Ⅱ.衣笠キャンパス編
現在の衣笠キャンパスには、主な校門として、正門・東門・南門・清心門などがあります。名称の無い通用門や出入口、開かずの門扉などを含めると実に30ほどの「門」があります。
今回は、主な門についてその歴史を訪ねてみます。
1. 戦前の工学科校門「赤門」
衣笠キャンパスは1939(昭和14)年11月に開設しました。前年に開設された立命館日満高等工科学校が北大路学舎から移転したことによります。当時は等持院学舎と称しました。
キャンパス開設翌月の校舎増築設計変更図面に「門」があり、さらに1942年8月の『立命館大学専門学部工学科報告』の平面図に「正門」があります。この正門は、現在の清心門のやや西側、等持院と功運院の間の道路を北に向かった突き当りにありました。
その「正門」は、工学科報告から間もない同年9月、上京区千本通二条下ル東にあった元等覚寺の門を移設し、工学科の正門としました。木造瓦葺の四脚門でした。紅殻(べんがら)塗りの門で、通称「赤門」とよばれ、戦後1953年に改修されるまで親しまれました。
「当時、世間では立命館大学専門部工学科のことを、『等持院の赤門』と呼んでいた」(林義男「立命の赤門」『立命館学園広報』1970年10月31日)。
【専門学校工学科校舎配置図】
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【赤門】
2. 理工学部正門
1953年9月、衣笠キャンパス(等持院学舎)は理工学部のみでしたが、「赤門」を改修して、コンクリートの門柱となり、銅版製の門標「立命館大学理工学部」が掲げられました。門柱の上部には円球の電灯がつけられました。同時に広小路学舎の正門も改装され、どちらも書家・綾村坦園氏の揮毫になる門標が架けられました。
【理工学部正門】
3. 立命館大学正門
1981年4月、広小路学舎から法学部が移転し、衣笠一拠点が完成しました。立命館大学は、ここ衣笠キャンパスに法学部・経済学部・経営学部・産業社会学部・文学部・理工学部・二部全学部が集うことになったわけです。
このとき衣笠キャンパスの「正門」が完成しました。観光道路(現在愛称きぬかけの路、京都市道183号衣笠宇多野線)に面し、西側に第一体育館(現在は平井嘉一郎記念図書館)、東側に市バスの操車場があります。右側の門には、書家・秋山公道氏の揮毫で「立命館大学」と刻まれています。
「実は衣笠には「正門」がない。……いよいよ一拠点も完了し、全体としてのキャンパス整備と合わせて来年4月には「正門」を設置することとなった」(「立命館大学学園通信」第21号 1980年11月11日)。同紙は続けて「学生の強い要求もあり正門を設置することとなった。」そして「瀟洒で品よく、わが学園の気風にふさわしい正門に、全学生に親しまれ、市民にひろく開かれた庶民の大学の「門」としたい」としています。
翌年の「学園通信」23号(1981年4月14日)は、「一拠点計画関連の大工事完成に合わせて、……正門と正門受付が観光道路からの入り口に完成し、キャンパス出入口のすべてに門が出来上がりました」と報じています。
衣笠一拠点により、キャンパスの環境整備が進み、立命館大学の正門が完成したのです。
そして学生・教職員・市民の利用のみならず、構内から正門を市バスが出入りするという珍しい光景が生まれました。
【正門】
4. 東門
正門の完成からは遡りますが、衣笠一拠点の先駆けとして、1965年4月、経済学部と経営学部が衣笠キャンパスに移転しました。
「東門」は、1965年4月の以学館竣工パンフレットに出てきます。この頃の門の形状は不明ですが、現在の東門は1987年11月に改修・整備されました(「立命館学園広報」第191号 1987年11月)。右側の門塀には、綾村坦園氏揮毫の門標「立命館大学」が掲げられていますが、この門標は1981年3月まで広小路学舎正門に架けられていたのを移設したものです。
西大路通の平野神社前から西に進み馬代通を経て大学に向かうと東門に至ります。正門と共に多くの利用があり、衣笠キャンパスの東玄関となっています。
【東門】
5. 南門
等持院の東側を北に上がってきた、以学館と修学館の間の校門が「南門」です。現在の南門も衣笠一拠点事業で整備され、1981年1月に完成しています。
この門にも「立命館大学」と刻まれています。
しかし、1978年度の『学生生活』には南門の名称が出てきます。それ以前から南門はありました。
市バス52系統の終点・起点が等持院山門前だったので、このバスを利用して登下校した学生も多かったと思います。
【南門】
6. 清心門(および西門)
現在の清心門は、清心館東側と修学館西側の間の校門です。清心門の名称は1992年度の『クロスローズ』に出てきますが、清心館と修学館(三期工事)が完成するのは1977年9月です。門の名称は少し複雑な経緯をたどります。
清心門の東部分には石柱が建っており、表面に「万年山等持院墓地参道 天龍寺派管長関牧翁書之」、裏面に「修学館 清心館竣工記念 昭和五十二年九月九日 立命館大学」とあります。この門は等持院墓地への参道入口ともなっています。等持院と立命館は1980年11月に「等持院墓参道路に関する覚書」を結び、等持院墓地への参道として利用されているとともに、新たに門扉を設置し開閉の運用についても定めています。
