【末川博先生銅像】
衣笠キャンパスの末川記念会館に末川博先生の銅像があります。
像は1963(昭和38)年春に制作されました。椅子に腰かけた高さ58㎝(台座を含む)の銅像です。
椅子の背面に「青山白雲深 一湲身廻曲 心事連広宇 山川終不老 一九六三年春 末川博」とあり、丙拝写。像は村上炳人(丙)氏の制作です。
「末川総長の像できる 古稀祝い村上氏(二紀会)が制作」と立命館学園新聞が報じました。「像は12月に総長の古稀記念として大学が村上丙氏に依頼、このほど型どりが済み、4月中旬に完成予定。はじめ胸像を考えたが村上氏の提案で全身像となった」(立命館学園新聞 1963年3月21日)。
像の制作については、12月14日の評議員会で小田理事長より明15日に末川総長の古稀祝賀会を開催すること、全身肖像を贈り祝意を表すことになった旨報告しています。
そして5月31日に立命館公室で贈呈式が行われました。同日の評議員会で、「総長先生の古稀のお祝いに塑像を贈呈することになって、かねて目録を差し上げておいたのであるが、本日塑像二基ができたので、只今より贈呈式を行います。なお、一基は永く学校にとどめて保管いたしますとの披露があった後、全員拍手裡に塑像贈呈式が行われた。」
(評議員会では「塑像」としていますが、銅像(ブロンズ製)です。)
その後大学は1978年に末川会館準備室を一般公開するにあたって末川像も京都新聞に掲載し、1983年の末川記念会館の開館により、末川先生の書斎の復元などとともに同会館で公開しています。
末川博は1892(明治25)年11月生まれ、1977(昭和52)年2月84歳で逝去しました。立命館大学との関係は古く、京都帝国大学大学院生であった1917(大正6)年と翌年に続けて最初の論文を『立命館学誌』第13号・第14号に発表しています。そして1918(大正7)年には立命館大学の講師(非常勤)となっています。末川が京都帝国大学の講師・助教授となったのはその後でした。1933(昭和8)年の京大事件で京都帝国大学教授を辞任、終戦後の1945(昭和20)年11月に立命館大学学長兼立命館専門学校校長に迎えられました。その後1948年2月総長に就任しますが、一時辞任します。しかし学園挙げて総長復帰を要請し、公選制による選挙で選出され、1949年4月より再び総長に就任、5期連続で務めたのち1969年3月任期満了により総長を辞し、終身名誉総長となりました。
末川学長・総長は、戦後の立命館を「平和と民主主義」の教学理念を掲げ改革発展させますが、立命館総長としてのみならず、日本を代表する民法学者としての業績また社会活動・平和運動にも多大な功績を残しています。末川博編集の『岩波六法全書』『岩波基本六法』は法学を学ぶ学生の必携書でした。
【石碑<未来を信じ 未来に生きる> 左:初代、右:第2代】
衣笠キャンパスの正門を南に下がると、「未来を信じ 未来に生きる」の石碑があります。
立命館は、1981年に学園創立80周年、大学衣笠一拠点移転完成を迎え、5月16日記念式典を行いました。
この石碑は4月には建立され、記念式典当日披露式が行われましたが、建立の日付は5月19日となっています。これは5月19日が前身の京都法政学校の設立認可日で、立命館は5月19日を創立記念日としていることによります。
碑の傍らには、天野和夫総長による建立趣意銘板が設置されています。
「本学創立八十周年ならびに衣笠移転完成を記念してこの碑を建てる。碑の文字は、末川博先生が本学に建立された「わだつみの像」の台石に刻むため書かれたもの。この言葉には、平和を願い、不戦を誓って、青年の未来を守れという意がこめられている。
一九八一年五月一九日
立命館総長 天野和夫」
実は、現在建立されている石碑は第2代となります。現在の碑は末川先生の13回忌の1989年2月に改装され、16日に除幕式を行いました。
初代は「未来を信じ未来に生きる」の文字が直接石に刻まれていましたが、見えにくくなったため、ブロンズキャストに刻んではめ込みました。碑の前に建つ前述の建立趣意銘板はこの時に建てられたものですが、同じ文面の銘板が碑の裏面にはめ込まれています。
(この項、「立命館学園広報」1981年5月20日、同6月20日、同1989年3月20日の記事参照)
わだつみ像台石の碑文の草稿は末川記念会館で展示されています。
【レリーフ「法の理念は……」】
衣笠キャンパスの存心館の玄関ピロティ―にレリーフ「法の理念は……」が掲げられています。
「法の理念は正義であり 法の目的は平和である だが法の実践は社会悪とたたかう闘争である 末川博」
落款に華南野人とあるのは、末川先生の故郷山口県玖珂から北に望む蓮華山に由来し、「蓮華山の南に生まれ育った野人」(末川博『彼の歩んだ道』)と先生が使われた号です。
レリーフは学園創立80周年記念事業とともに行われた、立命館大学法学部創立80周年記念事業により、1982年3月20日、1981年度の卒業式(3月21日)の前日に除幕の集いを行いました。(「立命館学園広報」1982年3月20日参照)
文は、ドイツの法学者イェーリングの『権利のための闘争』の中の言葉に由来しますが、末川先生が、法学徒のみならず若い学徒に向けて、法を学び社会で実践していく意義を贈った言葉であると言えるでしょう。