【佐々木惣一先生胸像】
胸像は高さ一尺、台座前面に「頌徳」、背面に「贈 佐々木惣一先生 昭和十一年四月、立命館大学学生一同」 揮毫は天龍寺管長関精拙師
今回は、昭和13(1938)年の卒業アルバムに残された、佐々木惣一学長(名誉学長)の胸像の紹介です。残念ながら、現在はその実物の所在が不明ですが、アルバムによってその胸像がよみがえります。
佐々木惣一(注1)は、昭和8年の京大事件により7月に京都帝国大学を免官となり、その9月に17人の先生方とともに立命館大学に招聘されます。12月12日には法律学科部長に、そして翌9年3月9日に立命館大学の学長に就任しました。
学長の任期の間、大学の教学はもちろんですが、昭和10年には創立35周年記念事業にも取り組みました。
学長の任期は3年でしたが、昭和11年3月に1年の任期を残し辞職しています。当時の天皇機関説問題などを巡る、国の動向と社会の状況によるのでは、と言われています。
立命館は佐々木学長の功績を深謝し、名誉学長としています。
『立命館学誌』192号(昭和11年9月15日)と193号(昭和11年10月15日)に名誉学長佐々木博士の胸像贈呈の記事があります。
この胸像は法経学部の学生の拠金により制作されました。贈呈式が10月2日に広小路学舎の国清殿で行われました。夜には学生幹事会主催で佐々木学長を囲む座談会が開催されています。
贈呈式翌日の京都日出新聞も「教え子が築いた佐々木博士の彫像完成 立命館国清殿で贈呈式」と記事を掲載しました。
昭和13年の卒業アルバムに胸像が掲載されたのは、11年の学生の卒業年にあたったからでしょう。
【写真:胸像の贈呈式と謝恩座談会―昭和13年卒業アルバムより―】
末尾に佐々木学長のエピソードに触れたいと思います。
佐々木博士還暦記念祝賀会編『佐々木博士還暦祝賀記念』(昭和13年10月)の「祝賀会々録」に掲載されている、吉川大二郎氏(注2)の祝賀会での佐々木への挨拶です。ちょっと長くなりますが引用します。
「現在の教育制度におきまして、学生生活に、試験制度が附きものであります。そして、又変なことを言ふやうでありますが、試験制度には遺憾ながら不正行為が附きものであります。この不正行為を、佐々木先生の学問に対する熱情とその徳育とが、一時的ではあったとしても、之を阻止し得たといふ事実をここに御披露に及びたいと思ひます。……それは恰度、先生が立命館大学をお辞めになる直前の一昨々年の三月、同大学の廿二号の大教室で試験が開始されて居った際でありますが、その試験の酣なるときに当りまして先生が突如として、その温容を現はされました。……学長自から試験場に現はれるといふことは私の短い学生生活におきましては、まづ経験しなかったことであります。……それまでの間は可成り雑音がありまして、我々試験官共は閉口して居ったのでありますが、先生が突如としてお見えになると共に、学生は静粛になり而も感激の心が我々にもひしひしと感ぜられたのであります。……その後に、或る学生が私の許に来て、「学生中の不良分子は不正行為をやらうと着々と準備を整へて居ったところへ、佐々木先生の温顔を拝しびっくりして、その悪い意図を抛棄した、従って成績は非常に不良であった、併しこの不良であったということは尊い不良であった」と。……
このエピソードには、学生が自ら拠金をして胸像を贈呈したことにつながる、教育者としての先生に対する学生の信頼と感謝が覗えるのではないかと思います。
(注1)佐々木惣一〔1878(明治11)年~1965(昭和40)年〕
戦前の立憲主義憲法学を代表する憲法学者。1933(昭和8)年、京都帝国大学で京大事件(瀧川事件)が発生。瀧川教授の学説を巡り文部省が瀧川教授を罷免することに端を発したものであったが、教授の罷免にとどまらず大学の自治や学問の自由に対する侵害であるとして闘い免官となった。この事件により佐々木惣一教授はじめ18人を立命館に招聘した。立命館では、既に1907(明治40)年から講師をしていたが、1934(昭和9)年3月から2年間学長を務めた。学長辞任後名誉学長となった。
戦後憲法改正にあたり憲法改正案(佐々木試案)を起草、1952年には文化勲章を受章、また京都市名誉市民となった。
(注2)吉川大二郎〔1901(明治34)年~1978(昭和53)年〕
民事訴訟法を専門とする法学者。1935(昭和10)年に立命館大学教授に就任。
1966(昭和41)年定年退職、名誉教授。この間、評議員・理事を務める。戦前裁判所判事を務め、弁護士となっている。1959年には日本弁護士連合会会長。
≪参考≫
(1) 立命館 史資料センターHP「昭和9年前後の立命館大学-佐々木惣一学長の時代―2022年6月
(2) 立命館 史資料センターHP「立命館のモニュメントを巡る(第3回)佐々木惣一書「平和塔」 2021年9月
2023年2月17日 立命館 史資料センター 調査研究員 久保田謙次