西側には「立命館大学」と刻まれています。
清心門の名称となる前は、この門は「西門」と言いました。もともと赤門が、1953(昭和28)年のキャンパス整備による改修で理工学部の正門となり、清心館ができると場所がやや東寄りになり(今の清心門の場所)「西門」となります。
1990年には明学館が完成し、5月にその西側に門と受付を設置、この門を「西門」としました(「UNITAS」第221号 1990年7月)。こうした経過からすると「清心門」の名称は、明学館西側に設けた門を「西門」としたことによりこれまでの「西門」を新たに「清心門」としたのではないでしょうか。
2003年11月に「衣笠学舎旧理工学部正門(赤門)について」その経緯を調査した西岡成幸氏(当時百年史編纂室)は、「セイシン門という呼称はいろいろな資料を通じて現在のところは皆無である」としています。
なお、明学館西側の「西門」は2010年12月末をもって閉鎖、撤去されています。
【清心門】
7.その他の門
(1) 北門 現在はありませんが、1970年代の『学生生活』に登場します。
場所はアートリサーチセンターの南側の通用門の西、グラウンド(現在中央広場)
の東べりあたりにありました。一体どんな門だったのでしょうか。
(2) 敬学門 アートリサーチセンターの南側にある通用門の名称でした。
東に馬代通へと向かいますが、現在のアートリサーチセンターの場所に「敬学館」 があったことから呼ばれた名称です。
現在の敬学館は西グラウンド跡にある教室棟となっていることから、「敬学門」
という名は使用されなくなりました。
(3) 名称の無い通用門
恒心館西北の通用門、洋洋館北側の門(通常閉鎖されています。)、京都衣笠体育館
西北の通用門、この3つの門には綾村坦園氏揮毫の門標「立命館大学」が架けられて
います。
東門の門標が縦書きであるのに対し、これらは横書きの門標となっています。
付:西園寺記念館正門
衣笠キャンパスから離れた鹿苑寺(金閣寺)の西側に西園寺記念館があります。
西園寺記念館は1988年3月に完成し、国際関係学部の学舎として使用されましたが、
学部は現在は衣笠キャンパスに移転しています。その西園寺記念館の正門は下の写真です。
【衣笠キャンパス配置図 2019年】
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Ⅲ.びわこ・くさつキャンパス編
びわこ・くさつキャンパスは1993(平成5)年12月に竣工しました。そして翌年4月理工学部の拡充移転により開学しました。
現在は、経済学部・スポーツ健康科学部・食マネジメント学部・理工学部・情報理工学部・生命科学部・薬学部および各大学院が設置されています。
【びわこ・くさつキャンパス配置図 2019年】
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びわこ・くさつキャンパスには正門、そしてその東に東門があり、学生、教職員、研究者また市民や業者などが入構します。
そのほかかがやき通りに近い北門は工事用で通常は閉鎖、青山地区に面した南門は緊急時用で通常は閉鎖されています。
【正門】
【東門】
Ⅳ.大阪いばらきキャンパス編
大阪いばらきキャンパスは2015(平成27)年4月に開設しました。現在、経営学部・政策科学部・総合心理学部・グローバル教養学部および大学院が設置されています。
キャンパスの各出入口に門柱等はありませんが、それぞれの地域に面した名称が付けられています。
これらの出入り口は、岩倉門(北エントランス)・中条門(東エントランス)・穂積門(西エントランス)・春日門(南西エントランス)・奈良門(南エントランス)と呼ばれています。
【大阪いばらきキャンパス配置図 2019年】
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Ⅴ.朱雀キャンパス編
2006(平成18)年9月に開設した朱雀キャンパスの校舎は中川会館だけですが、学園本部および法務研究科(法科大学院)、教職研究科(教職大学院)、公務研究科が設置されています。
千本通に正門が設置されていて、学生・教職員・来客等の多くが利用し、学園の表玄関となっています。門柱の「立命館」の文字は学祖西園寺公望が揮毫した「立命館」から製作されています。
南門は車の来校者用で入構のための門。北門は車の出場および二条駅方面からの利用者の門です。
【正門】
おわりに
小稿では、各年度の『学生生活』『学生要覧』『クロスローズ』その他施設配置図などにより、立命館大学の各キャンパスの門について調べてきました。
校門は単なる建造物(構築物)ではなく、学生・生徒や教職員、卒業生、市民の方々の「学び舎の門」として、その姿は変遷を経ながらも存在し続けています。
そういえば、時に校門を背景にして記念撮影をする姿も見られます。
校門の名称については、資料からは学園で公式に命名されたことを窺えませんでしたが、広小路学舎でかつてあった入徳門のような、学校に相応しい名があるとよいですね。
校門もまた学び舎の歴史の一齣といえるでしょう。
2019年12月18日 立命館 史資料センター 調査研究員 久保田謙次