立命館あの日あの時

<懐かしの立命館>立命館学園運動会の伝統

  • 2022年05月26日更新
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 2021(令和3)年12月、立命館大学国際平和ミュージアムから1本の映像資料の紹介がありました。

この資料は1931(昭和6)年に行われた学園の運動会を当時の学生が撮影した16mmフィルム(収蔵;立命館大学国際平和ミュージアム)でした。そのフィルムには、「立命館(学園)大運動会」(以下、「大運動会」)の様子や当時の広小路キャンパスの様子などが映っていますが、そのほとんどは大運動会の様子を映したものでした。このフィルムには2回の運動会が撮影(注1)されています。その1回目は、1931(昭和6)年に完成したばかりの上賀茂グラウンドで行われた「中学・商業秋期大運動会・府下学童陸上競技大会」(以下、府下学童陸上競技大会)(1931.9.24)でした。その2回目は、翌月に行われた「大運動会」(1931.10.18)を撮影したものでした。この映像資料は、学園資料の中でも最も古い映像資料ではないかと思います。1本のフィルムが、90年の時を経て「大運動会」の様子を映し出していることに驚き、なにより90年前の学生、生徒達の生き生きした様子が映し出されていることにワクワクしました。「大運動会」の分析・調査を行っている途中で、立命館の創立期にも運動会を行っていることがわかり、その写真も見つかりました。これをきっかけに現代につながる立命館学園の「大運動会」の歴史と伝統を考え、ご紹介します。

 

明治時代にもあった運動会

 

 日本の運動会の始まりは、1874(明治7)年、海軍兵学寮の競闘遊戯(アスレチック・スポーツ)から始まった(『運動会と近代』吉見俊哉著)、と言われています。学園が運動会を始めた大正期には、その運動会プログラムも多彩になって規模も大きくなってきました。

運動会プログラムには競争的種目、兵式・軍事的種目、遊戯競争的種目等いくつかに分類することができます(注2)。この種目の組み合わせ、進行時間などによって、その運動会への狙いもわかるものだ、とも言われています。

本学園の「大運動会」は、大正元年以降に毎年おこなったと考えられますが(注3)、それ以前にも明治期3回は行われたことが分かっています。1回は、1908(明治41)年118日午前920分より、岡崎公園内桜馬場において「京都法政大学(現在の立命館大学)大運動会」として行われました。翌年1909(明治42)年1030日午前8時より岡崎公園内桜馬場にて「京都法政大学及び清和中学校新築記念陸上大運動会」として行われました。

翌年、1910年(明治43)年1030日、同じく岡崎公園内桜野馬場にて「京都法政大学及び清和中学校第3回陸上大運動会」が行われました。

 次の写真は、「私立京都法政大学校及び清和中学校新築記念運動会」と称して合同による陸上大運動会が行われた写真です。おそらく史資料センターに保存されているスポーツ関係としては、もっとも古い写真と思われます。

 

運動会の伝統1

1909(明治42)年1030日 運動会

マストレース(棒<マスト>の先についている旗を競って取る競争)の様子

 

上賀茂グランドの完成と本格的に始まった「大運動会」

 

当初、キャンパスにグラウンドもなく、植物園グラウンドや現在の岡崎公園グラウンド、鴨川河川敷を使用したりしながら毎年転々としていました。ようやく1929(昭和4年)になって上賀茂グラウンドの第1期工事が9月下旬に終わり、念願の立命館学園上賀茂グラウンドで大運動会が行われました。以降立命館第二中学校が創設まで「仙境ともいうべき閑静の地」(注4)でのびのびとした「大運動会」がおこなわれたのでしょう。

 中川小十郎もよほど嬉しかったのか次のように語っています。

「立命館の多年の懸案であった、実を云えば創立以来の宿望であった立命館運動場ができた。最近における一大快事である。予想外に立派なものができた。」さらに続けて「立命館の運動の特徴は、これまで世間に見る所の運動会ではない。運動連盟で取り決めた条件など一つも備えていない。何メートル何分何秒というようなレコード的競技ではなくて、多数の学生・生徒が楽しむ遊戯的運動場である。多数の学生の体育を目的とした運動とは縁遠いのである。そういった意味では非教育的である。私は多数の生徒の運動奨励を犠牲にして少数の選手養成を重んずることは、学校教育としては不都合である。選手養成を目的として体育奨励の施設を犠牲にするが如きは本末転倒である。」(『立命館学誌第128号』)とその教育観の一端を述べています。

これが中川小十郎のグラウンドや運動会に対する基本的考え方です。この考え方は今でも継承され、学園祭で行われている運動会(時代によっては体育祭)は、多くの学生・生徒が楽しめる遊戯的プログラム(遊び的な要素を含む競争、パン食い競争、買い物競争等)が中心となっているのではないでしょうか。

 

フィルムに映し出された「大運動会」

 

