立命館「学祖」西園寺公望。自ら私塾「立命館」を創り、明治法律学校(現 明治大学)の講師、京都帝国大学、日本女子大学校(現 日本女子大学)の創立に携わり、第12代、14代総理大臣を務めた「最後の元老」。
西園寺公望は、また食通としても名を知られた人であった。
本稿は、公晩年の居宅静岡県興津の「坐漁荘」で、しばしば料理を届けた料亭「佐乃春」に伺ったお話です。(佐乃春は3年ほど前に約120年続いた料亭を閉じ、現在ホテルを営業しています。)
西園寺公から料理の注文が入ると、坐漁荘から自動車(リンカーン)が来て、料理とともに調理人も同行し、坐漁荘で盛り付けや温め直しをしたという。
店に残されている「お品書き」は24コースある。
お品書きからは、やわらかいものやさっぱりした味付けのものが多かったようで、蒸し物を好んだようだ。興津鯛なども好んだ。
料理は時季により食材が変わるが、上折と下折がある場合は下折に寿司を配した。
お品書きの1点に昭和14年9月28日提供のものがある。
蛇の目海老、松茸はさみ焼き、白川甘鯛、無花果(イチジク)の品などが見える。
【昭和14年9月28日のお品書き】
また昭和15年度と書かれたものが数点ある。
写真の上部の日付は料理を提供した日ではないが、西園寺公は昭和15年11月24日に薨去するので、最後の年に食べた料理ということであろうか。最も、体調が勝れない日が多かったと思われ、実際にどれほど食べることができたのかはわからない。
【昭和15年お品書き】
実は、執事であった熊谷八十三の昭和15年の日記に次の記載がある。
10月23日、園公爵誕生日 例ニ依リテ料理(佐野春)ノ恵与アリ
10月24日、昨日ノ御馳走ノ中ニ於多福豆ノ甘煮アリ 此頃此辺デ売ツテ居ルモノニ
比シテ味質甚ダシキ差違アリ 矢張之ダケ異ナルモノカト感心ス
と記している。上のお品書きに福豆とあるのはそれであろうか。
更に11月10日の日記には、紀元二千六百年記念奉祝式典のため、今日のお祝いに濱邸で佐野春の料理あり、と記載している。お品書きに日の丸や紀元二千六百年の文字が見えるが、料理の名に使ったのであろう。
佐乃春には現在も西園寺公が使用した食器が保存されている。九谷や京都の食器という。藍の色が深く美しい鉢や、黄色の地に水色のふちどりが美しい洋風のお皿、お椀の装飾も見事。どの器も料理の素材が生える色合いである。舟形のお皿にはアユなどを盛りつけたとか。
【西園寺公使用の食器】
いつから佐乃春が西園寺公に料理を提供するようになったかはわからないが、お品書きには昭和11年のものも残っている。昭和11年といえば、二・二六事件の起こった年であり、西園寺公はこのとき興津を離れ静岡県知事官舎に避難した。その際佐乃春の食事を注文し、極秘裏に運ばせたと伝わる。
坐漁荘の調理人に対して厳しい西園寺公であったが、佐乃春の料理にはしばしば舌鼓を打っていたようである。
佐乃春では、西園寺公に提供した料理を復元していた。
次の写真は、割烹佐乃春が昭和13年に西園寺公に提供した料理を、平成16(2004)年4月22日に現在の手法で復元したものである。
木の芽針魚昆布〆、穴子細川焼、里芋田楽、子持椎茸などの品が並んでいるが、当時(昭和13年)レモンを付け合わせに出すことは珍しかったという。
現在は復元料理を味わうことはできないが、西園寺公の食した料理もまた歴史の遺産のひとつと言ってよいであろう。
【復元料理】
ご提供いただいた資料(複写)は、
昭和11年献立表、13年度献立表、14年度献立表、15年度献立表
復元料理資料
資料はいずれも 株式会社佐乃春 所蔵
2017年8月10日、佐乃春を訪問。調査へのご協力、資料のご提供をいただいたこと、お礼申し上げます。
2017年10月3日