アジア・マップ Vol.01 | マレーシア

マレーシア21世紀年表

森下 明子(立命館大学国際関係学部・准教授)

1999年
前年(1998年)のアンワール副首相解任・逮捕を受け、1999年も国内外で政府批判が続いた。9月の総選挙では与党連合・国民戦線(BN)が国会下院議席の3分の2以上を確保したが、BNの最大与党・統一マレー人国民組織(UMNO)は大きく議席を減らした。州議会選挙では、野党の汎マレーシア・イスラーム党(PAS)がトレンガヌ州の政権を握った。
2000年
政治・経済両面での改革が開始された。政治面ではマレー人のUMNO離れに歯止めをかけるため、UMNOの党内改革が開始された。また経済面では金融・企業改革として、金融機関の再編と不良債権処理が進展した。しかし企業改革は必ずしも順調には進まなかった。
2001年
アメリカ同時多発テロ事件がマレーシア国内政治にも波及した。それまでの与野党間関係(特に与党UMNOと野党PAS)、野党間関係(特に華人を支持母体とする民主行動党DAPとPAS)、政治的自由化(特に国内治安法ISA)をめぐる議論において、対米テロは政府や与党に利するかたちで強い影響を与えた。
2002年
UMNO年次総会にてマハティール首相が突然辞意を表明した。総会の翌日にはUMNO党幹部と首相による会合が開かれ、マハティール首相の退任時期(翌2003年10月)と次期首相(アブドゥラ副首相の首相昇格)が決定した。
2003年
22年にわたり首相を務めたマハティール・モハマドが退任し、副首相だったアブドゥラ・アフマド・バダウィが第5代首相に就任した。アブドゥラ首相は行政の効率化と汚職の一掃を唱え、各種対策を実施した(行政効率化のためのタスクフォース設置、政府事業への公開入札導入、汚職取締官訓練所の設置など)。
2004年
総選挙が行われ、与党連合BNが国会下院議席の90%以上を獲得して歴史的大勝を収めた。UMNOは前回選挙(1999年)でPASに奪われたトレンガヌ州政権を奪回した。総選挙後にはUMNO役員選挙が実施され、アブドゥラ首相とモハマド・ナジブ・アブドゥル・ラザク副首相がそれぞれ無投票(対立候補なし)で党総裁、副総裁に選出された。外交面では、首相交代により、シンガポールとの関係が改善に向かった。
2005年
アブドゥラ首相は、マレー人政治家と建設事業者との癒着の問題に対処する方針を示した。他方で、前年のUMNO役員選挙での票買い行為や、マレー人起業家による自動車輸入許可証の横流しなどが露呈した。経済面では、中国が管理変動相場制への移行を発表した直後、マレーシアも1998年9月から維持してきた固定相場制を放棄し、主要貿易相手国の通貨バスケットに基づく管理変動相場制を導入した。
2006年
長期経済政策が発表された(第9次5カ年計画、2020年までの15年間を対象期間とするナショナル・ミッション)。政治面では、アブドゥラ首相の目指す開かれた政治の成果として、連邦議会の活性化が見られた。他方で、石油燃料値上げに対する反対デモが弾圧されるなど、政治的自由が完全に保障されたわけではないことも明らかになった。
2007年
首都クアラルンプールで2つの街頭デモが生じた。ひとつは主要3野党がNGOと共に設立した「クリーンで公正な選挙を求める連合」(Bersih)によるデモであり、約1万人の支持者を動員した。もうひとつはインド系マレーシア人の権利保障を求める NGO「ヒンドゥー人権行動隊」(Hindraf)によるデモであり、参加したイ ンド系市民は数千人とも数万人ともいわれた。
2008年
総選挙が実施され、与党連合BNの獲得議席が国会下院定数の3分の2を割り込んだ。また5つの州(クランタン、クダ、ペナン、ペラ、スランゴール)で野党政権が誕生した。この規模での野党躍進はマレーシア史上初であった。選挙後、主要3野党(PAS、DAP、人民正義党PKR)が野党連合・人民連盟(PR)を結成した。他方、アブドゥラ首相は総選挙での大敗を受けて首相退任を表明した。
2009年
アブドゥラが首相を退任し、副首相だったナジブが第 6 代首相に就任した。ナジブ首相は、与党離れが顕著になった華人、インド人、若年層の支持回復を目指し、ブミプトラ政策見直しへの取り組みやUMNO党内の金権政治一掃に向けた党規約改定に着手した。ペラ州では野党議員の離反により、BNが州政権を奪回した。
2010年
ナジブ首相は新経済モデル(NEM)と第10次5カ年計画を発表し、中進国の罠からの脱却と財政赤字の縮小を目指した。 またNEM 実現のため、具体的な目標と戦略を示す「経済改革プログラム」(ETP)と「行政機構改革プログラム」(GTP)を定めた。しかし、争点となったブミプトラ優遇政策の段階的縮小や補助金削減などについては、決定が先送りされた。
2011年
選挙制度改革を求める2回目の大規模デモ(Bersih 2.0)がNGO主導で実施された。これを警察が弾圧したため、ナジブ政権の支持率は低下した。また野党連合PRでは、華人を支持母体とするDAPとムスリム保守派の票を回復したいPASとPKRの間で、イスラーム刑法実施などをめぐり対立が生じた。
2012年
前年のデモ(Bersih 2.0)と支持率低下を背景に、ナジブ首相は国内治安法(ISA)の撤廃や出版法の改正など、政治的自由に関する法律の一部緩和を行った。一方で、3回目の選挙改革要求デモ(Bersih 3.0)が実施され、クアラルンプールのほか、一部の地方都市や海外のマレーシア人の間にもデモが拡大した。
