アジア・マップ Vol.01 | バハレーン

バハレーン21世紀年表  1999~2022年

堀拔功二(日本エネルギー経済研究所中東研究センター・主任研究員)

1999年
3月 イーサー・ビン・サルマーン・アール・ハリーファ首長死去。息子のハリーファ・ビン・イーサー皇太子が新首長に就任
2000年
8月 カイロ発ガルフ・エア072便がマナーマ周辺に墜落、乗員乗客143名が死亡
9月 ハリーファ首長は諮問院(上院)で初の女性議員4名を任命
10月 バハレーン経済開発委員会(EDB)が設立され、経済改革の中心機関になる
12月 第21回GCC首脳会議がマナーマで開催
2001年
2月 国民投票が行われ、政治改革を謳った国民行動憲章が98%の支持を得て承認
2月 ムハンマド・ビン・ムバーラク・アール・ハリーファ外相が来日
3月 国際司法裁判所はカタルとの間で係争中であったハワール諸島の領有をバハレーンに認める
11月 シーア派野党勢力のウィファークが結成
2002年
2月 憲法改正。政治体制は首長制から王政に変更され、国名もバハレーン王国に変更される
3月 米国はバハレーンを「非NATO主要同盟国」に認定
5月 日・バハレーン国交樹立30周年
10月 代議院選挙が実施されるも、シーア派はボイコット
2003年
1月 金曜礼拝後に約1000人が反米デモに参加。バハレーンの米軍基地がイラク侵攻に使用される懸念を表明
3月 米軍のイラク侵攻に対する抗議活動が行われ、第5艦隊基地の外ではガスシリンダーが爆発
2004年
4月 ナダー・ハッファーズが初の女性閣僚として保健相に就任
4月 F1バハレーン・グランプリが開催
9月 米国と自由貿易協定(FTA)に調印、2006年に発効
12月 IISS主催第1回マナーマ対話が開催。これ以降、国際的な安全保障対話の会議として定着
2005年
3月~6月 完全な自由選挙を求める抗議活動が頻発
7月 内閣はバハレーン人労働者に対する最低賃金(200バハレーン・ディーナール)の導入を承認
9月 ハマド国王は内閣改造を指示、外相や石油相らが交代
9月 UAEのアブダビ首長国がガルフ・エアから出資を引き揚げる
10月 米国とのFTA発効のために対イスラエル経済ボイコットを廃止
2006年
6月 ハマド国王はムナー・クワーリー氏を湾岸諸国で初めての女性裁判官に任命
11月 代議院選挙が実施、シーア派系野党が勝利。また諮問院では10名の女性議員が任命される
11月 ハリーファ首相が労働者のストライキやデモの禁止を通達
12月 新内閣が発足
2007年
4月 単身男性外国人労働者が住宅街に住むことを禁止する法律が成立
5月 諮問院は米国が対イラン攻撃の拠点としてバハレーンを利用することを禁止する議決を行い、議員40名中39名が賛成
5月 金融特区であるバハレーン・フィナンシャル・ハーバー(BFH)が開業
9月 国際原子力機関(IAEA)に正式加入
11月 イランのアフマディーネジャード大統領がバハレーンを訪問
2008年
1月 米国ブッシュ大統領がバハレーンを訪問し、ハマド国王と会談
2月 ハーリド・ビン・アフマド・アール・ハリーファ外相が来日
10月 「経済ビジョン2030」が発表
10月 サルマーン・ビン・ハマド皇太子が来日
2009年
2月 イラン政府幹部がバハレーンの領有を主張し、バハレーンは反発
4月 ハマド国王はシーア派指導者を含む178名の受刑者に恩赦を与えて釈放
6月 サルマーン皇太子は地域平和のために、アラブ諸国に対してイスラエルとコミュニケーションをとるよう呼びかけた
8月 外国人労働者に関する法的規制「スポンサー制度」が廃止
2010年
3月 マンスール・ラジャブ国務相が資金洗浄の疑いで更迭
7月 政府は文化情報省の情報省部門を廃止し、代わりにバハレーン・メディア庁を設置
9月 政権転覆を企図したとしてシーア派活動家ら20名が逮捕
10月 代議院選挙が実施
2011年
2月 「アラブの春」の影響を受けてマナーマでも抗議活動が発生し、治安部隊と衝突。多数の死傷者が発生
3月 GCC「半島の盾」軍が治安維持のためにバハレーンに展開
7月 政府と反政府側との国民対話が始まる
9月 代議員補欠選挙を実施
11月 独立調査委員会が治安部隊の過剰な武力行使を報告
2012年
1月 ハマド国王が議会の権限強化を含む憲法改正案を発表
4月 ハマド国王が来日
4月 F1バハレーン・グランプリが開催
5月 日・バハレーン国交樹立40周年
11月 マナーマ市内で爆発があり、外国人2名が死亡
2013年
2月 国民対話が再開される
