2025年2月21日から劇場で公開される映画『ゆきてかへらぬ』は、「大正時代の京都と東京を舞台に、実在した女優・長谷川泰子と詩人・中原中也、文芸評論家・小林秀雄という男女3人の愛と青春を描いたドラマ」¹です。
天才詩人と評される中原中也は、大正12(1923)年4月から大正14(1925)年3月までの2年間、京都で立命館中学校に通いました。中也が16歳から17歳の多感な時期で、しかも文学観や人生観にも多大なる影響を与えた時期でした。映画はまさにこの頃の中也をめぐる人間関係を表現したものです。
さて、立命館史資料センターは、学園の歴史にまつわる様々な事歴を保存・利活用しています。また、様々な学園の事歴の調査研究もしています。今回は、中也の立命館中学校時代、実に8回も下宿を転居していますので、その推移を調べてみました。
はじめに
大正12(1923)年3月にそれまで通っていた山口中学校の落第が決定し、「今後、学校には行かないと家族に宣言」したものの、父親・謙助の意向もあり、編入試験を受け付けていた立命館中学校を受験して合格し、京都に住むことになりました。中也は「大正十二年春、文学に耽て落第す。京都立命館中学に転校す。生まれて始めて両親を離れ、飛び立つ思ひなり」(「詩的履歴書」)と記しています。11月には「秋の暮、寒い夜に丸太町橋際の古本屋で『ダダイスト新吉の詩』を読む。中の数篇に感激」(「詩的履歴書」)しています。12月には劇団表現座の長谷川泰子と知り合います。
大正13(1924)年4月には長谷川泰子と同棲します。また4月に冨倉徳次郎に、5月に正岡忠三、吉田鉄治、7月に富永太郎と知り合っています。まだ17歳ですが、お酒を飲んで語り合ったりしたようです。
したがって、この2年間は、一人暮らし、ダダイズム²との出会い、同棲、文学談義仲間との出会い等、中也の文学観、人生観に多大なる影響を与えた時期といえるでしょう。
残念ながら立命館中学校での学業成績の方は、3年次の成績は146人中126番、4年次の成績は151人中140番でした³。
(1)京都市上京区岡崎西福ノ川 沢田方
大正12(1923)年4月に京大生が多く住む下宿に入居しました⁴。現在地は「京都市左京区岡崎西福ノ川町」⁵。立命館中学校広小路学舎への通学を想定して下宿を探したと思いますが、編入学が決定した時期が遅く、それほど学舎に近い場所ではなかったようです。岡崎善正寺の西辺りです。
(2)京都市上京区聖護院西町9 藤本大有方
同年9月には転居しました⁶。現在地は「京都市左京区聖護院西町10」⁷。熊野神社の近くで、京都大学医学部付属病院の駐車場の東大路通をはさんだ向い辺りです。
(3)京都市北区小山上総町
転居早々ですが、同じ月にさらに転居しています。同志社の学生もいる下宿でした⁸。現在地は「京都市北区上総町」⁹。立命館中学校北大路学舎(北区小山西上総町)のすぐそばへの転居です。
(4)京都市丸太町中筋 菊ヤ方
同年11月には転居しました¹⁰。「菊ヤ」は旅館で、現在地は「京都市上京区中町通丸太町下ル駒之町538-1」¹¹。河原町丸太町の東辺りなので、学校からは遠ざかっています。
(5)京都市寺町油ノ小路下ル西入ル
大正13(1924)年2月頃に引っ越しました。住所や転居時期は定かではありません¹²。「『寺町』『油ノ小路』ともに南北の通り。『油ノ小路』は「押小路」の誤記か」との指摘あり¹³。寺町押小路であれば、京都市役所の北辺りです。
(6)京都市北区大将軍西町椿寺南裏 谷本方
同年4月に転居し、長谷川泰子との同棲も始まります¹⁴。現在地は「京都市北区大将軍川端町」¹⁵。地蔵院椿寺の南辺りです。女優の泰子の仕事の都合に合わせたのでしょうか、マキノ等持院撮影所や日活大将軍撮影所等に比較的近い場所です。
(7)京都市上京区中筋通石薬師上ル 高田大道方
同年10月、富永太郎の下宿(京都市上京区下鴨宮崎町中ノ町下鴨郵便局下ル 西野喜一郎方)の近くに転居し、以後頻繁に往来するようになります¹⁶。現在地は「京都市上京区中筋通石薬師上ル大宮町341-1」¹⁷。河原町今出川の南西辺りです。
(8)京都市上京区中筋通石薬師上ル角 山本方
大正14(1925)年2月に転居します¹⁸。現在地は「京都市上京区河原町今出川下ル西入ル大宮町337」¹⁹。(7)の住居からさらに南西に行った辺りです。この2階の窓は、中也が「スペイン式窓」と呼んで気に入っていたものです²⁰。
まとめ
