アジア・マップ Vol.01 | ネパール

《総説》
ネパールという国

藤倉 達郎(京都大学大学院アジア・ アフリカ地域研究研究科・教授)

 ネパール(正式名称:ネパール連邦民主共和国)はヒマーラヤ山脈の南側にある、東西に細長い国である。東西の長さは約1,000km、南北は最大241km。東西の長さは日本の本州よりやや短く、南北は福島から東京ぐらいの距離である。ネパールの面積は147㎢で、本州の約3分の2の広さである。人口は2,913万人(2020年国勢調査)。ヒマーラヤ山脈は今から約5,000万年前、ユーラシア大陸にインド亜大陸が衝突し、インドプレートがユーラシアプレートの下に潜り込むことによって隆起したとされる。ヒマーラヤ地域では、海生生物であるアンモナイトの化石が見つかる。これはこの山地を形成する地層が以前、海底であったことを示す。アンモナイトの化石は、ヴィシュヌ神の化身である「シャリグラム」とも呼ばれている。ヒマーラヤ山脈は8,848mの世界最高峰であるエベレストを含む、9座の8,000m峰を擁する。インドプレートは今でも1年に約5cm北上しているといわれる。このことによって蓄積されたエネルギーがときおり地震を起こす。2015年4月に起きた大地震も、このメカニズムの結果だと考えられている。

 標高5,500m以上のヒマーラヤ氷雪帯の気候は、南極や北極に近く、ヒマーラヤは「第3の極地」と呼ばれることもある。しかし標高4,000m以上の高山帯も人間の生活圏となっており、シェルパなどの人々が住み、ヤクや羊などの放牧を行っている。標高4,000m前後であればオオムギやジャガイモなども栽培されている。ここでネパールの緯度にも注意しておく必要があるだろう。ネパールは北緯27度付近に位置しており、これは日本だと奄美大島のあたりになる。つまり、日本の本州などに比べると、太陽から得るエネルギーが大きいということである。インドと国境を接するネパール南部平野部は標高70mぐらいの低さであり、気候帯としては亜熱帯に属する。そこには象、虎、犀、ワニ等が生息し、19世紀以降、英国の貴族らがネパールの王族とともに大規模な虎狩りを行っていた。サール(沙羅双樹)の林に覆われた平野部はまたマラリア地帯としても知られていた。伝統的にこの地域に住むタルーの人々のなかには、鎌状赤血球症の遺伝子を持つ人がみられ、これはマラリアへの適応の結果だとされている。

 高山帯と平野部の間、標高1,200mから3,000mの土地はほぼ温帯である。トウモロコシ、麦、米、スモモ、リンゴなどの栽培がおこなわれる。南北200kmあまりの中に氷雪帯、高山帯、温帯、亜熱帯を有するネパールでは、古くから南北方向の人の移動と交易がおこなわれてきた。高山帯からは毛織物や岩塩がもたらされ、平野部や温帯からは穀物が北へと運ばれた。しかし、交易はこのような生活必需品に限られなかった。ネパールはインドからチベットへと続く交易ルートを多く擁しており、ネパール山間部の都市は、交易の要衝として大いに栄えた。現在のネパールの首都が位置するカトマンドゥ盆地に住むネワールの人々は古くから商業と交易に従事し、カトマンドゥに美しい寺院を建て、手の込んだ大規模な祝祭をおこなってきた。カトマンドゥ盆地のパタンにある、15世紀に建立された、金色に輝くヒラニヤヴァルナ・マハービハール(通称「ゴールデン・テンプル」)はそのような商業や交易を通じた繁栄の象徴でもある。またこの寺院の所在地であるパタンは、またの名をラリトプール(「芸術の都」)とも呼ばれており、昔から芸術・工芸によって知られていた。13世紀にアルニコがカトマンドゥから80名の職人を率いてチベットと元の都に赴き、仏塔の建築にたずさわったことも有名である。

 ヒラニヤヴァルナ・マハービハール(ゴールデン・テンプル)には般若経が収蔵されており、頻繁に読経がおこなわれる。つまり、ここが仏教の影響圏であるということは明らかである。ネパール国内の仏教徒とチベット仏教徒の交流は現在も盛んである。ブータンを含むヒマーラヤ仏教圏の寺院に祀られている仏像の多くは、いまでもカトマンドゥ盆地の仏師たちが製作している。歴史をさかのぼれば、釈迦の生誕地であるルンビニは、現在のネパールの南西平野部に位置している。しかしネパールは2006年まで、「世界唯一のヒンドゥー王国」として知られていた。18世紀半ばに西の山間地の小国ゴルカから勢力を拡大してネパールの「統一」を成し遂げたヒンドゥー王プリトヴィ・ナラヤン・シャハは、ネパールを、インドとは対照的に他宗教勢力に支配されたことのない、けがれなきヒンドゥーの土地である、と定義した。20世紀中葉に制定されたネパール王国憲法で、ネパールはヒンドゥー王国と定められ、国王は「アーリヤ文化の後継者、ヒンドゥー教の庇護者」とされていた。国王は儀礼上、ヴィシュヌ神の化身として扱われていた。2011年の国勢調査によると、ネパールの人口のうちみずからの宗教をヒンドゥーと答える人は81%、仏教は9%、イスラームが4.4%、東ネパールのライやリンブーの人びとの宗教であるキラントが3%、キリスト教が1.4%となっている。

