アジア・マップ Vol.01 | ジョージア

《総説》
ジョージアという国

前田 弘毅(東京都立大学人文社会学部・教授)

国の概要
 ジョージアは、黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方の中央部に位置する。大コーカサス山脈の南麓にその国土が拡がり、豊かな自然と独自の伝統を誇る。正式な現地語の国名はサカルトヴェロსაქართველოであり、20世紀の大部分においてロシア語に由来するグルジアの名称が用いられてきたが、2015年に改正されて以降は英語での名称であるジョージアを用いることが一般となりつつある。
 国土面積は6万9700平方キロメートルで日本の約5分の1、ジョージア国立統計局(https://www.geostat.ge/ka)によれば人口は369万人(2022年)。500万人を超えていたソ連末期から人口が減少している。ジョージア系が8割を超えるが、アゼルバイジャン系、アルメニア系も南部の農村地域を中心に数パーセントずつ存在する。ソ連時代のアブハジア自治共和国と南オセチア自治州は、1990年代初頭の民族紛争などの結果、分離派政権の支配下にある。

ジョージアのユニークな地政学的環境とコーカサスという磁場
 コーカサス地方はユーラシア大陸の中央部に位置しながら、険しい自然環境に囲まれた閉鎖性と、東西南北交易のハブとしての開放性という矛盾した特性を持ち、歴史的に「ユーラシア諸民族の避難所」かつ「オープン・フロンティア(開かれた辺境)」として機能してきた。その中央部に位置するジョージアは、諸文明国や帝国的政体に対する境域性、地域主体としての求心性を併せもっている。またその対外関係についてはヨーロッパ志向とロシアとのアンビバレントな関係に注目できる。
 ジョージアは文明の十字路としてペルシア帝国、ローマ帝国、アラブ帝国、モンゴル帝国、イラン諸帝国やオスマン帝国、ロシア帝国などユーラシア諸帝国の支配を受けてきた。しかし、大語族に属さない独自の言語と文字(ジョージア/グルジア語・文字)、独自の伝統的な宗教組織(ジョージア/グルジア正教会)、独特の宴会文化(宴会の指導者タマダと音頭サドゥゲグルゼロによる組織だった宴会の運営)、多声合唱(ポリフォニー)と民族舞踏、8000年に及ぶと言われるワイン文化とこれを支える525種といわれる独自のブドウ品種など、ユニークな伝統的文化力を有し、これらを基盤に強固な民族意識を醸成してきた。そして、伝承では紀元前4世紀に溯る国家伝統を有し、とりわけバグラティオニ 家による統一ジョージア王国は12世紀のダヴィト建設王と13世紀のタマル女王の 英主を得て大いに繁栄した。この時代には現存する多くの聖堂が建立され、美しいフレスコ画で内部を飾った。さらにこの時代には聖山アトスやエルサレムの十字架修道院、シナイ半島の聖カタリナ修道院など、ジョージア正教のネットワークは近東を中心に各地に拡がっていた。現在も、国家の黄金時代としてその栄華が記憶されている。また、後にタヴァディ・アズナウリ制度と呼ばれる独特の豪族制度も発展した。ただし、モンゴル帝国統治期に東西に王国は分裂し、その後、さらに分裂を重ねてジョージア系諸王国や公国は19世紀初頭にロシア帝国に吸収されていった。 
なお、隣国であるアゼルバイジャン(テュルク系)、アルメニア(印欧系)と異なり、言語的には土着のコーカサス諸語に属するジョージア語話者が多数派である。居住地域は分水嶺を越えて北コーカサスにも広がるなど、文化地理的に南北コーカサスの中核部を占めており、汎コーカサス的な性格の色濃い点も重要である。ソ連崩壊以降の分離主義紛争やロシアとの緊張関係もまた、こうした地政学的・文化的位置付けに由来している。
 このほか、キリスト教文化の影響により、ヨーロッパ志向も非常に強い。第一次大戦中の独立期、アゼルバイジャンとアルメニアは民族主義政党が支配したが、ジョージアは社会主義政党(メンシェビキ)が政権を担った。ソ連末期にもバルト三国と並んでジョージアがソ連からの独立に突き進んだことがよく知られている。独立以降も、アメリカの突出した関与がみられるが、NATO加盟国であるトルコに加えて、西欧諸国のプレゼンスも非常に大きい。ジョージアもアフガニスタンに非NATO諸国では最大数の派兵を行うなど、その期待に応えてきた。

開かれた国民性と慎重な外交戦略
 コーカサスとその中心部に位置するジョージアは歴史的には地中海、中東、ステップの3文明の交わる場所であり、キリスト教とイスラーム教の二つの世界宗教の相克の場であった。それだけではなく、様々な系統のユダヤ教徒や東方諸教会の信徒集団も居住するなど、多様な人間集団を包摂している。近年、日本人の移住者も大幅に増えていると伝え聞くが、こうした文化的な多様性とワインに代表される豊かな食文化を誇る土地柄に加えて穏やかながらも四季のはっきりとした気候条件、そして何よりも開放的な国民性がその大きな要因であろう。
 もっとも、著者が現地に長期間研究留学した1990年代後半から2000年代前半にかけては厳冬期の電力供給が一日数時間に満たないという日も少なくなかった。そうした混乱期も一回りし、2003年秋のバラ革命以降、社会は安定して経済発展が進んだ。2008年にはロシアとの戦争、2011年には政権交代も発生したが、サアカシュヴィリ政権の果実である自由主義経済と、イヴァニシュヴィリ指導による慎重でロシアを刺激しない外交政策により、戦禍の絶えない周辺国の中でジョージアの安定性は際立っている。
 ジョージアは、独立以降、とりわけ2003年のバラ革命の後は一貫してNATOとEU加盟路線をとり続けてきた。「ヨーロッパ」の一部としての自己認識、西欧との連帯を深める外交路線は、まさに日本政府にジョージアという対外的な名乗りを要請した大きな理由の一つでもある。ただし、そもそもロシアとはキリスト教会の中でも同じ正教会に属する。ジョージアの夢党が指導する現政権は、ウクライナ危機の中でヨーロッパへの統合路線のスピードを速める一方、サアカシュヴィリ派をパージすることでロシアからワインや飲料水などの禁輸を解かせるなど、シェワルナゼらを生んだ国柄そのものに外交巧者ぶりを発揮している。

