このほど「立命館のモニュメントを巡る」と題し、立命館の歴史的な、また今日に至る様々な記念物について順次紹介をしていきたいと思います。第1回は、朱雀キャンパスにある「創立者中川小十郎先生之像」と「中川先生記念碑」です。
<創立者中川小十郎先生之像>
朱雀キャンパスの中川会館正面玄関のメモリアルルームに「創立者中川小十郎先生之像」があります。
この胸像は、立命館学園の創立90周年にあたり、学園の評議員草木紘司氏から寄贈されました。1990年10月31日に衣笠キャンパスの中川会館で除幕式が行われました。そして2006年に朱雀キャンパスが開設され学園本部・中川会館が移転したことに伴い、胸像も移設したものです。
ブロンズ製の像は高さ62㎝、台座は木製で高さ115㎝、幅52㎝です。
1990年の式典では、谷岡総長が「胸像を前にして改めて創立90周年の重みを感じている。先生の像に学園の現状を報告し、今後学園を益々発展させるよう鋭意努力することを誓いたい。先生が学園を暖かく見守ってくださっているようだ」と挨拶しました。(UNITAS 1990年11月号)
中川小十郎は、1900(明治33)年に京都法政学校を創立、その後京都法政専門学校、京都法政大学を経て、また清和普通学校(更に清和中学校に改称)を設立しました。そして1913(大正2)年に財団法人立命館を設立し大学・中学を立命館大学・立命館中学に改称、以降1944(昭和19)年に逝去するまで、立命館を運営し、歴史をつくってきました。
寄贈者の草木氏は中川小十郎夫人の実家のご当主です。
なお、中川総長の胸像は、ほかに財団法人立命館設立を記念し翌1914(大正3)年に校友から贈られた木製の胸像(『立命館学誌 第176号』昭和9年12月15日)と、1920(大正9)年に母校創立20周年を記念し校友から贈られた銀製の胸像(『立命館学誌 第25号』大正9年1月30日)が製作されています。
<中川先生記念碑>
朱雀キャンパスの一角に「中川先生記念碑」があります。
この碑は、1957(昭和32)年10月に建てられ、11月3日の文化の日に除幕式が行われました。碑の建立は、大学の校友会と立命館中学校・高等学校の卒業生組織清和会が中心となって取り組まれました。
当時は広小路学舎の中川会館の前に建てられましたが、その後衣笠一拠点事業に伴い1979年10月の衣笠キャンパスの中川会館竣工、更に2006年9月の朱雀キャンパス開設、中川会館竣工により移設されてきました。
記念碑は高さ約150㎝、幅約270㎝で、仙台石に中川総長の業績が末川博総長の筆によって刻まれています。
立命館学園創立者中川小十郎先生は、一八六六年一月四日京都府亀岡市馬路町に誕生、
東京帝国大学法科大学を卒業後あるいは官界にあるいは財界に大きな業績をのこされた
のであるが、先生が終生その心血をそそぎ尽されたのは、育英のことである。すなわち、
一九〇〇年昼間就学の便を有せずしかも向学の志堅い者のために私財を投じて京都法政
学校を開設 爾来それが京都法政大学となり更に清和中学校を併設し、やがて立命館大
学 立命館専門学校及び立命館中学校として大きく発展するなど 幾多の刷新変遷を経
たけれども、先生は 終始その運営を総理して、一九四四年一〇月七日逝去に至るまでま
さに四十四年、熱誠倦むところを知らず全力をこれに傾倒、学園の今日及び将来のために
磐石の基礎を築かれたのである。先生、資性明敏 積極果断 なおかつ青年学徒を愛育す
る情熱燃えるがごときものがあった。されば、その薫陶を受けた者、先生を敬慕せざるは
ない。先生逝かれて十三年、ここに、辱知校友等相集って記念碑を建て、先生の偉績をた
たえ遺徳をしのぶゆえんである。
一九五七年一〇月七日
立命館総長 末川 博 しるす
碑の裏面には、
昭和三十二年十月七日
校友會
清和會
中川先生縁故者
學園關係者 有志建之
と、中川総長と親交のあった関牧翁天竜寺管長により刻まれています。
2021年6月8日 立命館 史資料センター 調査研究員 久保田謙次
立命館のモニュメントを巡る(第2回)「立命館草創の地」と「立命館学園発祥之地」←第2回は、こちらをクリック。