アジア・マップ Vol.01 | イラン

読書案内

黒田賢治(国立民族学博物館・助教)

一般向け
(1) 岩崎葉子『「個人主義」大国イラン——群れない社会の社交的なひとびと』(平凡社新書786)、平凡社、2015年.
 イランにおける人間関係の「取扱説明書」。イランで生活した読者にとっては、自身の経験を振り返りながらついつい苦い経験を思い出してしまいそうになり、イランでこれから生活しようという読者にはイランでの人間関係を築くうえでの心構えの一つとして読んでもらいたい。
(2) 岡田恵美子、北原圭一、鈴木珠里編『イランを知るための65章』明石書店、2004年.
 明石書店から国・地域ごとに刊行されている「~を知るため」シリーズのイラン版。超歴史的にイラン社会・文化の諸側面について取り上げられており、どの章も独立した記事として読み応えのある一冊といえる。とはいえ、刊行から既に15年以上経ており、スマートホンの普及によって人々のコミュニケーションの変化などが生じてきた近年のイラン社会を理解するには情報のアップデートが必要と思われる。それゆえ改訂版の刊行が待たれる一冊ともいえる。
(3) 富田健次『ホメイニー——イラン革命の祖』(世界史リブレット人100)山川出版社、2014年.
 1979年のイラン革命において最終的に革命運動の象徴的存在となり、革命後にはイスラーム共和体制において最高指導者となったイスラーム法学者ホメイニー師について知る一冊。革命運動や政治家としての側面だけでなく、イスラーム法学者としての立場や思想についても解説されている。神秘主義詩の作詩活動など、革命後のイランについてホメイニー師の存在に焦点を当て続けてきた作者ならではの、幅広い知見から解説がなされている。
(4) 黒柳恒男『ペルシア文芸思潮』(増補新版 中村菜穂・徳原靖浩編)、東京外国語大学出版会、2022年.
 アラブによる征服後2世紀間の沈黙の世紀以降、9世紀から概ね20世紀半ばまでを対象にペルシア文学の歴史的展開について明らかにした概説書。1977年に刊行された原書に加え、増補新版では2010年代後半までの日本語への翻訳作品、ペルシア文学史を学ぶための日本語文献、ペルシア文学に関する主な雑誌特集の紹介に加え、英語やフランス語、ペルシア語による文学史研究のための文献が紹介されている。
(5) 吉村慎太郎『改訂増補 イラン現代史——従属と抵抗の100年』有志舎、2020年.
 約1世紀間にわたるイラン現代史を政治経済の側面を中心に、やや専門的ではあるものの一般読者でも理解できるように書かれている。増補改訂版では、初版が発行された2011年から2019年までのイラン核合意なども含めた情報がアップデートされている。同作者の『イラン・イスラーム体制とは何か——革命・戦争・改革の歴史から』書肆心水、2005年.などを合わせると、より専門的にイラン現代史を学ぶことができる。
専門書
(1) 岩崎葉子『サルゴフリー店は誰のものか——イランの商慣行と法の近代化』平凡社、2018年.
 イランの商店の賃貸契約方法において地主と店子双方の権利がどのような法制度の制定・改定過程を通じて行われてきたのかを同書で明らかにしている。新旧店子間で行われていた商慣行が、20世紀前半の近代的な賃貸契約の法制化の過程で、異なる権利と意味を付与された。地主と店子の権利や賃貸契約に齟齬が生まれると同時に、新たな議論や制度的変容を生みながら今日まで議論されてきた法と経済の相克の過程が描かれている。
(2) 中村菜穂『イラン立憲革命期の詩人たち——詩的言語の命運』左右社、2022年.
 五人のペルシア語詩人に焦点を絞り、立憲革命期(1904~1911)というイランにおける大きな変動期について、詩という観点から再検討した大著。はじめにの部分で、ペルシア詩の成立過程や韻律や伝統的な形式を含めたペルシア語詩の概要が網羅的に説明されており、門外漢にも理解できるように配慮されている。加えて、それぞれのペルシア語詩が感性豊かな言葉選びによって日本語に訳されている。
(3) 谷正人『イラン伝統音楽の即興演奏——声・楽器・身体・旋法体系をめぐる相互作用』スタイルノート、2021年.
 イラン伝統音楽研究者であり、またサントゥール奏者でもある作者が、ダストガーと呼ばれる旋律体系とラディーフと呼ばれる確立された旋法体系のなかで行われる即興演奏について、演奏家たちの個性を記述しようと試みた一冊。楽譜をもちいながらの説明は門外漢にとっては決して容易であるとはいいがたい一方で、筆者が言わんとしていることそのものは読譜の知識がなくても十分に理解可能である。
(4) 椿原敦子『グローバル都市を生きる人々——イラン人ディアスポラの民族誌』春風社、2018年.
 イラン革命後、祖国イランをさまざまな理由で去った人たちがイラン人ディアスポラとして世界各地に暮らしている。同書はその最大人口集積地域であるアメリカ南カリフォルニアの中心地ロサンゼルスのイラン系アメリカ人をめぐる民族誌である。ロサンゼルスの移住への背景や宗教実践を事例とした移住を通じた個人の変容のなかで、イランというナショナルな枠組みがどのような関係性のなかで発露されるのかを慎重に検討している。
(5) 黒田賢治『戦争の記憶と国家——帰還兵が見た殉教と忘却のイラン』世界思想社、2021年.
 戦争と犠牲のレトリックは近代国民国家にとって極めて重要なテーマの一つであり、革命直後からイラン・イラク戦争(1980―1988年)という経験をしたイスラーム共和体制においても同様である。同書は近年のイラン政治で展開する革命防衛隊などの「軍」勢力の政治的台頭を支えてきたミクロな社会関係について、あるイラン・イラク戦争の帰還兵に対して行ってきたフィールドワークを手掛かりに検討している。

書誌情報
黒田賢治「イランの読書案内」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, IR.5.03(2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/iran/reading/