2018年3月、立命館大学は6,745名の学部卒業生を送り出しました。前期卒業430名と合わせると2017年度は7,175名となります。
卒業式では卒業生に対し卒業証書が授与されますが、2017年度の法学部の卒業生は、下記の「卒業証書・学位記」を授与されました。
【2018年3月 法学部の「卒業証書・学位記」】(A4)
しかし、この「卒業証書・学位記」も創立以来何度かの変遷を遂げています。本稿では立命館大学(京都法政学校を含む)の学部の卒業証書がどのような変遷を遂げて現在に至っているかを紹介します。いわば卒業証書の歴史とでもいうものです。
1.最初の卒業証書
写真は、立命館大学の前身である京都法政学校第1回卒業生の「卒業證書」です。
【明治36年7月 第1回「卒業證書」】
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証書には履修した科目名と担任教員19名が記されています。この当時は専任教員がなく京都帝国大学の教員や裁判所の判事、弁護士が講師をしていました。
証書の発行日は明治36年7月10日ですが、卒業式は7月12日でした。今日まで、証書の発行日と卒業式は必ずしも同日ではありません。卒業生は57名でした。
学校長は冨井政章(東京帝国大学教授)でしたが、肩書には従四位勲三等法学博士と位階・勲等・博士号が記されています。
この卒業証書は横56㎝、縦41㎝で、卒業証書としては最も大きなものです。
卒業式が7月に行われたのは大正9年7月11日の第18回卒業式までです。前年の大正8年に、それまで学年が9月に始まり7月に終わっていたのが、4月1日から翌年3月末日を学年としたことによります。そのことにより第19回の卒業式は大正10年3月27日に挙行されました。
2.戦前の卒業証書
戦前の卒業証書は多くは残されていません。
実は、『立命館学誌』第117号(昭和3年9月)に卒業証書の様式についての記事があります。
〇卒業証書様式の改正
今般卒業証書の様式を変更して、卒業生の履修科目を証書面に列記する事となった。
第1回の卒業証書は履修科目を列記していましたから、いつからか不明ですが履修科目を列記しなくなったのでしょう。
ところが、戦前のものとして、昭和10年の「卒業證書」が残っています。昭和10年3月24日の発行で、法経学部の卒業生のものです。昭和3年に様式の改定をしたはずですが、履修科目は列記されていません。大きさは横36㎝、縦26.5㎝です。
学長は昭和8年の京大事件で立命館に招聘された佐々木惣一です。佐々木は昭和9年3月から11年3月まで学長をしています。この証書も正三位勲二等法学博士の肩書があります。
【昭和10年3月 法経学部「卒業證書」】
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3.戦前から戦後にかけて
法学部や史資料センターには戦前から戦後にかけての時代の卒業證書の用紙が保管されています。学長事務取扱 織田萬や学長 松井元興、短期大学長 末川博の名の入ったものもありますが、立命館大学の名のみで学長名が入っていないものもあります。
これらは旧制大学の時代のもので、法経学部や専門学部、専門学校のもの、短期大学のものなどです。
4.昭和25年の「合格證書」から昭和47年まで
昭和23年4月、立命館大学は法学部・経済学部・文学部を設置する新制大学となりました。新制理工学部は翌年設置です。ところが旧制の大学学部や専門学校が同時にあり、旧制度の学校から転籍した学生もいたため、昭和25年3月には最初の新制大学の学生と旧制大学の学生が同時に卒業することとなりました。
【昭和25年3月 左 新制大学「合格證書」、 右 旧制大学「合格證書」】
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これまで卒業證書と言われていましたが、合格證書という名称になったのです。新制大学の合格證書は学校教育法第63条(注1)による、旧制大学の合格證書は大学令第10条(注2)による学士試験に合格し授与されました。学部長が学士試験に合格したことを証明し、総長が合格證書を授与しています。
