1933(昭和8)年に京大事件(瀧川事件)が起こりました。
京大事件は京大法学部瀧川幸辰教授の著作『刑法読本』が思想的に偏向しているとの理由で政府が一方的に瀧川教授を休職処分にし、これに対し京大法学部教授会や学生が学問の自由、大学の自治を守ろうとして反対、文部省の措置に抗議して多くの教授・助教授が辞職した事件です。
京都帝国大学は西園寺公望が文部大臣のときに創設を決定し、中川小十郎が初代書記官(事務局長)を務めたことから、京都法政学校(立命館大学の前身)の創立、運営や講義に京都帝大教授が関わるなど立命館と極めて深い結びつきをもっていました。そのため、立命館は京大で免官になった教授・助教授を同年9月16日に公式に招聘することとなったのです。
この招聘は実際にはその前から決められ、9月3日には既に歓迎晩餐会が行われています。
専任教員として招聘されたのは、佐々木惣一、田村徳治、末川博、恒藤恭、佐伯千仭、黒田覚、大岩誠、田中直吉、加古祐二郎、於保不二雄、大森忠夫、中田淳一、森順次、石本雅男、浅井清信、森口繁治、大隅健一郎など17氏に及びました。立命館はこの招聘によってこれ以上ない発展の基礎を築いたといえるでしょう。
佐々木惣一は翌1934(昭和9)年3月から1936(昭和11)年3月まで立命館大学の学長を務めました。また末川博は1945(昭和20)年11月に学長に就任し一時辞職しますが、1949(昭和24)年4月に公選制の総長に就任、1969(昭和44)年4月まで総長を務めます。なお、佐々木惣一は1907(明治40)年から、末川博は1918(大正7)年から立命館で講師を務めており立命館と強い結びつきがありました。
立命館は京大事件で辞職した京大教授らを招聘した。写真は招聘教授歓迎会(1933年9月)前列右から3人目滝川幸辰、4人目佐々木惣一、5人目中川小十郎、7人目末川博
立命館あの日あの時
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