことによってその歴史的役割を終えたものと判断し、今後新たな使用はしない。」
なお、このマークは民間のデザイン専門会社3社からの提案を広報委員会で選定し、採用された会社は「㈱GKグラフィックス」(東京都新宿区)でした。 「立命館学園の「校章」「襟章」「その他の徽章」等について」 『立命館百年史紀要』第18号(2010年3月)
(注6) 「コミュニケーションマーク「R/RITSUMEIKAN」の使用基準ならびに新マーク制定に伴う今後の使用方針について」(2007年10月24日 常任理事会)には、「使用基準」として「マーク(R)とロゴタイプ(RITSUMEIKAN)は、他大学・団体等との混同を生じることがあるので切り離さずに必ず一体のものとして使用することとする。
基本デザインとして縦組みと横組みの2通りを開発した。基本的には「R」と「RITSUMEIKAN」が一体となった縦組みデザインを使用することとする。」と定められています。
また「カラー」はこれまでのRITSマークと統一して 特色 DIC PART2 2488(4版)、4色分解参考色として C:30 M:100 Y:100 k:10、C:20 M:100 Y:70 k:30、と指定。「バックが濃いベタ色の場合はシンボルマーク、ロゴタイプ共に白抜きとして使用できる。スミ1色で表現する場合はスミ100%で表現する。」としています。
(注7) 立命館宇治高等学校は1995年4月をもって開校とされるが、1994年8月には宇治三室戸学舎の国道沿い正門に「立命館大学附属 立命館宇治高等学校」の木製プレートが掲出されている。これは1994年3月1日の合併調印式後、4月27日から開始された「学校法人立命館・学校法人宇治学園教学に関する協議会」での教学内容精査結果と、6月から開始された生徒募集の広報活動にともなって地域の強い関心を得たこと。8月には法人合併が認可されたことから掲出された。また9月には校名を「立命館宇治高等学校」に変更しているため、これをもって設置とする場合もある。
※校旗については「<懐かしの立命館>校旗の色は「紫紺」 えんじ色はスクールカラー」もご覧ください。https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=104