【写真:西園寺公望二行書 鴨川市郷土資料館所蔵】
千葉県の鴨川市郷土資料館に、西園寺公望揮毫の二行書を訪ねました。
「花陰流影散為半院舞衣 水響飛音聽来一渓歌板」 陶庵主人公望書
箱蓋に、公爵西園寺公望公書 蓋裏に、昭和二年初夏拝観 中川小十郎謹識
花陰影を流し 散じて半院の舞衣と為る
水響音を飛ばし 聴くに一渓の歌板来る
翻字と訓読は、城西国際大学の岩見輝彦助教授(当時)『城西国際大学紀要』第5・6巻 1997年・1998年によります。
西園寺公望の書で二行書は比較的少ないと思われます。
西園寺公望がいつ揮毫したのかはわかりませんが、昭和2年の初夏に中川小十郎が箱書を書いていることも注目されます。
昭和2年に西園寺公望と中川小十郎が直接この書について、関係したかどうかは不明です。
この頃、西園寺は興津の坐漁荘を住まいとしていましたが、4月半ばから6月末まで京都の別邸清風荘に滞在、一方中川は何度か東京と京都を往復しています。
この二行書は、戦後池田内閣や佐藤内閣の大蔵大臣を歴任し、城西大学を創立した水田三喜男の夫人が出身地である鴨川市の郷土資料館に寄贈した「水田コレクション」のうちの1点です。
水田は、京都帝国大学に昭和3年に入学し、昭和6年に卒業しますが、その経歴からは西園寺や中川との直接の交流があったとは思えません。水田は、文化・芸術作品の収集にも力を注ぎ、明治・大正時代の伊藤博文、山縣有朋など著名な政治家の書も収集していました。そうした中で西園寺公望の書を入手したと思われます。
早春の房総を訪ね、この書から西園寺公望の風流を詠う光景を思い浮かべ、そして西園寺から中川へ、さらに水田三喜男へと渡っていった道のりに想像を馳せた次第です。
2023年5月2日 立命館 史資料センター 調査研究員 久保田謙次