最後の元老西園寺公望は、昭和15(1940)年11月24日、興津の坐漁荘において92歳の生涯を閉じた。今年(2017年)で77年となる。
12月5日国葬、明くる昭和16年1月から3月にかけて、明治・大正・昭和の3代にわたり政治に外交に文化に多大な功績を残した西園寺公望の偉勲を讃えて、全国4都市で「西園寺公を偲ぶ展覧会」が開催された。
本稿はその出品目録や関係資料などにより、展覧会を概観する。
【写真1 展覧会絵葉書】
1.西園寺公を偲ぶ展覧会の概要
展覧会は下記の通り、開催された。
(1)東京会場
主催:讀賣新聞社、協賛:立命館大学、後援:外務省・文部省
会期:昭和16年1月7日~1月18日
会場:日本橋三越
(2)大阪会場
主催:讀賣新聞社、協賛:立命館大学、後援:外務省・文部省
会期:昭和16年1月29日~2月8日
会場:大阪三越
(3)京都会場
主催:京都日出新聞社、協賛:立命館大学、後援:外務省・文部省
会期:昭和16年2月11日~2月16日
会場:京都大丸
(4)福岡会場
主催:九州日報社・讀賣新聞社、協賛:立命館大学、後援:外務省・文部省
会期:昭和16年3月9日~3月29日
会場:福岡岩田屋
2.東京会場
讀賣新聞社は、昭和15年12月21日と1月2日に讀賣新聞に社告を出し、1月7日から18日まで「西園寺公を偲ぶ展覧会」を開催する告知をした。
展覧会の概要は、公に関する政治と文化年表、公の事蹟、遺墨・遺品、公に関する文献資料、公を囲る人々に関する文献、というものであった。
展覧会開催の1月7日、その挨拶で「紀元二千六百一年の新春に当り、公の偉勲を讃へその遺徳を偲ぶため」と開催の趣旨を述べた。
東京会場では97機関・個人が362点を出品した。出品が多かったのは立命館大学48点、帝国図書館36点であるが、個人が82人出品している。そのなかには三浦謹之助(西園寺公主治医)、徳富蘇峰、原田熊雄(西園寺公秘書)、安藤徳器、佐々木信綱、竹越與三郎、近衛文麿などがいた。立命館大学は48点のうち学宝が32点に及んだ。
また、立命館史資料センターに残る立命館出版部の会場写真によると、会場入口に展覧会看板が架けられ讀賣新聞社の挨拶文が掲出された。会場内には西園寺公の年譜、山陰道鎮撫に向かう写真、西園寺公のパネル、会場風景、書幅・扁額など14点の写真があり、会場風景からはジオラマの展示がされていたことが目を引く。
どんなものが出品されたか。
維新史料編纂事務局からは山陰道鎮撫に関する史料、北越御陣中日記など、興津の清見寺からは公の石膏像額面など、安藤徳器から公の写真、帝国図書館からは公に関する書籍、竹越與三郎からはヴェルサイユ平和会議の条約署名に使用した万年筆など、また、山陰道鎮撫の際に本陣とした出雲の藤間精氏、丹後宮津の三上勘兵衛氏から本陣に残された資料などが出品されている。
立命館大学からは、明治2年と大正7年の「立命館」の書、絶筆となった「静夜有清光云々」の書、亀の琵琶、管見記影印本など今日も学宝としているものや、英文西園寺公傳や公愛玩の瓢などの貴重なものが出品された。
1月12日の讀賣新聞は、「一目で分る西園寺公の一生」で、会場は公爵の一生が誰にも分るように年代順にジオラマで説明しているほか、生前に愛用した品々があり、子供の時からどんな経路を辿って一生を終ったかがはっきり分る、との記事を掲載した。
【写真2・3 立命館出版部資料 東京会場】
3.大阪会場
展覧会は東京に続いて讀賣新聞社の主催で1月19日から2月8日まで大阪三越で開催された。
出品点数は63機関・個人の260点であった。
立命館大学・帝国図書館・清見寺などは引き続き東京と同じものを出品した。維新史料編纂事務局・東京市立駿河台図書館などは大阪では出品がなかったが、長浜の下郷共済会が公の筆「墟烟淡云々」ほかを出品した。
4.京都会場
東京・大阪に続いて京都では、京都日出新聞社の主催で京都大丸に於いて2月11日から16日の間開催された。
立命館出版部の作成になる「偉勲を讃へて 西園寺公を偲ぶ展覧会絵葉書」2セットが発行されている。
1セットは10枚組で、西園寺公筆の「十年無夢…、湖上風恬…」、「西園寺公愛玩の瓢、一輪挿」「西園寺大扁額」「九十一歳筆 静夜有清光」「山陰道鎮撫総督西園寺公 丹波亀山に向ふ」などである。
