アジア・マップ Vol.01 | 東ティモール
東ティモール21世紀年表 1999~2022年
亀山恵理子(奈良県立大学地域創造学部・准教授)
1999年 | |
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8月 | 住民投票が実施され、78.5%が独立を支持した(投票率は98.6%)。直後に統合派民兵による「焦土作戦」が展開され、治安が急速に悪化した。 |
9月 | 治安回復のために国連安保理は多国籍軍(INTERFET)の派遣を決定した。 |
10月 | 国連安保理が国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を決定した。 |
2000年 | |
2月 | 多国籍軍による治安維持の任務が終了し、UNTAETに引き継がれた。 |
2月 | 国連事務総長とインドネシアのワヒド大統領が東ティモールを訪問した。 |
6月 | ドナー国会合がポルトガルのリスボンで開催された。 |
2001年 | |
2月 | 東ティモール国防軍創設の規則が制定され、ファリンティル(東ティモール民族解放軍)が解散した。 |
8月 | 国連暫定行政のもと制憲議会選挙が実施された。 |
9月 | 全閣僚が東ティモール人からなる第2次暫定行政府が発足した。 |
2002年 | |
3月 | 憲法が公布された。 |
4月 | 大統領選挙が実施され、シャナナ・グスマンが選出された。 |
5月 | 国連安保理が国連東ティモール支援団(UNMISET)の設立を決定した。 |
5月 | 東ティモール民主共和国が主権を回復し、正式に独立国家となった。国連暫定統治が終了。首相にマリ・アルカティリが就任した。 |
2003年 | |
4月 | オーストラリア政府との間で石油・ガス田開発に関わる「ティモール海協定」が締結された。 |
12月 | オーストラリア政府との間でティモール海の国境に関する交渉が開始された。 |
国連プレゼンスの急激な減少により、経済はマイナス成長となった。 | |
2004年 | |
7月 | 国連人口基金の支援により本格的なセンサスが実施された。 |
12月 | 1年を通じて村落選挙の有権者登録が行われ、選挙が実施された。 |
経済は大規模なインフラ開発や銀行の信用貸しの増加などを受けて1%弱に回復した。 | |
2005年 | |
4月 | 国連安保理が国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立を決定した。 |
10月 | 受容真実和解委員会が1974年から1999年の人権侵害に関する報告書を大統領に提出した。 |
11月 | ティモール海における資源配分に関するオーストラリアとの協議が終結した(翌年1月に「ティモール海における特定海事アレンジメント協定」に署名)。 |
2006年 | |
4月 | 国防軍兵士が行った差別待遇問題に対するデモをきっかけに治安が悪化した。 |
5月 | オーストラリアから治安部隊が派遣された。 |
6月 | アルカティリ首相が辞任し、ラモス・ホルタが首相に就任した。 |
8月 | 国連安保理が国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)設立を決定した。 |
9月 | 日本に東ティモール大使館が開館した。 |
2007年 | |
2月 | 「ティモール海における特定海事アレンジメント協定」が発効した。 |
4月 | 大統領選挙が実施され、5月の決選投票でラモス・ホルタ前首相が当選した。 |
6月 | 国民議会選挙が行われた。フレテリンが第一党となったものの、CNRTが組織した国民議会多数連合(AMP)が過半数を獲得した。首相にシャナナ・グスマン(CNRT党首)が就任した。 |
2008年 | |
1月 | 中国政府との間で15億7000万ドルの援助合意がなされた。 |
2月 | ラモス・ホルタ大統領が反乱兵率いる武装集団に襲撃され、重傷を負った。 |
4月 | エウリコ・グテレス元アイタラック民兵司令官がインドネシア最高裁で無罪判決を受けた。 |
2009年 | |
8月 | 外国賓客を招いて、住民投票10周年記念式典が開催された。 |
10月 | 全国442の村の村落長および評議員を選ぶ村落選挙が実施された。 |
10月 | 東ティモール労働者受け入れ合意に基づき、韓国への労働者派遣が始まった。 |
2010年 | |
2月 | 反汚職委員会が設置された。 |
4月 | 「戦略開発計画」(2011年~2030年の中長期開発計画)の概要が発表された。 |
11月 | インドネシア政府との間で航空協力に関する覚書が交換された。 |
2011年 | |
3月 | ASEANへの加盟を正式に申請した。 |
7月 | 開発パートナー会合の場で「戦略開発計画」が正式に発表された。 |
7月 | ティモール・ガス石油公社(Timor GAP)が設立された。 |
