「総長室は、(広小路学舎の)中川会館の二階の奥まったところにあり、ここを訪れる人の多くが、他大学などで経験される秘書課のないのに、まず驚かれます。学者、文化人から新聞記者、芸能人、一般市民の方々とそれは多方面に亘っていて、何方ともわけへだてなく会われていました。そのため木戸御免、門戸開放もいいところで、その出入りは、まことに激しいものでした。」
授業料が払えず新学期まで借金させてほしいという学生や、希望した大学に入れなくて悩んでいるなどと相談に来た学生もいたようです。
男子学生からはオヤジ、オヤジさん、女子学生からはオジイチャンと親しまれていて、地下の学生食堂でよく学生と並んで食事をしていました。後で総長室に学生を呼んだりしていたようです。
「卒業期が近づくと、総長室には学生の出入りが一段と多くなります。それというのも卒業記念にぜひ色紙に揮毫をと依頼にくるからで、卒業式の日まで間に合わせてあげたいと先生も懸命に筆を持たれるのですが、なにぶんにも沢山のことなので、間に合わない人たちには、後日、郷里や就職のための新任地へお送りしたものです。」
末川博先生追悼文集編集委員会『追想末川博』(1979年)より抜粋
学生とともに御所を散策する末川博総長(1952年)