≪中川小十郎先生之碑≫
1993年10月、学校法人立命館は、亀岡市馬路に「中川小十郎先生之碑」を建立しました。中川先生50回忌にあたり先生の生誕の地、中川家の祖霊社に顕彰碑を建て、10月15日に除幕式が挙行されました。前日の14日には、等持院において法要を執行しています。
中川小十郎は立命館の創立者で、館長・総長を務め、1944(昭和19)年10月7日に逝去しています。
碑の題字は西村清次理事長、碑文は大南正瑛総長になります。除幕式で前総長谷岡武雄先生は、中川先生の座右の銘「形影相訪」を紹介し、建学の精神を思い学園発展への道を再確認していこうと祝辞を送りました。
碑文:わが立命館の初代総長故中川小十郎先生は一八六六年旧馬路村に誕生一九四四年
逝去 明治大正昭和の三代に各界にわたる多大の足跡を残された 西園寺公望公
の強い支持のもと一九〇〇年創立後先生が終生心血を注がれた学園の事業は立命
館大学を中心にすでに二〇萬人近い人材を世に送るとともに二一世紀をも目前と
する今全国に先駆けて新時代への巨大な歩みを進めている 五〇回忌に当りここ
に記念碑を建立し先生に深い感謝を捧げる
一九九三年一〇月七日
立命館総長 大南正瑛
≪中川人見両姓戊辰唱義碑「淸聲千古」≫
この碑は同じ中川家祖霊社にあります。
建碑は1922(大正11)年10月。その25日に除幕式を行いました。碑文は同年2月3日。
篆額「淸聲千古」は正二位大勲位公爵西園寺公望公揮毫。撰文は帝室編修官貴族院議員竹越與三郎、書は内閣属根岸好太郎です。建碑は中川小十郎。
そもそも碑は、1868(慶應4)年の戊辰戦争の際に西園寺公望が山陰道鎮撫総督となり、馬路の地に初めて宿陣した際に、中川家・人見家を始めとした馬路の人々が参集し、山陰道鎮撫に従軍し維新の功業に貢献したことを顕彰した碑です。このなかに中川小十郎の実父・中川禄左衛門、養父・中川武平太、叔父・中川謙二郎などがおり、この時の西園寺公望と中川家の出会いが、のちに西園寺公望と中川小十郎を結びつけることとなりました。
なお、建碑と合わせて『中川人見両姓戊辰唱義録』が同年10月に刊行しています。
≪亀岡の偉人 中川小十郎≫
2022年5月19日、亀岡市のJR亀岡駅北側の公園に「亀岡の偉人中川小十郎」顕彰碑が建立されました。碑の建立は中川小十郎顕彰会、立命館大学校友会亀岡校友会、学校法人立命館・立命館大学、亀岡市によります。
碑文には、中川小十郎は1866(慶応2)年に亀岡市馬路町に生まれ、致遠館小学校に学び、その後東京帝国大学を卒業し文部省に入省、1900(明治33)年に立命館大学の前身京都法政学校を創立したことが記されています。そして日本の教育界に大きく貢献した郷土の偉人の碑は、中川小十郎が総代を務めた愛宕山の愛宕神社を仰ぐ地に建立されました。
なお、5月19日は立命館の創立記念日です。
2023年12月19日 立命館 史資料センター 調査研究員 久保田謙次