アジア・マップ Vol.01 | インド

《エッセイ》
インドと私

小田 尚也(立命館大学政策科学部・教授)

  インドは多様かつダイナミックな国である。公用語が22もあり、2023年には中国を抜き、世界最大の人口となる見込みで、国内総生産(名目値)は旧宗主国の英国を抜き今や世界第5位の経済大国である。個人資産額が世界トップ10にラインクインしたり、Googleやマイクロソフトなど世界のトップ企業のCEOを務めるインド人がおり、またニューデリーなどの大都市には高級ホテルや高層ビル、そしてショッピングモールといったきらびやかな世界が存在する。一方で、2億人近い世界最大の貧困層を抱える国でもあり、農村ではトイレや電気、安全な水へのアクセスがない人たちや満足に学校に行けない子供たちも多くいる。

  私はそんなインドを研究対象とし、農村の開発やそこに住む人々の生活について経済学的視点から研究を行っている。専門家と呼ばれるには甚だ未熟であり、インドについて知れば知るほど、知らないことが加速度的に増えていく状況である。その奥深さがインドの魅力でもある。

  そもそも私と南アジアの付き合いは、大学2年生の時にパキスタン航空を利用しヨーロッパ放浪の旅に出た帰路、利用機材の故障でパキスタンのカラチに一泊して以来のことで40年近くになる。深夜、初めてカラチの空港に降り立った時の熱気を今でも思い出すことができる。インドを初めて訪問したのはパキスタン初訪問に遅れること15年、1990年代後半のことである。もともとパキスタン研究に従事していたため、インド初訪問時はカルチャーショックを受けることなく、それ故、滞在の記憶がほとんど残っていない。降り立った空港がニューデリーかムンバイか定かではないが、空港の発着案内版が電光掲示であったのを見て、パタパタ式のカラチの空港より進んでいるなと思ったことを覚えている。

  私の研究は、現地に出向き、家計調査などを行いデータ収集し、それを分析するというスタイルである。生意気なことを言うと、私は自分が使うデータには責任を持ち、インタビューした方々の顔や話を思い出しながら分析を進めることが重要と考えている。現地を知らずして得られた結果はそれが正しいとしても、結果の解釈などどこか研究に弱さが表れると思っている。現地を知ることで分析に大きな自信が持てるのだ。

  調査中、村の人たちは非常に協力的である。農繁期の調査は極力避けているが、それでも農作業中に手を休め質問票に答えてくれたりする。また訪問先の農家の方々からお茶やお菓子をふるまわれることが多々ある。中には決して豊かとはいえない家計の方もおり、非常に恐縮してしまう。歓待の気持ちに感謝しつつも、調査の時間に加え、金銭的な支出をさせてしまうことに罪悪感を覚える。同時に彼らから得た情報を研究に生かすことが使命だと強く感じる。

写真2:農村調査中に出会った占い牛。調査の成功を占ってもらった。

(写真2:農村調査中に出会った占い牛。調査の成功を占ってもらった。)

  さて農村調査で問題なのがトイレである。特に調査地のビハール州はインドで最も開発の遅れている州の一つで農村にはトイレがあまりない。男性である私はいざとなると外で他のインド人男性と同じく用を足すことができるが、女性研究者の場合、どこにトイレがあるかを確認する作業が重要となる。調査村にトイレがあると分かるとホッとするのである。トイレのないインド農村の女性の多くは人目をはばかり夜明け前に外で用を足し、夜、日が沈むまで用を足さない。習慣とは言え、彼女たちは非常に不自由な生活を強いられている。

  現モディ政権は野外排泄をゼロとすべく全家庭にトイレを普及させるキャンペーンを実施し、2014年から2019年の間に9000万個のトイレを設置したと報告している。興味深いのは実際にトイレが設置されている家庭でも使っていないケースが多発していることだ。例えばヒンドゥー教の浄不浄の考えが強い農村部ではトイレは不浄なもので家の敷地内に設置し使うなどもってのほかである。このように単にトイレを設置すれば問題解決という単純なものでないところにインド研究の面白みがある。

  さて、現地調査時の楽しみと言えば、農村から戻ってからの水浴びと食事である。研究者にとってその国の食事が口に合うかどうかは重要な問題である。おかげ様で私は毎日インド料理を食べても飽きない。多様性に富むインドにおいては料理も多様である。大まかに分けると、北インドの牛以外の肉、小麦粉、紅茶に対し南インドでは野菜・魚、米粉、コーヒーと全く異なる料理文化である。どちらも恐ろしく美味しい。ちなみにキリスト教徒の多い南インドのケーララ州ではビーフカレーを提供するお店もある。

写真3:ミールスと呼ばれる南インドの定食

(写真3:ミールスと呼ばれる南インドの定食)

  幸いなことに、ストレスとプレッシャーには極めて弱い私の胃腸であるが、何故かインド料理には無敵であり、過去インドを含む南アジアでお腹を下したことは1度しかない。その1度は農村で牛から搾乳したばかりの無殺菌ミルクに謎の水を混ぜて飲んだ(飲まされた)ときだけである。

  夜のニューデリー、エアコンの効いた車から見る暖色系の明かりに照らされた街並みは美しい。そのころ電気の届かないビハール州の農村地帯では桎梏の闇が広がっている。夜の支度に焚いたケロシンランプのか細い灯がゆらゆらと揺れ、そこにかすかな人の営みを感じる。近年高い経済成長が持続するインドであるが、どこまでも果てしなく先が見えない桎梏の闇、それもインドである。

書誌情報
小田尚也「《エッセイ》インドと私」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, IN.2.03 (2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/india/essay01/