2013年
総選挙が実施され、与党連合BN が国会下院議席の過半数を確保した。しかし、華人系与党(マレーシア華人協会MCA、サラワク統一人民党SUPP)は議席を大きく減らした。州議会選挙では、野党連合PRが3州(クランタン、ペナン、スランゴール)の州政権を維持したが、クダ州をBNに奪回された。
2014年
イスラームと表現・言論の自由をめぐる問題に人々の注目が集まった(カトリック教会機関紙における「アッラー」使用をめぐる裁判、トランスジェンダーの人々によるヌグリスンビラン州のシャリア刑法一部撤廃を求める裁判など)。サラワク州では州首相を33年間務めたタイブ・マフムドが辞任し、アデナン・サテムが州首相に就いた。マレーシア航空墜落事故が2件発生した(ウクライナ上空で撃墜されたマレーシア航空17便(MH017)を含む)。
2015年
ナジブ首相が経営諮問委員長を務める政府系投資会社ワン・マレーシア開発(1MDB)に経営難・資金流用問題等が生じ、捜査が行われた。そのなかで、首相自身の巨額汚職疑惑も浮上した。また、4回目の選挙改革要求デモ(Bersih 4.0)が実施され、ナジブ首相の退任を求める声も上がった(マハティール元首相も参加)。野党連合PRは政党間対立により解散し、その後、PAS分派の新党・国民信頼党(Amanah)とDAP、PKRが新たな野党連合・希望同盟(PH)を結成した。
2016年
1MDB関連問題の捜査が進み、逮捕者も出るようになった。そうしたなか、ナジブ批判を強めるマハティール元首相は与党UMNOを離党し、ムヒディン・ヤシン元副首相(ナジブ首相に批判的立場をとったためUMNOから除名)とともに新党・マレーシア統一プリブミ党(Bersatu)を結成した。また、5回目の選挙改革要求デモ(Bersih 5.0)が実施され、マハティールも参加した。他方、野党連合を離れたPASはシャリア裁判所(刑事裁判権)改正法案成立に向け、UMNOに接近した。
2017年
PAS念願のシャリア裁判所(刑事裁判権)改正法案は、結局成立しなかった。2018年の次期総選挙に向けて、Bersatuが野党連合PHに加入し、マハティール元首相がPH 議長に就任した。サラワク州ではアデナン州首相が急逝し、副州首相のアバン・ジョハリが新州首相に就任した。
2018年
総選挙が実施され、野党連合PHが国会下院議席の過半数を獲得、史上初の政権交代となった。新首相にはマハティール、副首相にはワン・アジザPKR総裁(アンワル元副首相の妻)が就任した。同性愛で有罪判決を受け収監されていたアンワル元副首相は釈放され、補欠選挙を経て政界に復帰した。他方、ナジブ前首相は1MDB関連の収賄・背任などの容疑で、ロスマ夫人らとともに逮捕された。
2019年
政権発足2年目で、与党連合PHは有権者評価においても与党内調整においても厳しい状況に置かれた。特に与党PKRでは、首相の後継問題に関連して、アンワル総裁とアズミン・アリ経済相の不和が表面化した。また、総選挙時のPHの公約の1 つであった政治制度改革は、なかなか進展しなかった。
2020年
政界再編により政権交代が起きた。与党造反組(ムヒディン総裁率いるBersatu、アズミン経済相などPKR離党者)が野党のUMNO、PASらと組み、国会下院議席の過半数を形成した。彼らは首相候補としてムヒディンを国王に推薦し、国王の任命でムヒディンが首相に就任した。その後、与党連合・国民同盟(PN)が結成されたが、与野党間の衝突などにより不安定な政治状況が続いた。他方、マハティール元首相はBersatuの党員資格を失い、新党・祖国戦士党(Pejuang)を結成した。また、2020年から新型コロナウイルスの感染が拡大し、ムヒディン政権は「活動制限令MCO」を全土に発した。
2021年
前年に続き、新型コロナウイルスの感染蔓延と不安定な政治状況が続いた。ムヒディン首相は非常事態勅令の廃止に関して失策を犯し、国王からの批判を招いた。その後、UMNO所属の下院議員14人がムヒディン政権への支持撤回を表明したため、ムヒディン首相は国会下院の過半数の支持を維持できなくなった。そのため、ムヒディン首相は最終的に辞任を表明し、UMNOのイスマイル・サブリ・ヤーコブが首相に就任した。しかし与党連合PN内の政党間対立(特にBersatu と UMNO )は続いた。
2022年
10月に議会が解散し、11月に総選挙が実施された。主要政党連合はいずれも単独過半数の議席を獲得できず、連立交渉と国王の調停の末、アンワルPKR総裁率いる政党連合PHを軸に連立政権(他にBN、サバ州とサラワク州の政党連合、その他小政党が参加)が誕生した。首相にはアンワル元副首相が任命された。

参考資料:『アジア動向年報』2000~2022年版(日本貿易振興機構 アジア経済研究所)

書誌情報
森下明子「マレーシア21世紀年表」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, MY.3.02(2023年5月22日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/malaysia/timeline/