3月 ハマド国王はサルマーン皇太子を副首相に任命
3月 サルマーン皇太子が来日
8月 安倍晋三総理大臣がバハレーンを訪問
9月 シーア派野党勢力のウィファークが国民対話から撤退
12月 政府は独立調査委員会勧告に対する進捗報告書を公表
2014年
1月 政府は国民対話を停止
3月 バハレーンはカタルが安全保障協定を履行していないとして、サウディアラビアおよびUAEと共に駐カタル大使を召還。
7月 政府は米国国務省次官補のトム・マリノフスキーをシーア派野党首脳らとの会談を理由にペルソナ・ノン・グラータに指定、国外追放へ
9月 バハレーン空軍は米国やアラブ諸国と共にシリアにおける対IS空爆作戦に参加
10月 ウィファークに3か月間の活動禁止措置
11月 バハレーン、サウディアラビア、UAEはカタルへ大使を再派遣することに合意
11月 代議院選挙が実施。シーア派野党勢力のボイコットにより独立系候補が圧勝
2015年
3月 バハレーン軍はアラブ有志連合軍として対イエメン空爆に参加
9月 イエメンに駐留するバハレーン軍部隊がフーシー派による攻撃を受け、兵士5人が死亡
10月 政府は国連に対して、イランによる内政干渉を受けているとする報告書を提出、駐イラン大使を本国に召還した
2016年
1月 バハレーンはサウディアラビアと共にイランと断交
1月 政府は財政改革の一環としてガソリン補助金を削減
6月 裁判所がシーア派野党勢力のウィファークに解散命令
8月 国連独立人権調査団が、バハレーン当局が国内シーア派に組織的なハラスメントを行っていることを認定
11月 英国が海軍基地工事(第1期)を完了
12月 第37回GCC首脳会議がマナーマで開催
2017年
1月 2014年に3名の警官を爆殺した罪でシーア派活動家3名を死刑
6月 バハレーンはサウディアラビア、UAE、エジプトなどと共にカタルと断交
9月 米国国務省はバハレーンに38億ドル相当の武器売却を承認
11月 石油パイプラインが爆破され、当局はテロ攻撃と断定
12月 河野太郎外相がバハレーンを訪問、マナーマ対話に出席
2018年
3月 経済開発委員会はフィンテック分野のベンチャー・スタートアップ企業に出資する1億ドル規模の基金を設置
4月 バハレーン沖で同国過去最大級のシェール油ガス田が発見
4月 英国がバハレーンに海軍基地を設置
5月 外国人投資家向けの10年ビザの導入を発表
10月 バハレーンはサウディアラビア、UAE、クウェートから総額100億ドルの財政支援パッケージを受け取ることに合意
10月 河野太郎外相がバハレーンを訪問、マナーマ対話に出席
11~12月 代議院選挙が実施
2019年
1月 5%の付加価値税(VAT)が導入
5月 パレスチナ国際経済ワークショップを主催
6月 政府は石油・ガスの探鉱プロジェクトに外資企業が単独で参加することを許可
10月 ハマド国王の息子のナーセル・ビン・ハマドが国家安全保障顧問に就任
10月 サルマーン皇太子らが即位礼参列のため来日
11月 河野太郎防衛相がバハレーンを訪問、マナーマ対話に出席
2020年
2月 VATは電気・水道料金から適用除外へ
3月 新型コロナウイルスの蔓延を受けて政府はイラン滞在者のために救援機を派遣
9月 アブラハム合意が締結され、イスラエルとの国交樹立に合意
11月 50年間にわたり首相の座にあったハリーファ・ビン・サルマーン首相が死去。後任にサルマーン・ビン・ハマド皇太子兼副首相が就任
2021年
1月 ウラー宣言により対カタル断交を解除
10月 レバノン情報相の発言に抗議し、在バハレーン・レバノン大使に48時間以内の出国を命じた
12月 政府は10年ぶりに駐シリア大使を任命
2022年
2月 イスラエルと安全保障協力に関するMoUを締結。また同国のベネット首相がバハレーンを訪問し、ハマド国王らと会談
2月 外国人高度人材や投資家誘致のため永住ビザを導入
5月 日・バハレーン国交樹立50周年
6月 ハマド国王が内閣改造を指示、石油相などが交代
9月 サルマーン皇太子が安倍晋三元首相の国葬に参列するために来日
11月 代議院選挙が実施

出所:現地報道、BBC Timeline、EIU Country Report、日本国外務省ウェブサイトをもとに作成。

書誌情報
堀拔功二「バハレーン21世紀年表」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, BH.3.02(2023年6月2日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/bahrain/timeline/