9月 | 東ティモール中央銀行が設立された。 |
2012年 | |
3月 | 大統領選挙が実施され、4月の決戦投票でルアク前国軍司令官が当選した。 |
5月 | 独立10周年記念式典が開催された。 |
7月 | 国民議会選挙が実施され、CNRTが第一党となった。 |
12月 | 国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)が終了した。オーストラリア軍を中心とする国際安定化部隊の活動も終了した。 |
オーストラリア政府の季節労働者プログラムを通じた労働者派遣が始まった。 | |
2013年 | |
2月 | グスマン首相、アルカティリ元首相、ルアク大統領が政治の安定化を目指す「コンセンサスの政治」を宣言した。 |
4月 | 交渉過程におけるスパイ行為を理由に、「特定海事アレンジメント協定」の破棄に向けて仲裁裁判に提訴する意向をオーストラリア政府に正式に伝えた。 |
石油関連輸入、インフラ整備による大規模な公共投資によりGDPは8%台を維持した。 | |
2014年 | |
6月 | アルカティリ元首相がオエクシ県に設置する経済特区の長官に任命された。 |
7月 | ディリでポルトガル語圏諸国共同体(CPLP)サミットが開催された。 |
10月 | オーストラリアに対して海域境界を定める交渉の即時開始を求めた。 |
2015年 | |
2月 | グスマン首相が辞任した。ルイ・アラウジョ(フレテリン所属)が新首相に、グスマンは計画・戦略的投資大臣に就任した。 |
8月 | マウック・モルックが警察と国防軍の合同治安作戦の中で死亡した。 |
12月 | 国家予算編成をめぐり、国会と大統領の対立が目立つようになった。 |
2016年 | |
3月 | 「経済的主権の回復」を支持するデモがオーストラリア大使館前で行われた。 |
4月 | 国会は海洋境界問題の解決を求める決議を全会一致で議決し、政府はオーストラリアに対する調停を常設仲裁裁判所に申し立てた。 |
10月 | 村長、集落長選挙が実施され、翌月に決選投票が行われた。 |
インフラストラクチャー基金を含む国家予算は、前年度比で45%増となった。 | |
2017年 | |
1月 | 「特定海事アレンジメント協定」から東ティモールが撤退した。 |
3月 | 大統領選挙が実施され、フランシスコ・‘ル・オロ’・グテレス(フレテリン党首)が当選した。 |
7月 | 国民議会選挙が実施され、フレテリンが第一党となった。アルカティリ新首相が就任した。国会ではCNRTが国会多数派連合を形成し、フレテリンは少数与党となった。 |
2018年 | |
1月 | ル・オロ大統領が国民議会解散を発表した。 |
3月 | オーストラリアとの海洋境界を確定させる条約が結ばれた。 |
5月 | 国民議会議員選挙が実施され、CNRT、PLP、KHUNTOの3党が連合を組んだ「変化と発展のための連合」(AMP)が過半数を占めた。新首相にはルアク(PLP党首)が就任した。 |
2019年 | |
1月 | 大統領が2019年度国家予算案に対して拒否権を行使した(翌月承認)。 |
4月 | 国営ティモール・ギャップ社が、液化天然ガス事業の開発権利をコノコフィリップス社、ロイヤル・ダッチ・シェル社から買い取った。 |
8月 | 外国賓客を招いての住民投票20周年式典が開かれた。 |
2020年 | |
1月 | 2020年度国家予算案が政権与党AMPの分断により国会で否決された(10月に修正予算案可決)。 |
3月 | 首都ディリで豪雨による洪水が発生し、住宅地を中心に広範囲が浸水した。 |
6月 | フレテリン、PLP、KHUNTO、民主党からなる国民議会多数派を基盤に内閣改造が行われた。CNRT 主導からフレテリン主導のルアク政権へ変化した。 |
2021年 | |
4月 | サイクロン・セロジャによる洪水が各地で発生し、数県にまたがる被害をもたらした。 |
12月 | 国連教育科学文化機関(UNESCO)に より,伝統織物タイスが無形文化遺産に承認された。 |
新型コロナ感染状況は、累計陽性者数は 1 万9833人,死者数は122人に達した。 | |
2022年 | |
3月 | 大統領選挙が実施され、4月に行われた決選投票でラモス・ホルタが当選した。 |
8月 | ファリンティル創設記念日にラモス・ホルタ首相がインドネシアの軍人に勲章を授与した。 |
9月 | バチカン大使館が東ティモールに開館した。 |
11月 | 新港湾ティバール港の完成式典が行われた。 |
書誌情報
亀山恵理子「東ティモール21世紀年表」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.1,TL.3.03(2023年7月15日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/easttimor/timeline/