前年昭和24年の法学部の証書も大学令第10条による「合格證書」でした。また、昭和28年度まであった短期大学は短期大学長による「卒業證書」です。
「合格證書」の名称は、昭和33年3月まで続き、翌34年3月から「合格証書」と新字体に変わります。文章も併せて新字体となりました。大きさはA3よりやや大きく横42~45㎝ほど、縦32㎝前後で年度によって多少の違いがありますが、いずれも縦書きでした。
(注1) 学校教育法第63条 大学に四年以上在学し、一定の試験を受け、これに合格した者は、学士と称することができる。現在の学校教育法は変更になっています。
(注2) 大学令第10条 学部ニ三年以上在学シ一定ノ試験ヲ受ケ之ニ合格シタル者ハ学士ト称スルコトヲ得。
昭和47年3月は、最後の「合格証書」が発行されました。この合格証書には、卒業生の氏名の上に本籍地の都道府県名が書かれています(写真では省略しました)。
【昭和47年3月 最後の「合格証書」】
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5.昭和48年(1973)年3月以降の卒業証書
(1) 昭和48年3月、卒業証書の様式が大きく変わります。これまでは「合格証書」という名称でしたが、「卒業証書」となりました。同時に大きさがB5判(横18.2㎝、縦25.7㎝)となり、横書きとなりました。
これまで学部長が合格の証明をし総長が学士号の授与をしていたのを、学部長名と総長が連名で授与し、○○学士と称することを認めるとしています。
また証書を保管するものがこれまでは丸筒でしたが、エンジ色の布張りの表装ケースとなりました。
【昭和48年3月 「卒業証書」】(B5)
そして昭和56年3月より社系学部に学科名を入れることとなりました。
(2) 1982年3月、卒業生の生年月日および証書発行年月日が和暦から西暦表記に変わりました。前年の11月、学園の文書を西暦表記とすることを申し合わせたことによるものです。
またこれまで証書の授与者の職名を「立命館大学総長」としていましたが、寄附行為および学則に従い(注3)、「立命館大学長」となりました(注4)。
(注3) 学校法人立命館寄附行為 第6条 この法人の設置する学校その他一般教学に関する事項を総
括するため総長を置く。
立命館大学学則 第11条 学長は、学校法人立命館総長がこれを兼ねる。学長は、本大学を
代表し、教育研究に関する事項を統括する。
(注4) 1981年3月28日の大学協議会決定によります。
【1990年の卒業証書とケース】
(3) 1991年9月、これまでの「卒業証書」は「卒業証書・学位記」となりました。同時に学士の称号も学位となり、法学部は「法学士」から「学士(法学)」となりました。
これは学校教育法および学位規則が一部改正され7月から実施されたことによるものです。前期卒業者から適用されました。
【1991年9月 「卒業証書・学位記」】(B5)
(4) 1994年3月、「卒業証書・学位記」の用紙はこれまでのB5判からA4判(横21㎝、縦29.7㎝)に変わり、一回り大きくなりました。
これは、1993年4月に文書規程が制定され、学園の文書の用紙サイズをA4判を基本とすると定めたことによります。
(5) そして2000年3月、「卒業証書・学位記」は電算機により作成・発行されました。
【2000年3月 「卒業証書・学位記」】(A4)
それまでは、氏名・生年月日は手書きで、証書番号はナンバリングであったものが、すべて電算機による発行となり現在に至っています。なお、2000年3月の「卒業証書・学位記」と2018年3月のものでは、用紙のデザインは少し変わりました。
おわりに
「卒業証書・学位記」の現行規定は以下の通りです。
立命館大学学則 第54条
第54条 第17条に規定する修業年限以上在学し、学部則に定める卒業に必要な単位を修得した者については、教授会の議を経て、学長が卒業を認定し、卒業証書・学位記を授与する。
【お断り】 卒業証書の掲載にあたり、卒業生の氏名・生年月日等は略させていただきました。
本稿は、法学部事務室所蔵資料、卒業生の方、および史資料センター所蔵資料をもとに作成しています。