フィルムには、2回の「大運動会」の様子が映されています。多数の学生・生徒・児童が楽しむ姿が撮影班(注5)の手によって映像に収められており、当日参加した学生・生徒・児童たちの英姿(えいし)と可愛らしさをフィルム上に再現しています。中川小十郎自身も「学園関係者は、この運動会が立命館学園の学生・生徒全部の娯楽デーであり、また縁故者(父母、縁戚、学園関係者、市民等)に対する感謝デーでもある。この大運動会に参加して、立命館の教育方針がどこにあるかを観てほしい」(『立命館学誌』第147号)と訴えています。「府下学童陸上競技大会」映像には、昭和初期の学生・生徒、招待された京都府下の子供たち(注6)が楽しむ様子が映されています。また創設して間もない禁衛隊の行進や教練の訓練成果なども映されています。この2つの運動会の映像からいくつかの場面を取り出して、ご紹介したいと思います。

 

  運動会の伝統2

中学・商業生徒合同体操

 

運動会の伝統3

100m競争ゴール

 

  運動会の伝統4

招待児童の遊戯 生伴奏 

 この運動会には府下多くの高等小学校、尋常小学校の児童を迎えていっしょに楽しみました。

運動会の伝統5

名物御神輿担ぎ 

 神輿の中には日頃の教科書を入れて担いでグラウンドを回る。途中勢い余ってひっくり返すハプニングもあったという。中川小十郎も一番楽しかったようです。

 

  運動会の伝統6

禁衛隊行進

 先頭は山国隊直伝の軍楽を奏でる鼓笛隊を先頭に行進の様子。禁衛隊が創設されてから3年目、まだ、ぎこちない禁衛隊の行進です。  

運動会の伝統7

下駄履き競争

 

   運動会の伝統8

騎馬戦

 

 運動会の伝統9

仮装行列

 

   運動会の伝統10

マキノ映画に出演したスター俳優によるパフォーマンス「高田の血煙」 

 最後にマキノキネマのスター達の熱演による、ページェント(野外劇)「高田の血煙」。これは高田の馬場における堀部安兵衛の活躍ぶりを見せたもので、16名の俳優のパフォーマンスは大人気を博しました。

 

 

戦前最後の大運動会


娯楽を中心とした楽しい大運動会も1934(昭和9)年を限りに、時代に引ずられて1935(昭和10)年、本学創立35周年記念「大運動会」(深草連兵場)を最後に、公式に登場しなくなりました。恐らくこれ以降は運動会が開催されていないか、あるいは小規模で行われたのではないかと推察されます。

1934(昭和9)年の運動会と1935(昭和10)年の運動会を比較してみてください。

昭和9年の運動会は楽しい運動会の様子が伝わりますが、昭和10年の運動会は、時代を反映(注7)して公開教練の様子でした。

団体マスゲーム、高等飛行、高射砲射撃、馬術、砲兵教練、側車教練、杖術、檜術、自転車教練、野試合等、空の三勇士実演等でした。

昭和9年の運動会

  運動会の伝統11


運動会の伝統12


運動会の伝統13

 

 昭和10年の運動会

  運動会の伝統14

 

 

この翌年(昭和11年)、中川小十郎は立命館中学校(旧制)父母を前にして、運動会をはじめ、運動部について自分の考え方を演説しました。

「運動の事を申しますがこの学校(立命館中学)では、運動といふものを、全然認めないのである。野球も、庭球も、陸上運動も一切やらない。何人かのものは運動を樂しみ、後の大多数のものが、応援団などといって騒ぎまわるのはくだらないことではないか。この学校では運動はやらない」(『禁衛隊』62号 1936<昭和11>年3月)と強調しています。

 この考え方が周知されて以降、特に中学では「運動会」や武道を除く各部の活動は低迷してゆきます。

 

戦後も学園祭の一つとして大運動会(体育祭)は続いた

 

戦後、大運動会は学園祭の中の1大プログラムとして復活しました。戦後も学園祭に行われてきた運動会は中川小十郎が力説したように、これまで世間に見る所の運動会ではなく、多数の学生・生徒が楽しむ楽しい運動場(会)、として伝統が引き継がれてきました。戦後は、特に学生だけでなく総長をはじめ教職員、住民も参加した一大イベントとなりました。

 

運動会の伝統15

末川名誉総長も参加し楽しんだ運動会

 


 

 

<注>

 

1 『立命館学誌』第147号には、「この未曾有の盛況は本校撮影班の手によって活動写真に収められた。やがて選手諸君の英姿は銀幕の上に再現するであろう」と叙述されています。

 