もう1セットは13枚組で、「藩士の昇殿を主張す(十九歳)」から「西園寺公爵近影」までの生涯を絵葉書(写真)で綴ったものである。
京都日出新聞社は、2月9日夕刊(2月10日付)に「西園寺公を偲ぶ展覧会」を2月11日より16日まで京都大丸にて開催する社告を出した。
開催日の11日には、「偲ぶ園公の偉業 同家始め各地名家より資料の出陳 大丸に開く西園寺公展」の記事を掲載し、総理大臣近衛文麿公爵、西園寺公一公爵など、公の遺品400余点が展示された。出品目録では40機関・個人が209点を出品しているが、新聞と目録で点数が異なるのは、目録が数点をまとめて1点としていることによる。
続く12日の記事「お綾さん感無量 追慕の瞳離れず 西園寺公を偲ぶ展覧会盛況」では、総理近衛文麿からは西園寺公揮毫の「荻外荘」、立命館大学の学宝をはじめとした各地の貴重な資料を出陳したと伝えた。展覧会は開場早々堰を切ったような人波に溢れた。
その中に、坐漁荘で女中頭を務めたお綾さんが来場、感慨深げに陳列品に見入り感無量の様子であった。閉店まで身動きもならぬ観覧者の波で大盛況であった。
13日夜には「西園寺公を偲ぶ講演会」が日出会館で開かれた。立命館大学講師釋瓢斎(永井瓢斎)による講演「山陰鎮撫使」である。釋瓢斎は立命館出版部から昭和10年に『鎮撫使さんとお加代』を出版し、同著も展覧会に出品されていた。映画・音楽・録音もあり、音楽は立命館音楽隊が出演している。録音は園公国葬前後の放送であった。
14日の新聞は、「雅号陶庵の謂れ? 平凡の裡に雅味は公の心境」と陶庵のいわれについて触れ、公の自刻印「悠然見南山」が陶淵明の「採菊東籬下悠然見南山」から採られていると紹介した。
15日には、「知遇得た湖南博士 高邁な識見に絶大な信頼」と、会場には内藤湖南に寄せた絶大な信頼があふれていると伝えた。
2月15日夕刊(16日付)には、「あす限り園公を偲ぶ展覧会 此期逸してはとどっと押し寄す」、16日には「茶碗の秘むる瓢逸 窯物に詠むきぬさんの名」で公と中川小十郎の逸話や、木屋町大可楼の松田きぬさんに与えた茶碗について掲載した。同紙面には公が揮毫した「白雲神社」の遺墨も写されている。
2月16日夕刊(17日付)の新聞は、「残る深き感銘 西園寺公偲ぶ展覧会幕閉づ」と、閉幕を告げた。
このように京都日出新聞は、連日展覧会の盛況ぶりを伝えた。
【写真4 展覧会絵葉書封筒】
5.福岡会場
最後の会場は福岡岩田屋であった。九州日報社・讀賣新聞社が主催し、3月9日から29日まで開催された。協賛:立命館大学、後援:外務省・文部省はこれまでの会場と同じであった。
九州日報社は3月8日の日刊および夕刊に社告を出した。
「西園寺公を偲ぶ展覧会」、幾多貴重なる資料を蒐めてひらく空前の大展覧会!と銘打ち、パノラマとジオラマ、公に関する政治と文化年表、公の事蹟、公の遺墨・遺品、公の生涯を語る各種写真、外務省・三條公爵家・大山公爵家など数十家より特に出品せられたる文献資料多数!というものであった。実はこの社告は開催期間を9日から23日までとしていた。
会場入り口に文相当時の西園寺公の立像写真が置かれ、続いてジオラマが12点展示された。これは京都会場で発行された絵葉書の13枚組とほぼ同じ内容である。会場には図表も展示された。10点に及び、西園寺公年譜と閑院家系譜抄などである。西園寺公年譜は他の会場の目録にも掲載されているが、藤原公季から始まり西園寺公望に至る閑院家の系譜が脈々とつづられている。
九州日報は9日の日刊で、「偉人の俤偲ぶ 西園寺公展けふ蓋あけ」の記事を打ち、一世の偉人に対し深い崇拝の念をもつ福博市民の前に盛大に蓋をあける、と報道した。そして出品者を列挙、目録と2、3の相違があったが、ほぼ同数の機関・個人から出品されていることを伝えた。
3月13日の日刊は、「連日黒山の観覧者で賑ふ」の見出しで、中には北九州その他遠く県外各地よりの団体もあり素晴らしい盛況を呈している、活ける教育資料として各方面の絶賛を博している、と報じた。
当初は23日までの開催予定であったが、21日の新聞には「西園寺公を偲ぶ展覧会 29日まで日延べ」と、連日満員にて好評嘖々につき29日まで日延べするとの社告を出した。
