2016年は、創立者 中川小十郎生誕150年です。
生誕の地、亀岡市では7月16日(土)~8月28日(日)の期間 亀岡市文化資料館にて「第61回企画展 中川小十郎-馬路村より立命館創立者へ-」を開催しました。
期間中の8月6日、8月27日には史資料センターからの講師により史資料の調査研究を通して垣間見えた中川小十郎の姿を講演しています。
この企画展と講演会をご紹介しましょう。
<企画展「中川小十郎-馬路村より立命館創立者へ->
亀岡市文化資料館は、亀岡市の歴史・文化と自然を実物展示で紹介する資料館です。
常設展では原始から近現代にかけての亀岡市の歴史・文化の実物資料を中心に展示し、企画展は年3回(企画展2回、特別展1回)開催しています。
また、亀岡に関する文献資料、民俗資料、考古資料などの収集・整理・保管および調査研究を行うとともに、連続文化財講座や地域の子ども歴史学校「アユモドキ見守り隊」などを開催して、地域文化の教育を担っています。
今回の企画展「中川小十郎-馬路村より立命館創立者へ-」では、期間中561名の入館者がありました。資料館のお話では「企画展は有料(高校生以上260円)ですが、これだけの方が入館される企画展はかなりのものです。市民の関心が高いのでしょうね。」とのこと。
展示資料は、中川小十郎が生まれ幼少期を過ごした丹波馬路村の文化や人々、西園寺と中川家の出会い、小十郎の恩師との出会いから、志を立てて帝国大学で学び、文部官僚や実業界での経験を経て京都法政学校の設立、そして立命館に至る半生、馬路村に残る小十郎ゆかりの史跡などを亀岡市文化資料館所蔵の資料と立命館 史資料センター所蔵の資料を使って綴ったものです。
「亀岡市文化資料館」外観と企画展エントランス
企画展会場全景と展示の様子(小十郎を育んだ人々)
展示(京都法政学校から立命館大学へ)と西園寺の山陰道鎮撫に同行した際の甲冑
展示 小十郎に関わる手紙や任官状など
展示 日本女子大学設立に関する資料やその他書状など
<8月6日(土)講演「中川小十郎を育んだ亀岡のひとびと-中川家史料から-」> 立命館 史資料センター調査研究員、元馬路町史編集委員 長谷川澄夫
展示期間中の8月6日午後2時、亀岡市文化資料館3階研修室で講演会を開催しました。
当日は夏まっさかり。室内まで暑さがしみてくるような中、約40名の熱心な参加者で研修会室は満員でした。
講演は、「中川小十郎を育んだ亀岡のひとびと」と題して、丹波馬路村の中川家家系の紹介、馬路村の当時の私塾や小学校に携わった人々の話。西園寺公望の山陰道鎮撫に同行した「弓箭組」と中川家の話。小十郎の恩師田上綽俊(しゃくしゅん)の「致遠館」での教育や遊学の様子と小十郎の思い出などの話。叔父・中川謙二郎や母から小十郎に当てた手紙、中川禄左衛門や馬路の人々から小十郎への思いと小十郎から丹波の人々への支援の話。など、当時の小十郎をとりまく馬路の人々を史料を提示しながら活写しました。
講演会の様子(参加約40名)と長谷川澄夫先生
<8月27日(土)講演「イノベーター 中川小十郎の挑戦」>
立命館大学文学部非常勤講師、立命館 史資料センター調査研究員 藤野真挙
8月27日(土)午後2時、8月6日と同じ研修会室にて「イノベーター 中川小十郎の挑戦」の講演会を開催しました。6日とは打って変って涼しい日で、前回に引続いて約40名の参加がありました。
講演では、中川小十郎をイノベーター(実業界における起業家)の視点から捉え、明治後期の社会状況の中で、小十郎がどのように志を立て実現していったかが話されました。
明治後期の社会は、諸法律の整備も進み、民間企業が勃興して経済力も増し近代国家の姿を整えていった一方で、国民の経済格差が広がる時代であったこと。
小十郎はこうした状況は未だ「国家官僚」養成の大学とその他多数の「労働者」養成の小中学校しかない教育システムに問題があるとし、今後は「実業家」を養成する教育システムが国家隆盛の鍵であることを喝破していたこと。
また、こうした小十郎の考えは、既に予備門時代から顕在化しており、その後の帝国大学在学中も、卒業後の文部官僚時代の京都帝国大学設立経験も、広岡浅子の加島銀行時代の実務経験や社員教育の「草鳥寮」も、自らが描く「実業家」養成の学校に収斂し、明治33年の「京都法政学校」の創設に繋がること。
従って「京都法政学校」は京都帝大という最高レベルの講師によって実務法律を教授し、夜間時間帯に開講して学歴に関係なく受講者を受け入れることにしたのだということ。
藤野先生は、時代の社会問題を喝破するだけでなく自ら問題解決にあたる中川小十郎の姿こそ、「イノベーター」にふさわしいと明快に説明されました。
藤野真挙先生と講演会の様子(参加約40名)
立命館 史資料センター
奈良 英久