現状について
 親西欧路線を基調としながら、ロシアとの決定的対立を慎重に避ける現政権は、中国との経済的結びつきの強化にも取り組んでいる。中国向けの輸出は順調に伸びており、高速道路・鉄道・港湾事業など様々なインフラ事業にも中国企業の進出は目覚ましい。中国新疆ウイグル自治区の商社、華凌工貿集団(Hualing Group)が先頭に立って両国の経済関係拡大に貢献していることからも、シルクロード地域に影響力を及ぼそうとする中国の戦略が見え隠れしている。
 中国の急激な進出、西欧とロシアの駆け引き、分離派地域との紛争状態の継続など、様々な国際的なプレッシャーがジョージアを覆う一方で、国の政治をこえた人の移動は新しい動きとして今後注目できる。コロナ禍以前にすでにハンガリーの本拠地とするウィズエアーの11路線が、西部ジョージアのクタイシ国際空港からドイツやポーランドなど8カ国を結んでいた。外国人訪問者数も2016年の9ヶ月でジョージアの人口を上回る約490万(前年比8.5パーセントの伸び)である。
 ただし、国内では2020年秋に、現在も最大野党を指導するサアカシュヴィリ元大統領が突然帰国し、すぐに収監された後、ハンガーストライキを行うなど、政治的混乱の予兆も見られる。さらにウクライナとロシアの戦争では圧倒的な親ウクライナの国内世論に対して、政府はその旗幟を鮮明にせずに内外で不満も高まっている。国内ではアブハジア、南オセチアという分離派の支配する紛争地域(ロシアは独立を承認済み)の他にも、アゼルバイジャン人地域、アルメニア人地域、ジョージア人イスラーム教徒の地域やジョージア系の様々な少数エスニック集団が各地に割拠している。ジョージア人の強いナショナリズムは、こうした国内のフラジャイルな状況の裏返しの面もあり、指導者には国家統合への微妙な舵取りが今後も要求され続けるだろう。

名称の変更問題
 最後に名称変更問題について触れる。サカルトヴェロとは、ジョージア人の自称であるカルトヴェリ人の住む土地を意味する。そして、カルトヴェリの名の由来は首都トビリシを含む中核地域カルトリ地方の住民を元来指していた(カルトリ地方の住民のみをさしてカルトレリといういい方もある)。喩えるなら日本人をヤマトの国の人と呼ぶようないい方であろう。もっとも、このサカルトヴェロとの呼称が一般的にジョージア全体を指すようになるのは11世紀以降のバグラティオニ王朝による統一王国形成以降とされる。 
 2015年まで日本で公的にも用いられていたグルジアという名称は古代のイラン語に溯り、中世にペルシア語など中東系言語でジョージア人を指していたグルジュないしジュルジュという呼び方に由来する。ちなみにこの名称の由来を狼と結びつけて解釈する場合もある。また、古代ギリシア語での東部ジョージアの呼び方であるイベリアという名称も同じく古いイラン語に結びつけられることもある。この中東系の呼び方がロシア語に入り、さらに日本語でも20世紀を通じて用いられていた。
 11世紀以降の中世ジョージア統一王国の繁栄の時代、十字軍の活動によって東方キリスト教徒との接触が増えた西欧にキリスト教の聖人である聖ジョージ(ジョージア語ではギオルギ)にちなんだジョージアという名称が拡がった。この「ジョージア」系統の呼び方ももともとは前述の中東由来のグルジュ/ジュルジュが誤って古代ローマのキリスト教軍人聖者聖ジョージと結びつけられたことに由来するとも言われる。
 たしかにジョージアの守護聖人として、ギオルギキリスト教の聖人名以外では、ギア、ギオ、ゴガ、ゴギ、グガなどといった様々な愛称形も含めて現在ももっともポピュラーな名前である(ただし、男女を問わず、古いイラン系の言語に由来する名前が非常に多い)。キリスト教とヨーロッパの一員との意識およびロシアからの自立の追求という観点から、現在のジョージア国家はグルジアではなくジョージアの呼び方を各国に要請している。もっともグルジアにしてもジョージアにしても外名であり、リトアニアなどではサカルトヴェロを用いる動きも出ている。

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写真1. 21世紀に新生独立国家ジョージア/グルジアのシンボルとして建立されたサメバ(至聖三者)大聖堂

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写真2. 中世ジョージア王国の英主ダヴィト4世建設王(至聖三者大聖堂)

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写真3.ジョージア最古のジュヴァリ(十字架)聖堂は古都ムツヘタを千数百年にわたって見守り続ける

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写真4. 東西の交わる場所としてトビリシ旧市街はイスラーム建築の影響が色濃い。

書誌情報
前田弘毅《総説》「ジョージアという国」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.1, GE.1.01(2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/georgia/country/