立命館大学は、1981年に衣笠一拠点となり広小路学舎が閉校しました。1982年は初めて衣笠キャンパスのみで入試が行われた年でした。そのときの記録が史資料センターに保存されています。
いくつかの風景を切り取って、当時にタイムスリップしてみましょう。ここは、衣笠キャンパスの東門。1982年2月の風景です。
この日は入学試験日で、8時20分頃の撮影です。現在の東門(右下2001年2月撮影。1987年11月に改修されている)とは大違いですね。
入学試験の朝一番なのに受験生が入口にたむろしています。普通なら試験場に行くはずですが・・・理由が2つありました。
一つはこれ。受験場の掲示版が右手にあるので、それを見て自分の試験場を確認しています。もう一つの理由は、これ。
これは、入構ゲートといわれ、ゲートが開く時間までは受験生は受験場に入れないのです。写真は正門ですが東門にも同じゲートがあります。
入構時間になると、担当者がメガホンを使って「入構を始めます。受験生は受験票を提示してから入構してください」とアナウンス。一人づつ受験票を見せて、構内案内図などのチラシを受け取って通っていきます。両脇には「立命館大学」の腕章をした職員や学友会の学生が点検をします。 現在の入試ではこのようなゲートは廃止されていますが、当時は厳正で公正な入学試験を行うため、受験生以外の人を学内に入れないようにしていたのです。
さてもう一つ1982年当時の写真をお見せしましょう。
この場所は現在「創思館」が建っていますが当時は「中央グランド」でした。
入試が終わると、このグランドには市営の臨時バスがたくさん入ってきて、受験生を駅まで輸送していたのです。
1982年度(1982年2月入試)の立命館大学の受験生は57,393名。その内立命館大学(京都試験場)では43,055名が受験しました。受験生の75%は衣笠に来て受験していたのです。立命館大学は地方出身学生比率が6割ありましたから、京都駅や三条京阪、四条大宮や西院から電車で帰宅する受験生も多くいました。通常の路線バス本数では輸送しきれなかったので、京都市と相談してグランドを臨時のバス停にして受験生専用の臨時バスを増発させていたのでした。
現在の入試でも増発便を手配していますが、発着場所が変わりましたね。
2015年7月 史資料センター準備室