 1990年の民主化運動の後に定められた憲法は、ネパールという国を次のように定義していた。

第4条1項
ネパールは、多民族的、多言語的、民主的、独立で、不可分の主権を有するヒンドゥーの立憲君主制王国である。

内戦や、2度目の大規模な民主化運動を経て制定された2015年憲法では、ネパール国家は次のように定義された。

第4条1項
ネパールは独立、不可分、主権を有し、世俗的、包摂的、民主的で、社会主義を志向する、連邦民主共和国である。

「ヒンドゥー」「王国」という言葉が削除され、世俗主義的な民主主義共和国であるという宣言がなされているのである。

 多言語状況についても見ておこう。2011年の国勢調査には、ネパール国内で「母語」として話される123の言語が挙げられている。このうちネパール語が母語であると答えたのは全体の45%である。これにつづいて、マイティリ語12%、ボジュプリ語6%、タルー語6%、タマン語5%、ネワール語3%といった順番になっている。このうちネパール語やマイティリ語、ボジュプリ語はインド・ヨーロッパ語族に分類されるが、タマン語やネワール語はシナ・チベット語族であり、まったく異なる語彙を有し、相互に理解不能である。

言語について、1990年憲法で次のように定められた。 第6条 (1)ネパールの国語はデーヴァナーガリー文字によるネパール語である。ネパール語を公用語とする。 (2)ネパールのさまざまな地域で母語として話されている全ての諸言語はネパールの国の言語である。

2015年憲法でも同じように「国語/公用語」と「国の言語」が定義される一方で、連邦州のレヴェルにおいてネパール語以外の言語を「公用語」と定めることができる、とされている。

 このように宗教的、民族的、言語的多様性が民主化とともに憲法にも反映されるようになってきた。しかし、ネパールが多様性にみちた場所である、ということはずっと以前から公けに認識されてきた。18世紀にネパールを統一したプリトヴィ・ナラヤン・シャハ王は、ネパールを「36種類の人々からなる花園」と形容した。ここで使われている「ジャート(種類)」という言葉はカーストと民族集団の両方について用いられる言葉である。さらには動物や植物の「種」についても、このジャートという言葉が使われる。つまりヒンドゥー社会内のカースト集団であれ、もともとヒンドゥーではない民族集団であれ、ネパールの領土内に「さまざまな種類(ジャート)」の人間集団が暮らしている、ということが、ネパールの特徴として語られているのである。19世紀半ばにまとめられた「ムルキ・アイン(国法)」には、ネパール国内のさまざまなカーストや民族間の関係が定められており、その中には「ムスリム」や「イギリス人」も含まれている。これらすべての「異なる種類」の人びとを、ヒンドゥー的な大きな秩序の内に包含する、というのが少なくとも18世紀以降のイデオロギーであった。

 大きな地理的・環境的多様性と民族的・文化的多様性を大前提とした上で、ネパールの20世紀中盤以降の民主化の政治が展開してきた。その民主化の過程は、独立当初から「世俗主義」を大前提にしながらもヒンドゥーとムスリムの暴力的な対立に悩んできた大国インドとも、また、同じヒマーラヤ国家でありながら人口密度がきわめて低くかなり均質的な仏教王国であるブータンとも、まったく異なる。もちろん、ばらばらで自由な個人を単位とする民主主義とも異なる前提のもとに、ネパールの政治社会的過程は展開している。さまざまな人間集団が、それぞれの文化的傾向性を有しつつ、他の人間集団や多様な環境と相互作用しながら、生活世界を創り出し、変化させていくという過程を学ぶためにも、ネパールはとても興味深く魅力的な場所である。

写真1. ガウリシャンカール・ヒマール 標高7,134m

写真1. ガウリシャンカール・ヒマール 標高7,134m

写真2. 平野部に住むタルーの人たちの踊り

写真2. 平野部に住むタルーの人たちの踊り

写真3. ヒラニヤヴァルナ・マハービハール(ゴールデン・テンプル)

写真3. ヒラニヤヴァルナ・マハービハール(「ゴールデン・テンプル」)

書誌情報
藤倉達郎「《総説》ネパールという国」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, NP.1.03(2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/nepal/country/