6月28日(金曜日)、保健センターのヘルシーキャンパス企画で、ウオーキングイベントが開催されました。
衣笠キャンパスをウオーキングしながら、歴史と文化に触れる企画です。
8名の学生・教職員と保健センター、史資料センターでキャンパスを巡りました。
当日案内した歴史ポイントを紹介します。
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出典:「ヘルシーキャンパス立命館」HP「活動記録」のページ(2019/7/10閲覧)
https://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/hoken/hcr/history.html
≪以学館前の市電の敷石≫
志学館の保健センターを出発、以学館前の広場に京都市電の敷石が敷かれています。
市電の敷石であることをご存じない方も多いと思われます。
この敷石は、1965年に以学館が竣工し、経済学部・経営学部が広小路学舎から移転した時に敷かれたものです。敷石は北野線廃止により利用されたものと思われますが、市電は当時の学生の通学の足でもありました。
市電は順次廃線となり1978年9月にすべて廃止となりました。40年以上前の学生には学生生活の一端を思い起こすものでもあります。
【以学館前の市電の敷石】
≪立命館その由来の碑≫
この碑は、2000年に立命館創始130年、学園創立100周年を記念し、父母教育後援会の寄贈により建立されました。
立命館の名称は『孟子』尽心章の一節「殀壽不貳修身以 俟之所以立命也」に由来していることが刻まれています。
1869年、西園寺公望は御所前の私邸に私塾「立命館」を創りました。立命館は1900年に前身が創立されましたが、1913年から西園寺公望の立命館の名を継承し、立命館大学、立命館中学となっています。
【立命館その由来の碑】
≪「未来を信じ未来に生きる」の碑≫
1981年、学園創立80周年と衣笠一拠点完成を記念し建立されました。衣笠一拠点化は1965年の経済・経営学部に始まりこの年法学部が移転して完成したのです。「未来を信じ未来に生きる」は広小路学舎に建立されたわだつみ像の台石の碑文から取られています。
「未来を信じ未来に生きる」は戦後1945年に学長となり、1948年から1969年まで総長を務めた末川博の再び戦争を起こしてはならない、青年・学生は未来に輝いて生きよとのメッセージです。
【「未来を信じ未来に生きる」の碑】
≪衣笠球場≫
図書館前から中央広場にかけて、かつて立命館衣笠球場がありました。球場は1948年に完成し、1951年頃までは外部に開放し、プロ野球、女子プロ野球、社会人野球、高校野球、中学野球にも使われていました。1952年には学校専用の球場となりましたが、1970年代には中央グラウンドとして姿を変え、現在は一部が中央広場となっています。
球場としての名残はキャンパス周辺のNTTの電柱に「衣笠球場」と書かれたプレートがあるのみです。
【衣笠キャンパスと球場位置図】
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≪創立者・中川小十郎の墓碑≫
有心館と研心館の奥に等持院の墓地があります。当日は中には入りませんでしたが、墓地には創立者・中川小十郎の墓碑と墓があります。
中川は等持院の総代をしていたことからと思いますが、実は衣笠キャンパス(等持院学舎)は、1939年に開設されました。今年で80年となります。開設時は日満高等工科学校のみのキャンパスでしたが。
清心門から墓地までキャンパス内にブロックで示された通路があります。これは等持院との間で決められた墓参道路の区画です。清心門の前には等持院の墓地を示す石柱が建っています。
また修学館の南側の銀杏並木は日満高等工科学校建設時に植えられたものです。
【中川小十郎墓碑】
今回、衣笠キャンパスについて現地で見るミニ歴史を案内しました。
参加者の方からは、市電の敷石、衣笠球場、等持院の墓参道路など、初めて知ったという方もおられ、健康ウオークをしながらキャンパスの歴史を知っていただきました。
2019年7月31日 立命館 史資料センター 調査研究員 久保田謙次