2 運動会プログラム分類

運動会プログラムはいくつかに分類することができます。体操的種目、競争的種目(例、徒競走、走り幅跳び、走り高跳び等)、兵式・軍事的種目(例、行進 教練 兵式体操 手旗信号等)、遊戯競争的種目(例、綱引き、障害物競走、騎馬戦、玉入れ、玉送り、だるま送り、スプーンレース、借物競争、玉拾い競争、木馬競争、旗取り、縄跳び競争、一人一脚等)、主に児童の唱歌的遊戯・リズムダンス運動的種目(例、桃太郎、牛若丸、日の丸、浦島太郎、おもちゃのマーチ、虫の楽隊、パーンダンス、メディシンボール、ポルカセリーズ、マスゲーム等)、伝統的武芸種目(例、柔道・剣道・弓道・相撲・ 空手道・合気道・少林寺拳法・なぎなた・銃剣道等)

 

3 戦前における立命館の運動会を主に学誌から拾い出してみました。次の各回の記録を見つけることができました。

1912(大正元)年、1913(大正2)年、1914(大正3)年、1915(大正4)年、1916(大正5)年、1917(大正6)年秋季運動会、1918(大正7)年愛宕登山(この年は、陸上運動会の代わりに愛宕登山を企てる)、1919(大正8)年不明、1920(大正9)年不明、1921(大正10)年924日中学部運動会 洛北植物園運動場(現府立大グラウンド)、1922(大正11)年不明、1923(大正12)年104日、秋季運動会 洛西嵐山中之島公園、1924(大正13)年不明、1925(大正14)年1031日陸上大運動会 洛北植物園運動場(現府立大グラウンド)、昭和元年不明、1927(昭和2)年1023日陸上大運動会、1928(昭和3)年立命館大運動会、1929(昭和4)年1020日立命館記念大運動会 上賀茂グラウンド、1930(昭和5)年1017日立命館総合大運動会、1931(昭和6)年1018日上賀茂運動場、1932(昭和7)年不明、1933(昭和8)年立命館総合運動会、

1934(昭和9)年不明、1935(昭和10)年立命館創立35周年記念大運運動会 伏見練兵場、以後、戦前運動会開催の記録は現在のところみつかりません。

 1936(昭和11)年頃になると中川小十郎は極端にスポーツクラブや運動会は否定的になります。

 「次に運動の事を申しますが、この学校では、運動(現在のクラブ活動を指していると思われる)といふものを、全然認めないのである。野球も、庭球も、陸上運動も一切やらない。何人かのものは運動を楽しみ、後の大多数のものが、応援団などといって騒ぎまわるのはくだらぬことではないか。この学校では運動はやらないが、武道をやる、武道は糟榊の鍛練にもなるからである。武道の内剣道をやる。柔道はやらない。柔道は、武士道鍛練の正規の課業になっていないからだ。相撲も疑はしいからもやらない。ただ弓は盛んにやっている。胸郭が広がって、体育に効果があるからだ。その他日本固有の槍術・杖術や叉銃剣術・馬術等をやってみる。ただしこれは運動だからやるのではない。日本の武士道の精神を考慮してやっているのである。日本固有の武術をやって運動をやらない。」(『禁衛隊』父兄会(父母会)での挨拶) 

 

4 上賀茂グラウンドの建設と運動会

 上賀茂グラウンドの建設経過と運動会については、詳しくはHP「<懐かしの立命館>上賀茂グラウンドと神山学舎」をご覧ください。https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=261をご覧ください。

 この中で、昭和184月にこの地にあった第二中学校に赴任した野崎龍吉教諭は、この地を「仙境ともいうべき閑静の地」とその感想を述べている。

               

5 この年(1931<昭和6>年)4月立命館大学に映画研究会が結成されています。この研究会は、映画脚本、映画製作なども研究対象としていました。また、学校当局との連携も目的にあげています。本校撮影班とは、発足したばかりの映画研究会が大学の企画としてこの運動会の映写を取り組んだのではないか、と考えられます。撮影者も映画研究会のメンバーの可能性もあります。

 

6 府下参加の高等小学校、尋常小学校校名が次の通りです。

〔申込受付順〕(高等小学校)伏見、大内、山階、陶化、仁和、待鳳、修學院、七條、鞍馬、吉祥院、第三?、上賀茂、御室、松ケ崎、西院

(尋常小学校)粟田、七條、中立、豊国、九條、修學院、伏見第二、待鳳、仁和、陶化、明徳、山階、鏡山、大内、大原、西陣、嵯峨、滋野、聚楽、鞍馬、吉祥院、植柳、京極、乾、朱雀第二、上賀茂、一橋第二、御室、松ケ崎、西院、塞町

 

7 昭和前期の運動会

 基本的には、大正期の運動会と同じ伝統を継承していますが、1931(昭和6)年、満州事変以降、軍部の台頭に教育分野も引きずられ、運動会も例外ではなくプログラムの内容に反映したものになってきました。 

 

 

 

 

2022526日 立命館 史資料センター 調査研究員  齋藤 重

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