23日の九州日報は、「29日まで日延べ 凄い人気を呼ぶ西園寺公展」と、市内各小学校や各種団体をはじめ遠くは大分、熊本からさへ観覧に来る者があり、“是非会期を日延べしてくれ”との各方面の熱心な要望によって、次の会場の期日を変更して会期を延ばすことになった、と報じている。
目録によれば、40の機関・個人から132点が出品されたが、立命館大学からの出品は見当たらない。代わって福岡開催ということから、元政友会福岡県支部・福岡県立図書館・福岡市市史編纂室など福岡関係者の出品があった。
また京都会場で配布されたものと同じ絵葉書が福岡会場でも配られた。
なお、目録および絵葉書では協賛立命館大学としているが、九州日報の社告では主催者と後援者名のみで、協賛がはいっていない。
【写真5 展覧会絵葉書】
6.立命館の出品
立命館は「西園寺公を偲ぶ展覧会」に協賛し、東京会場と大阪会場では48点、京都会場では55点の西園寺公望ゆかりの品々を出品した。
そのうち東京・大阪では32点の、京都では34点の学宝を出品している。
立命館が出品したものはどのようなものであったのだろうか。
学宝では、「額面」とある公の書が6点ある。「長吟対白雲」「運用之妙存乎一心」「立命館」(大正戊年の書)「禹悪旨酒而好善言云々」「才学識」「新詩日又多」である。
「軸物」の書が11点。「柳揺台榭東風暖」「十年無夢得還家」「蘆荻無花秋水長」「八月潮高海気豪云々」「静夜有清光云々」「生是迂拙男云々」「濯錦江辺憶昔遊」「太湖云々」「湖上風恬月澹時」「寒烟十里没荒原云々」「冷光脉々透簾帷」明治2年9月書の「立命館」。
そのほかの学宝として、西園寺家伝来の「亀の琵琶」、百五巻にのぼる西園寺家の「管見記」(影印)、佐倉丸の「時鐘」、公撰文による立命館学名由来記の「木刻大扁額」、坐漁荘で使用した公常用の椅子などが出品された。
また学宝以外のものでも、中川総長に贈られた瓢、一輪挿、公愛用の煎茶器、公愛玩の瓢などが展示されている。
これらの中には、戦時の状況のなかで失われたものもあるが、今日でも学宝として所蔵しているものが多い。
京都会場では学宝が2点追加展示されたが、1点は「清聲千古碑の拓本」、もう1点は明治2年9月筆の「木刻大扁額 立命館」である。
「清聲千古碑の拓本」は、西園寺公望が山陰道鎮撫に向かった際に最初に宿陣した丹波馬路村の郷士、中川・人見両姓の勲功を称えた碑文で、碑は現在も亀岡市馬路に建っている。
また「木刻大扁額 立命館」は現在修復したものが立命館大学の図書館にあり、立命館中学校・高等学校でも所蔵している。さらに複製したものが立命館各校に架けられている。
【写真6 立命館出版部資料】
終わりに
西園寺公の晩年は、2.26事件、日中戦争の勃発、そして国家総動員法が施行され、やがて対米英戦争へと突き進む時代であった。
こうした状況の中、元老西園寺公望は日本の外交や政治に失望、この国はどこに向かおうとしているのかと深く憂慮し、やがて処世若小夢の心境に至っていた。
「西園寺公を偲ぶ展覧会」は、公の偉勲を讃えその遺徳を偲ぶために開催された。同時に「紀元二千六百一年の新春に当たり皇道翼賛の実践に挺身せんとする銃後国民に資したい」との主催者の開催意図もあった。
日本は西園寺公が望まぬ道を走っていたが、いずれの会場でも展覧会は西園寺公を偲ぶ人々で大盛況であった。
【参照資料】
〔東京会場〕「西園寺公を偲ぶ展覧会出品目録」(立命館史資料センター所蔵)
立命館出版部資料(立命館史資料センター所蔵)
讀賣新聞記事
〔大阪会場〕「西園寺公を偲ぶ展覧会出品目録」(徳富蘇峰記念館所蔵)
〔京都会場〕「西園寺公を偲ぶ展覧会出品目録」(東洋文庫所蔵)
「西園寺公を偲ぶ展覧会絵葉書」(立命館史資料センター所蔵)
京都日出新聞記事
〔福岡会場〕「西園寺公を偲ぶ展覧会出品目録」(東京大学史料編纂所所蔵)
「西園寺公を偲ぶ展覧会絵葉書」(立命館史資料センター所蔵)
九州日報記事
なお、上記参照資料のうち
・「西園寺公を偲ぶ展覧会」(東京会場)立命館出版部写真資料 ①
・「西園寺公を偲ぶ展覧会出品目録」(東京会場)表紙、一部抜粋 ②
・「西園寺公を偲ぶ展覧会絵葉書」京都会場13枚組 ③、京都・福岡会場10枚組 ④
は、下記画像をクリックすると別ウィンドウで御覧いただけます。
以上