以上のように、中也は京都で頻繁に8回も下宿を転々としています。現在のように礼金・敷金制度があったとすれば、相当に無駄な費用がかかったと思いますが、当時はそのような制度はありませんでした(関東では1923年9月の関東大震災後に「礼金」制度が始まったとする説があります)。実家からの仕送りは月額ではじめは60円、後に中也が痩せたことを心配した母親から80円が送られています。週刊朝日編『値段の明治・大正・昭和風俗史』(朝日文庫)によれば、大正9年の小学校教員の月給が40~55円なので、これは中学生の下宿生活にとっては十分すぎる金額でした。
「新しい友人が出来れば、必ずその附近に引越すのが中原流である」 と言われていることを考えると、それが引越しの動機なのでしょうが、友人達とのディープ過ぎる付き合い方に驚きます。極度の寂しがり屋だったのではないかという印象を持ちます。
ちなみに、映画の原作ではありませんが、同名『ゆきてかへらぬ』という長谷川泰子の告白的自伝も出版されています。
【参考】立命館史資料センター<立命館あの日あの時>「立命館中学校高等学校で『中原中也展』開催のお知らせ『中原中也が学んだ立命館中学~大正期の自由教育~』」
【写真】2枚とも当時の立命館中学校
2025年2月5日 立命館 史資料センター 調査研究員 佐々木浩二
1.映画『ゆきてかへらぬ』公式サイトより
2.「ダダイズム:第一次世界大戦の終わりごろ、スイスなどで起きた芸術運動。伝統的な芸術形式を否定し、既成の価値・秩序などをすべて破壊しようとしたもの」885頁、『現代新国語辞典 改訂六版』学研プラス 2021年)
3.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』477~484頁、株式会社角川書店 平成16年
4.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』478頁、株式会社角川書店 平成16)
5.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』422頁、株式会社角川書店 平成16)
6.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』479頁、株式会社角川書店 平成16)
7.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』423頁、株式会社角川書店 平成16)
8.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』479頁、株式会社角川書店 平成16)
9.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』423頁、株式会社角川書店 平成16)
10.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』479頁、株式会社角川書店 平成16)
11.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』423頁、株式会社角川書店 平成16)
12.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』481頁、株式会社角川書店 平成16)
13.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』424頁、株式会社角川書店 平成16)
14.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』481頁、株式会社角川書店 平成16)
15.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』424頁、株式会社角川書店 平成16)
16.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』482頁、株式会社角川書店 平成16)
17.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』424頁、株式会社角川書店 平成16)
18.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』484頁、株式会社角川書店 平成16)
19.『新編中原中也全集 別巻(上)写真・図版篇』424頁、株式会社角川書店 平成16)
20.『新編中原中也全集 別巻(下)資料・研究篇』330頁、株式会社角川書店 平成16)
21.大岡昇平『中原中也』65頁、講談社文芸文庫 2021